あるYouTubeで、新宿で立ちんぼをやっていたという女性が話しているのを聞いて、「立ちんぼ」ということばが気になりました。「立ちんぼ」は、長いこと立ち続けて「きょうはずっと立ちんぼで疲れちゃった」とも使うし、昔は、道ばたに立って車を押したりしてお金をもらっていた人のことも言っていました。この「新宿で立ちんぼをしていた」のような「立ちんぼ」ということば、日本語の中でどういう意味でいつごろから使われるようになったのでしょうか。

 この4,5年の間に刊行された新しい国語辞典を引いてみます。五十音順に記します。

『岩波国語辞典第8版』2019年刊(『岩国』と略記)
たちんぼう【立ちん坊】①立ち続けること。②道ばたに立っていて、人力車のあと押しなどをして金をもらう者。▽「たちんぼ」とも言う。
『広辞苑第7版』2018年刊
たちん-ぼう【立ちん坊】①立ち続けていること。また、その人。たちんぼ。「終点まで―だった」②明治・大正初期、坂の下などに立っていて車を待ちうけ、車のあと押しなどをして、金をもらった者。鮟鱇あんこう。芦花、みみずのたはこと「両国橋の上で…如何にも汚ない風をした―に会ふた」
『三省堂国語辞典第8版』2022年刊(『三国』と略記)
たちんぼ【立ち(ん坊△)】①〔話〕同じ場所に、立ったままでいる〈こと/人〉。「一日―だ」②〔俗〕まちかどに立って客引きをする売春婦。▽たちんぼう。
『新明解国語辞典第8版』2020年刊(『新明解』と略記)
たちん ぼう[0]【立(ち)ん坊】ある時間ずっと立ったままでいること。「立ちんぼ[0]」ともいう。〔狭義では、人集めに来たトラックなどに乗って現場に行き、その日一日土木工事などに従事する日雇い労働者を指す〕
『明鏡国語辞典第3版』2021(『明鏡』と略記)
たちん-ぼう【立ちん坊】①長時間立ち続けていること。②明治・大正のころ、坂の下などに立って待ち、通りかかった荷車の後押しをして駄賃をもらった人。たちんぼ。

 5冊の辞書を見ましたが、まず「たちんぼ」「たちんぼう」の2つの語形があるとわかります。元は「立ちん坊=たちんぼう」だったのが、縮めて「たちんぼ」と言うようになったということです。そして『岩国』など4辞書は元の語形の「たちんぼう」を見出し語にしているのに対して、『三国』では「たちんぼ」が見出し語になっています。つまり、この辞書では今の日本語では「たちんぼ」が中心だというわけです。

 ことばの意味としては、どの辞書も第1義は、「長く同じところに立っている」ことで、「終点まで立ち坊だった」のように使うことばだとわかります。2番目の意味として、『岩国』『広辞苑』『明鏡』は、「道ばたなどに立っていて、人力車や荷車が来たら押して手伝っていくらかのお金をもらった人のこと」だと言っています。『広辞苑』『明鏡』は、明治・大正のころと限定していますし、『岩国』も「人力車のあと押し」などと言っていますので、現在の人のことではないと想像できます。『三国』は「②〔俗〕まちかどに立って客引きをする売春婦。」としています。「俗語」であると断りながら「売春婦」のことだと明記しています。『新明解』は狭義と断ってはいますが、「日雇い労働者」と言っています。

 5冊の辞書で第2義の「立っている人」の意味が3つに分かれています。「新宿で立ちんぼをしていた」と言われて、どんなことをしていたか知ろうとして、現在の辞書を引いてもすぐには答えがわからないかもしれません。

 『三国』だけが、冒頭のYouTubeの「たちんぼ」と同じ意味を示しています。はっきり「まちかどに立って客引きをする売春婦」と書いています。「売春婦」の「売春」は最近では性を買う人がいるから成り立つことなので「買春」と言い換えることが多くなりました。『三国』がいつごろからこの語釈をつけているのか少しさかのぼってみます。

『三省堂国語辞典第7版』2014年
たちんぼ【立ち(ん坊△)】①〔話〕同じ場所に、立ったままでいる〈こと/人〉。「一日―だ」②〔俗〕まちかどに立って客引きをする売春婦。▽たちんぼう。
『三省堂国語辞典第6版』2008年
たちんぼう【立ちん坊】〔俗〕同じ場所に、立ったままでいる・こと(人)。立ちんぼ。

 第7版が現行のと同じ語釈です。ここで、『三国』が②の「売春婦」のような語釈をつけ始めたのは2014年刊行の第7版からだとわかりました。おそらく2014年の改訂のころ、『三国』の編集者や執筆者は「新宿で立ちんぼをしてた」というような言い方が多くなったと気がついたのでしょう。

 なお、次々に出てくる新語を毎年捉えて報告している新語辞典の『現代用語の基礎知識』(自由国民社)を1980年後半から最近までずっと調べましたが、「たちんぼ」「たちんぼう」の語は採録されていませんでした。

 さて、もうすこし「たちんぼ」の実際の使われ方を見たいと思います。新聞記事を見てみます。

「私、立ちんぼだった」新宿で差し伸べられた手 街娼と支援者
かつて歌舞伎町の一角で、「『立ちんぼ』をしていたんです」という40代女性が取材に応じた。(朝日新聞DIGITAL2022年4月30日 16時00分)

 最初のYouTubeの人と同じように、新宿の歌舞伎町で立ちんぼをしていた女性の話です。この記事の見出しには「街娼と支援者」と書かれています。「立ちんぼ」の女性のことを「街娼」ともいうということです。

 もう1例「立ちんぼ」がありました。

「1990年 豊島の産廃不法投棄の摘発 権力との闘い、消費社会も問う」(朝日新聞DIGITAL2018年6月13日 16時30分)
 住民リーダーの1人、安岐(あき)正三さん(67)はハマチの養殖を断念。それでも、「弱者である私たちが権力と戦うには、事実を伝え、世論を味方につけるしかなかった」。住民は県庁前で抗議の「立ちんぼ」を冬から春の半年間続けた。

 ここの「立ちんぼ」は、いままでの辞書の語義の①に近いもので、産業廃棄物を豊島に持ち込むことへの抗議のために、半年間同じ場所で立ち続けたということです。

 「立ちんぼ」は古くて新しいことばです。いろいろな意味で使われていることがわかりました。そのため、意味があいまいになりやすいことばです。あいまいだから、「新宿で立ちんぼしていた」は「新宿で売春婦/街娼をしていた」と比べて軽くてさらりと言えてしまいます。それだけ事態は軽くみえます。当事者にとっては負の意識が軽くなるので救われるかもしれません。しかし、本質的に見てこういう立場にいる人を減らすこと、なくすことを考えなければならない社会としては、軽く楽に使えるようなことばの使い方は好ましくないといえます。

 新しいことばが出てきた時、新しい意味が加わった時、面白いから、スマートだから、言いやすいからとすぐ使う前に、そのことばの出てきた背景や歴史を考える必要がありそうです。