
鹿島光代さん 62歳ごろ
草の根の女の痛覚に光 ドメス出版編集長・鹿島光代さんを悼む
7月27日に亡くなった鹿島光代は、ドメス出版の編集長として、生活者の視点から社会問題を捉えることを目指し、女性問題を可視化することに、大きな役割を果たした。(女性史研究者=江刺昭子、敬称略)
創業間もない小出版社の取り組みとしては大胆な『今和次郎(こん・わじろう)全集』全9巻、『日本婦人問題資料集成』全10巻の編集と並行して、採算の取りにくい女性関連の本を意欲的に出版し、後に「女性問題の出版社」と言われるようになった。
ドメス出版の『総合図書目録』は、出版した書籍を「社会の問題」「生活の問題」などに4分類する。そのうち「女性の問題」を見ると、女性論、女性史、団体史、自伝・評伝などと並んで、論争シリーズ全5巻、千野陽一編集・解説『資料集成 現代日本女性の主体形成』全9巻、『高良とみの生と著作』全8巻といった大著がある。
しかし、ここでは鹿島が力を入れた地域女性史のラインアップを紹介したい。
地域女性史としては、ドメス出版創業の1969年にすでに外崎光広『高知県婦人解放運動史』があり、その後も古庄ゆき子『豊後おんな土工 大分近代女性史序説』、一条ふみ『淡き綿飴のために 戦時下北方農民層の記録』、高橋三枝子『小作争議のなかの女たち 北海道・蜂須賀農場の記録』、広島女性史研究会『ヒロシマの女たち』、堀場清子『イナグヤナナバチ 沖縄女性史を探る』など、北海道から沖縄まで、ほとんど知られていなかった地方の女たちの営みに焦点をあてた書目が並んでいる。
女の痛覚が女性史学を生んだとすれば、その痛みは草の根の女の中により深く刻みこまれていることを、鹿島が知っていたからだろう。
外国にはないそうだが、日本には専門家だけでなく、「生活者研究者」ともいうべき、主婦や働く女性たちによる地域女性史のサークルが多数ある。77年、愛知女性史研究会の伊藤康子らが全国のサークルに呼びかけて初めて「女性史のつどい」を名古屋で開いた。
その集会に鹿島が駆けつけ1万円をカンパしたと、鹿島が亡くなった後、伊藤から伝え聞いた。「見ず知らずの会にポンと大金を寄付してくださる人がいるのにびっくりし、おかげで報告集も出せた。女性史の守護神です」と伊藤は言う。
「つどい」はその後、2015年の岩手開催まで各地持ちまわりで開かれ、研究発表と情報交換の場として役割を果たした。さらに「つどい」がきっかけで書かれた女性史の本がドメス出版から刊行されて地域に返され、地域の歴史を豊かにした。
鹿島は地域の女性史に期待し、将来を見据えてカンパしたのだと思う。その心意気と託された思いを受け止めたい。
地域女性史がブームになる一つの画期になったのが1987年、『夜明けの航跡 かながわ近代の女たち』の刊行である。神奈川県の女性政策の一環としての女性史編纂(へんさん)で、地域住民と専門家、かながわ女性センターの共同編集という方式が採用された。
販売方法もユニークだった。一般に自治体の刊行物は商業出版社からは出ないが、『夜明けの航跡』はドメス出版から刊行された。
B5判320ページの上製本で、カラーの口絵があり、自治体の出版物とは思えないおしゃれな造本設計。刷り部数2千部のうち、半分は県が買い取り、半分を市場に流通するという方法をとった。かながわ女性センターの館長だった金森トシエと鹿島が知恵を出し合ったのだろう。自治体刊行物で女性史本という二重の意味で地味なイメージを一新した。
その後、多くの地域女性史がこの編纂方法と販売方式でドメス出版から刊行され、80年代から2000年代にかけて自治体女性史編纂の大きなうねりを生みだした。

鹿島光代さん 65歳ごろ
わたしは、『夜明けの航跡』の編纂に専門委員として加わったことで、地域女性史に目を開かれ、以後、東京都千代田区、中央区など多くの自治体女性史に関わり、いつもドメス出版の担当編集者に支えられた。専門的な知識、レイアウトや構成、装丁…隅々まで行き届いたきめ細やかな編集がとてもありがたかった。
1970年頃までは学問として認められていなかった女性史を、アカデミズムでも無視できないものにするには、さまざまな要素が必要だった。地道な研究の積み重ねは言うまでもないが、出版物として読者に届けてくれる書肆(しょし)がなければ、志はむなしく空転してしまう。その役割の大部分を引き受けたのが、ドメス出版だった。
歴史学者の鹿野政直は「だれが女性史を築いたか」という問いを立て、「鹿島光代は、編集者として仕事を結晶へとサポートし、出来上がった仕事を世に送り出したばかりでなく、積極的に仕事を造りだし、女性史学にとっての不抜の基礎を築いたひととしてきわだった存在である」と功をたたえる(「鹿島光代 女性史を築く」『鹿野政直思想史論集』第2巻)。
作家や研究者はその果実が賞の対象になるが、編集者が賞の対象になることは少ない。わずかにその労が報われたのは、1994年の東京女性財団賞と2013年の赤松良子賞の受賞である。前者は「女性問題の出版に貢献した」として、後者も「女性の問題に着眼した書籍出版に多大な努力をされ、女性の地位向上のために貢献されたこと」が授賞理由である。
鹿島光代は、1970年のウーマンリブから、75年の国際女性年、99年の男女共同参画社会基本法制定というフェミニズムの流れに同伴するだけでなく、流れにさおさして、女性の時代をリードした。彼女の置きみやげである出版物を埋もれさせることなく、次の時代のために活用したいものだ。
<47NWESより転載>
鹿島さんを悼むその1はこちらからどうぞ。
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