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初めて上野ゼミに参加させていただきました。上野さんのお書きになった書籍や記事については以前から学ばせていただいています。私は臨床心理士・公認心理師で、専門は、多文化間臨床(日本に暮らす外国人のメンタルヘルス支援)と、ハラスメント相談です。ジェンダー学については中村江里さんの講義で学びました。  ゼミで皆さんのご発表やコメントを、聞いているだけでとても興味深く、楽しかったです。私自身、心理臨床の職についていますが、価値観が合い、一緒に語り合う友人は、社会学者、特に地域研究者とジェンダー研究者が多く、心理臨床家には少ないです。今回、社会学者と臨床心理職の共同ゼミということについても、とても興味を持ちました。どうもありがとうございました。

難しく感じるところもありましたが、噛み砕いた言葉もあったので本の理解が深まり新たな発見もありました。参加出来て本当に良かったです。対話の中で印象に残る言葉もあったので、今後の自分の人生に活かしていきたいです。

今回初めて参加させていただきました。ありがとうございました。とても深い内容が多かったので、咀嚼しきれない自分が情けなかったです。

面白かったです。 ゼミの構成、内容も十分に練られたものだったと思います。運営に当たられた皆様に感謝しております。ありがとうございました。

あまりに問題が深く重くてその場で発言できず、残念な気持ち、申し訳ない気持ちです。 ちゃんと準備してたのですけどね(って 言い訳)

相似性のある家族と国家に身を置かざるを得ないという現状において、暴力に遭っていない女はいないというのを確信しております。被害に濃淡があるのは承知の上で、同じ女として、せめて二次的加害者にならず、緩やかに手を繋ぎ抵抗することが、この共謀を崩す大きな力になることを、さらに確信することができました。

この度はとても勉強になりました。ありがとうございました。 都内のメンタルクリニックで心理士や産業カウンセラーをやっております。日々、患者さん対応するなかで、DV、AC、愛着、依存、パワハラなどの問題がすべて根が同じところから発生しているのを感じており、そこを解明してくれるのがこの本だと思いました。 今後ともよろしくお願いいたします。

大変興味深く、聞き入ってしまいました。自分の受けた被害を語ることは、加害への抵抗になるのだと改めて感動しました。

入れ子のような「国家→家族→個人」のあり方の中で、国家権力による加害が「イデオロギー」のもと公然と行われ、同時に被害者に「恥」の感覚を植え付けることで被害者自身を無力化させる構造が、被害の可視化を阻んできた(いる)のだということ、そしてこの構造で不可視化された被害が世代をまたがってその国とここに生きる私達に影響を及ぼしてきた(いる)のだ、という整理ができた2時間でした。この巧妙な構造について考えることを止めてはいけないな、とも思います。初めて参加させて頂きましたが、非常に刺激的であっという間の2時間でした。大変ありがとうございました。

書評セッション自体が未経験でしたので、濃い内容に、ぐいぐい引き込まれ、一言も聞き逃したくない一心でメモを走らせました。 言葉の定義や前提を共有することが、相手と1つの課題に向き合う関係性において重要であることは意識して生きてきたところでしたが、翻訳するときに意味が変化することを補完する補助線や、あれもこれもそれも、つながっているのだという深い学びに贅沢に溺れる時間となりました。 構造的に認知することで、個人の責任から手放していくことや、赦しと権力への渇望、到底及ばない広い関係性を具体的に自覚するお話しがてんこ盛りで、理解が進みました。 学問を修めるとは、こういうことなのか、と、感覚で生きてきた自分には持ってこなかった時間を得られてグルグルしております。 誰にでも開かれているこのような学びの場に出会えたことを、今後に糧としていけるように、一つ一つのお話しを何度も反芻し消化していきたく思います。 大変、ありがとうございました。

大変面白かったです。この本の取り扱うテーマはいくつかに分かれていたのですが、どこにフォーカスをおいても面白くなると書評セッションを通じて改めて思いました。 たまたま伊藤詩織さんの控訴審のニュースを同日に目にしたために改めて国家と法、ジェンダー、レジスタンスについて考えています。

はじめて参加して、興味深く視聴させていただきました。信田先生の講演、ぜひ実現させていただきたいと思います。

だいぶ遅れての参加になってしまいましたが、大変興味深いお話でした。信田さよ子さんの本をいくつか買って、勉強してみたいと思っています。

上野先生、信田先生の貴重なお話が聞ける機会に感謝です。初めての参加だったため、展開がよくわからず、質問・意見できませんでしたが、今後も是非積極的に参加したいと思います。

臨床家の視点から、当事者の視点から、歴史研究者の視点から多層的に眺められて、学びが深まりました。良書だと思います。

WANのゼミに初めて参加致しました。テキストの著者信田さよ子さんと上野千鶴子さんとのリアルタイムでのやりとりを拝聴できたことはもとより、発表及びコメントをされたどの方の発言にも考えさせられること、感じること多々ありました。「家族と国家は共謀する」をゆっくり再読する機会を得て本当に良かったです。この先機会があるごとに周囲に本書を薦め、また自分でも読み返したく思います。

自分の人生を、振り返る機会となった。 子どもの虐待、家族のDVが、世の中の改善課題となっているが、子どもの置かれている環境、老後まで影響することだと思っている。

上野先生、信田先生のいちファンの主婦です。このようなゼミに参加させていただくことが出来、お二人の話を聞くことが出来たことが嬉しくて、ひと言お礼を言いたくてコメントを書かせて頂きます。私は、信田先生の想定している読者層に当てはまりすぎていて、ちょっと笑ってしまいました。 このところフェミニズムに関する本や文章を読む機会が多くなったように思いますが、私の世代では、会話の中にフェミニズムという単語が上ることはほぼなく、他人事として遠くにある言葉のように思っている人の方が多いように感じます。苦しい時、折れそうなとき、泣きそうなとき、信田先生、上野先生の本を開いてきました。どうあがいても、結局苦しくなるシステムになっているんだ。家父長制と資本主義。男しか金を稼げないようにしておいて、女は金をかせげない、女は能力がないから、つべこべ言わず言う事を聞けというシステム。私より数年前に上野先生、信田先生が生まれていてよかった。本を書いてくれてよかった。私はそれを頼りになぜ私が苦しいのか少しずつ少しずつ理解し、自分を責めることを少しずつ少しずつなくし、なんとか今日まで生き延びてきました。私の苦しみに名前があり、私を苦しめている事柄に名前があり、私一人の苦しみは分かち合える苦しみだった。名前があるなら、言葉があるなら、それを頼りに進んでいける。名前を付けてくれてありがとう、その名前を教えてくれてありがとう。そのカラクリを教えてくれてありがとう。今も苦しいとこはあります。けれど、少しは私自身が自分を信じて行動することが出来るようになったかな・・と思います。#MeToo以降、更に私たち女性の苦しさをを表す言葉が増え、価値観が変わっていっているように感じています。過去、現在、未来、歴史、社会の変化、世界は、日本はどうなっていくだろう。上野先生、信田先生が切り開いていく最前線についていきたい、世界がどのようにみえるのか知りたいと思います。それがどんなに悲惨に見えたとしても、その見ている眼差しにはいつも愛があるから。これからのお二人のご健康とご活躍を心からお祈りしております。



上野さんへ

ラテン語で家族と家畜の語源が同じとは知りませんでした。そう言われるととても腑に落ちるものがありました。国家に認められた例外的状態を暴いたからフェミニズムが嫌われたんですね。なるほどなあ、と思い、私たちが相手にしている敵は大きいんだなと思い、重い気分になりました。

軍隊内暴力が「理不尽で予測出来ない暴力」であり、DVと同じだという説明はとても印象に残り腑に落ちました。

 「被害者権力」という文言について社会学者としての見解をお聞きしたかったのですが、勇気がなくて質問できませんでした。社会学では、「権力」は、マックス・ヴェーバー、R.A.ダールにより、「他者の行為を変容させられる強制力と可能性。権力に向き合う個人レベルや二者関係における力関係が前提。権力の有効性は暴力(武力)による『物理的強制力』あるいは法律(規範)による『制度的強制力』によって担保されている。」と定義されています。ですから、権力とはあくまで、社会的な立場の「役割」に限定して与えられたものにすぎず、社会に対する役割を果たし、その責任を負うために限定的に与えられた権力を、「自分という人間そのものが偉い」のだと勘違いして相手を軽視することから、権力の乱用であるハラスメントが始まるのだと理解してきました。  このように「権力」を理解してきましたので、「被害者権力」という言葉はとても違和感がありました。「被害者」には法律(規範)による制度的強制力によって「権力」が担保されることはないでしょうから、「自己効力感=self-efficacy」という単語であれば理解できるのですが。「被害者権力」という言葉には、権力を行使する相手が明示されていないので、誰に対する権力であるかもわかりませんでした。「権力」という言葉の使い方として、このような権力行使先の対象があいまいでも使うことがあるのでしょうか。

スッキリ、理論的に話してくれるので、話は聴きやすい。ただ、自分の生活の中でどう活かすかと、考えると「世界が違うかな」と思ってしまう。 それでも、上野さんの本は、読んでしまう。

戦争トラウマから始まる連鎖は、「親の因果が子に報い」みたいな話ですね。

「今日の主役は私じゃない」と仰っていましたが、やはり絶妙な仕掛け、山椒みたいなコメントの数々は、さすが「上野ゼミ」だと感じました。有難うございました。 臨場感から盛り上がる討論もあると思います。オンライン独特のもどかしさを感じますか?それともそんなことは全く恐れず・・・ですか?

信田さんの今回の本に対する質問をもう少ししていただきたかったです。男性の同業者の感想を聞く質問が面白かったので。初めてリアルタイムで私も顔を見せながらお話を聞いていたので緊張しましたが、とても面白いセッションでした。ありがとうございました。

母と息子の関係について、宮台発言や小山田、会田についての鬼畜系仮説について興味深く聞きました。また『限界からはじまる』で紹介されていた2冊(母側からの息子との関係)を読み、息子との関係の対象化を考えていました。成人した息子からの「母の対象化」が難しい(信田さんの第1部第1章より)とのことですが、今後その視点で探し読んでいきたいと思いました。

理不尽で予測不能な暴力が軍隊の中の暴力であったというのがとても納得できました。私は東京大空襲に遭った人のお話を伺う機会が何度かありましたが、理不尽で予測不能という意味で類似しているようにも思いました。

ありがとうございました。先生方のお話から、人と関わっていくためにはその人だけでなく、その人の取り巻く環境、社会もみていく必要があることがよくわかりました。

軍隊内暴力の理不尽性及び予測不可能性について紹介くださりありがとうございました。「無力化されるのが被害者。被害者は一度は権力を持たないとだめ」の言葉にもハッとさせられました。

会員外からの参加でした。機会と学びをありがとうございました。 せんせいの引き出しの深く多さに圧倒され、そのことによって、課題を捉えやすくわかりやすい!知識を整頓し、認知を深めていくための数々の補助線を引いていただきました。 政治と社会と暮らしの垣根を取り払いたいと意識してきましたが、自身のこれまでがいかに薄っぺらいものであったかと思い知り、「LAW」をツクル国家と、「LAW」の及ばない家庭内にこそ、構造的に相似する支配と抑圧があるという整理は、真相に近付けたと思えるほど衝撃でした。 自己決定するチカラを持ち、その権利を行使することで不利益を被らず、尊重されることを後押ししてくれる社会に向けて、先輩方がこれほどの機会を提供し続けてくださっていたことに出会えて感激しました。 その上で、より一層、社会構造を変えていくために、政治というステージですべきことについて動機として強くもてるように上書きできた思いです。 人権の問題として、幅広くつながっていることを、次は自分の言葉でアウトプットできるところまで、学びを得て、経験を重ね、使いこなしていけるようになりたいです。

戦争の影響は3代つづく、という言葉が印象的でした。一世代30年と概算して100年弱影響する。先の戦争の影響はあと20年、そのうちに新しい戦争が勃発しないことを祈ります。

当事者が当事者として権力を取り戻すというのは、「(基本的な)人権」と考えていいのでしょうか。誰かの手によって付けられたレッテルを自分の手に取り戻す、剥がすことで無力感から脱出できる。自分は無力ではないということの証明のためのレジスタンスを駆動するという解釈でよろしいでしょうか。国家と家族は共謀するとすれば、国家が抑圧的でなくなると家族も抑圧的でなくなる可能性が高いということでしょうか。抑圧的でない家族を構築できれば国家も抑圧的にならない方向にみちびける可能性はあるでしょうか。 それとも国家なくして家族を作ることは可能でしょうか。

今回の「家族と国家は共謀する」も共感すること、また、自分が思っていることを言語化していただいた感じを受けました。

上野さんが被害者は一度は権力を持つ必要ある。権力を認めてあなたの側に立つよと仰ったのは、(失礼ですが)ちょっと意外でした。 上野さんに寄り添っていただけたようで、百人力を得たような気持ちです。

私は高齢分野で働いているので、今回のゼミを通し高齢者虐待防止法が表面上介護者支援とうたっているけれど、虐待者の大半を占める男性(息子)を守る法律と捉えることが出来ることに気付けたことは収穫でした。

理不尽で予測不能な行為は、大人も子ども男も女も壊します。改めて理解しました。例外を国家によって認められたのが【家族】。家族は「愛の共同体」としての機能しなくなり、「暴力の隠匿装置」としての機能が当事者の自覚なく増大している事実を更に理解しました。「3代祟る暴力」をなんとしても可視化したい葬りたい。これは重大な社会問題です。

セッションのお話の中で触れられた『戦争と性暴力の比較史へ向けて』をぜひ再度ゆっくり読み返したく存じます。イラク、アフガニスタンの戦争の暴力の影響がこの先さらに3世代にわたり波及することが懸念されるとのお話なさっていたことが強く印象に残りました。