2012.09.23 Sun
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彼女の深く広い見識に哀悼を捧げようとするとき、私のような者にできる最善の方法は、ともに行うことのできた研究をだきしめることだと思います。
お茶の水女子大学で、また、取り交わされた多くのE-メイルで、そして、もっと多ければよかった、二人で会った機会に、いつもわたしたちはこれから先の仕事や研究の計画について話してきました。しかし、その未来を分かち合うことは、もはや叶わなくなってしまいました。
亡くなる4か月前のことですが、彼女が携わっていた『国際沖縄研究』の編集を、代わりに引き受けて欲しいと言ってくれたとき、わたしは光栄に思いました。ですから、知性にあふれ良識のある、怜悧で清廉な彼女への責任を全うしようと、その仕事を行いました。その前書きの一節を、彼女への哀悼の辞として捧げます。
わたしが日本で講演を行ったのは、早稲田大学でとくに開発の問題について話したのが最後ですが、そのとき竹村和子さんが聴衆のなかにいました。その講演で私は、現在の文脈においては、国民国家が最も重要な舞台とはならないという認識から、話し始めました。
開発は、いまだに国民国家という単位によって評価されていますが、しかし、グローバル化の観点から考えなければならない問題なのです。和子さんは、当然のことながら、わたしたちがともに進めている仕事はこの前提に基づいていることを、わかっていました。
講演後、和子があふれんばかりの笑顔で壇上へと駆け上がってきたことを思い出します。
単に賛意や同意の言葉を口にするのではなく、彼女の全身からその気持ちは溢れ出ていました。彼女はいつもそうだったし、そのときも違いはありませんでした。その来日中、うれしいことに、和子は私を自宅に招いてくれました。
そこでは、楽しい笑い声に包まれながらも、ポスト植民地の文脈で考えることと(グローバル化の)現在という文脈のなかで考えることとの違いをどのように考えるべきかについて、真剣な議論が続けられました。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.その議論を展開している、Other Asiasという私の本を、彼女は気に入ってくれていて、5人の女性による翻訳を進めていました。
その5人が私に質問する集まりを開くことにもなっていたのです。
その会合での開かれた議論から、具体的で実践的な翻訳とはなにかについての理論や、ポスト植民地状況と現在のグローバル状況の違いについての議論を出発させるための(アジアという)大陸についての理論が、浮かび上がってきたでしょう。
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和子の公私にわたる親友である河野貴代美さんが、この仕事を引き続き行っていくと約束してくださいました。
しかし、河野さんにもわたしにもわかっています。この作業をすすめていくあらゆる段階で、以前とは違うということに、つまり彼女がいなくなってしまったことに、打ちのめされるだろうということを。
けれど、いまこの弔辞を終えるように、その仕事も完成を向かえることでしょう。さようなら、親愛なる友よ。あなたのような人には二度と出会えないでしょう。
ガヤトリ
(日本語訳:丹羽敦子・板橋晶子)
*「哀悼」は、2012年3月11日東京・千代田区如水会館で行われた「竹村和子さん追悼の会」に寄せられました。ご本人と翻訳者の承諾を得て転載させていただきます。
なお、原文は http://worldwide-wan.blogspot.jp/2012/09/eulogies-to-kazuko-takemura-6-gayatri.html で読めます。
カテゴリー:竹村和子さんへの想い / シリーズ
タグ:フェミニズム / 竹村和子 / 追悼 / ガヤトリ・スピヴァク
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