3月24日開催のWAN上野研究室のゼミは『藤田眞理「パート労働が私にもたらしたもの・失ったもの-自分史的アプローチ -」パート労働とは何なのか?』でした。
ご参加の皆さまからのアンケート回答からの抜粋です。

◆昨日は、とても興味深いセッションをありがとうございました。藤田さんの論文はご自身の経験を勇気をもって詳らかに記された、とても素晴らしいものだと思います。私などは臆病で、自分のうちにあるものを声を出して発信していくことに躊躇いを覚えてしまうのですが、眞理さんは、おそらく誰もが多少は抱えているそのためらいを持ちつつも、「個人的なことは社会的なこと」という信念のもとにこの論文を書かれ、大勢の同胞たちに発信されたのだと(僭越ながら)拝察いたします。その結果、眞理さんの論文は大勢をエンパワーする力を持ちえたのではないかと思います。 私ごとですが、私は某大企業で15年、専門性を持つ業種で派遣社員として勤務しています。専門性を持つがゆえに、先年の派遣法改正まで、上限3年の縛りにしばられることなく、派遣として雇用されてきました。派遣法改正の結果、無期雇用として残るかどうかのタイミングで、正規の社員として雇用してもらえないか尋ねましたが却下され、今もまだ無期雇用の派遣として働いています。 昨日の松尾さんでしたか、やはり派遣として働いていらっしゃる方がおっしゃった、毎日がハラスメントという言葉に深く同意いたします。私の周囲の正規の社員の方々はとても良い方ですが、構造的に私は彼等と対等ではありえず、それゆえにそれはもう、ハラスメントではないかと思うのです。実際、ある社員の不興をかった派遣社員が雇い止めにあう姿も見てきました。私は、たった1人の正規社員の意見で自分が職を奪われてしまうだろうということはもともと承知していましたので、けして声をあげず、他所の人間として、自分を押し殺して仕事をしてきました。今の職場は本当に家の目の前で、子育てをするには最適な環境だったため、失いたくはなかったのです。 パートも派遣も、契約社員という名の有期雇用も、賃金の多寡はあるにせよ、この日本の社会構造の被害者であると私は思います。もちろん、それはその人の選択だという人もいるでしょう。でも多くの人間は、それを「選ばずにはいられなかった」のです。自ら「選ぶ」ことと、「選ばされる」ことはまったく違います。フェミニズムの目的は、「弱者が弱者のまま幸せになれる世界をつくること」とどこかで聞いた覚えがあります(間違えていたらすみません)。昨日のセッションで、今の社会構造を打開していく方法はとのお尋ねがありましたが、私には即答できる解はありませんでした。この国の変化は本当に遅くて、昨日のセッションで、今の女子学生達が、私の母が私に言った言葉とまったく同じことを言っていると知って、びっくりしました。昭和17年に生まれた女性が社会に出た時に感じたものと同じ違和感を、おそらく平成に生まれたであろう彼女達が感じているということに、軽い絶望さえ感じます。 でも、先達の努力で、どんなに諸外国から比べて遅くとも、少しずつ、本当に少しずつですが、この国も男性が育児休暇を取れるくらいにはなってきました。少しずつでも変われるのなら、絶望して口をつぐむのではなく、私も眞理さんのように勇気をもって、微力でも発信していきたい。「感情は分節される前の知性」私は不勉強で、言語という武器は待ち合わせませんが、時々に感じる違和感を知性といっていただけるなら、こんな私にもできることはあるのではないかと思えたセッションでした。眞理さん、主催者の皆さま、本当にありがとうございました。 (長くなってしまってすみません。お読みいただき、ありがとうございました。)

◆はじめて当事者研究の論文を読みましたので、他と比較はできませんが、当事者の声はこんなに力があるのだと思いました。当事者研究ってすごい。
藤田さん論文にあるようにフェミニズムとジェンダーについて学ぶことが、問題を構造的にみて分析できる、主体的と客観的を行き来できるのだなと思いました。そして論文を読んだ後は自然と藤田さんをハグしたいような気持ちになりました。
同じ経験をしていなくても女性として共感できる言葉が多かったです。 一方で、私も正社員、パート、フリーランス、請負と様々な働き方をしてきましたが、ハラスメントや人権侵害とまでは感じたことがありませんでした。雇用形態を理由に諦めていたかもしれません。ただその感覚の違いはどこからくるのだろうか、私もフェミやジェンダーをもっと学べば、同じ感覚になるのだろうか、なにが違うのだろうかと思っています。最後に上野さんが日本の制度は性差別があるとコメントされていたと記憶していますが、その通りです。そうした社会の仕組みを変えていきたいです。

◆今の私はパート労働ではありませんが、とても考えさせられました。 非正規に対しての理不尽な対応と処遇は、もっと改善すべきことが多くあり、当事者としての声がとても伝わってきました。社会の仕組みは故意につくられているということも改めて実感しました。
しかし、そのような中で「家事子育てはマルチタスクの自主練だった!」「自分の立場・自分にとっての仕事の意味を考えるようになった。」など、失ったものだけではなく、もたらしたものをも、伝えてくれたことがとても強い気持ちになれました。 そして、現代でもなお続くつらいつらい現状。そのような経験をしている女性がまだいる。だから、私たちは怒っている。‥‥心に残った言葉です。一人でもつらい経験をしている人がこの世界にいる限り声をあげる。それがフェミニズムなのだと強く思いました。まだまだ終われないという言葉が響きます。 藤田論文からの学びは多く、そしてセッションにより更に広まり、参加者の声が深めてくれました。みなさま、ありがとうございました。