原発ゼロの道 エッセイ

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[WAN的脱原発](5)脱原発の思想――安全神話から、安心な社会の構想へ 岡野八代

2011.06.29 Wed

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 「心配しないで」と普段私たちが日常会話で使うときそこに込めようとする、あるいは聞き取ってしまう含意とはなんだろう。今回の大震災後、多くの人が、「一人じゃないよ」「私たちも一緒にいる」という言葉を口にするのを何度も聞いて、安心と安全のあいだには大きな隔たりがあり、しかもその隔たりは、ジェンダーの視点からその意味をしっかりと考える必要があるのでは、と思い始めた[以前、本エッセイに関連する論文として「平和を求める――安全保障からケアへ」という拙稿を書いたことがあるので、そちらも参照してほしい。太田・谷澤編『悪と正義の政治理論』(2007)。

決定的だったのは、ニュースを通じて、ミャンマーからの難民で今回の被災地でのボランティアとなった方が、津波にあったビルを清掃しながら「ここにいるのは、日本人だけじゃないから」という、自らの言葉を涙に詰まらせているのを見た時だ。そう、人は誰かを安心させようとするとき、「自分もここにいるよ」と知らせようとするのだ。 問題を抱え、不安でたまらない時、たとえその問題を解決することにはならなくても、一緒に悩んでくれる友がいてくれる。何かに困っている時、途方に暮れている時、「もう大丈夫、心配ないよ」という他人の言葉に、「自分も一緒にいるから」という言葉を聞き取ってしまう。それが、安心するときの経験ではないだろうか。 アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.安心する、という私たちの経験が教えてくれているのは、誰かと問題を共有し、共にその問題に心を配ってくれる人がいると確証できることの大切さである。私たちの人生には心配の種が尽きないけれど、だからこそ逆に、安心させてくれる他人と出会い、またわたしも誰かに安心を届けられることに喜びさえ感じることができる。ミャンマーから難民として日本社会で生活し始めた人たちが、「自分たちもここにいる」という言葉で伝えようとしているのは、日本社会はそうした安心を与えられる人々で構成されていること、だから、もちろん不安はすべて払拭されないかもしれないけど、それでももう少し未来が見通せるように、共にこうして問題に立ち向かっていけるはずだ、というメッセージなのだろう。

ところが、安全securityには、その語源からしても、上のような他人との交感のなかで感じられる安心とは、全く違う思考様式が潜んでいる。安全(保障)という言葉は、securus というラテン語からきており、語幹のcurus は、英語のcure に相当し、気遣い・心配を意味している。そして、接頭語のse は、「・・・のない」という意味である。つまり、「心配がない」状態こそが、安全である。 たしかに、十分な備えがあって、だから心配しないでよい、という意味が安全にも含まれている。

しかしながら、軍事に代表されるような安全(保障)は、安心な社会とは異なる意味を帯びている。ここでは、震災に伴う原発事故に関連して、二点ほど、とくにジェンダー視点から重要と思われる点を指摘しておきたい。 第一に、安全と専門性が結びついた時の、抑圧性である。

安心の場合と異なり、安全が専門家の手にいったん任せられてしまうと、「自分たちもここにいる」といった安心の語りは影をひそめ、専門家集団が自分たちの言葉だけを信じろ、というメッセージを発し始める。問題を共有するどころか、素人、とくに今回もっとも被害を受けるだろうと考えられている子どもたちと、その子どもたちの世話をしている多くの女性たちの声は、聞く耳をもたれない。むしろ、彼女たちの声は、専門家たちにとっては、無知ゆえの杞憂であり、しかも、説明してもどうせ分かりはしないから無駄な説明はしない、あるいは説明すればするほど、パニック状態になるからと情報を隠ぺいしようといった、パターナルな態度が貫かれる。

第二に、安全を強調すればするほど、そもそも語源である、「心配のない状態」の追及が力を増してくる。先月のオサマ・ビンラディン氏を殺害した合衆国の安全保障政策にみられるように、安全(保障)は、心配の種を根こそぎにする、という攻撃的な思考を誘発する。

世界中多くの人たちが、ビンラディン氏殺害に深い疑念を抱いたように、心配の種を根こそぎにしようとする思考は、たとえば、なぜ9.11同時多発テロが起きたのか、その背後の問題とは何なのか、現在も続くその他の問題(ex. 世界で偏在する貧困問題、多国籍企業の搾取、人種差別や植民地の歴史)とはどのような関係があるのか、といった「なぜ」をも、不安を煽る思考、テロを擁護する思考として根絶やしにしようとするからだ[ex. バトラー『生のあやうさ――哀悼と暴力の政治学』(2007)参照]。

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今回の原発事故で明らかとなったのも、80年代にあれほど原発の安全性をめぐって議論されてきたこと[ex. 広瀬隆『東京に原発を!』(1986)]、90年代の羽田元首相(94年)が半袖スーツでクールビズを先駆けしようとしていた頃の省エネ対策などの歴史がすっかり忘れていたことだ。それは、けっして時を経て自然に忘れられたのではなく、人為的に、経済界、電力会社、マス・メディア、そして政府が政治的な判断の下に、人々の原発に対する不安や懸念を日本社会から根こそぎにしようとした結果なのだ。原発こそが、あたかもエコであるかのように感じる転倒、オール電化が経済的であるとする皮肉な合理主義。 こうした思考は、エコ・フェミニストその他のフェミニストたちが、近代が理想視する男性中心的な主体像や近代合理主義に孕まれた暴力性として批判してきた考え方だ。

日本のような資源に乏しい社会で、みなで将来の不安に対して、共に問題を抱えることで心配を安心へと変換していくのではなく、むしろ、考えさせないように、不安や心配を声に出させないようにと、日本社会はずっとそうした圧力をかけてきた。今回の原発事故からわたしたちが真剣に考えないといけないのは、そうした社会を変革して、安心できる社会を少しでも築こうとうするならば、どのように不安と付き合っていくのかについて、皆で問題を共有する道を探ることだと思う。 本エッセイに関連する記事 安全保障と原発、安全神話の原点 日本社会に対する一つの挑戦








カテゴリー:脱原発に向けた動き / 震災

タグ:脱原発 / 原発 / 岡野八代