10月29日、秋晴れの横浜の大桟橋の近くで、神奈川版の女性による女性のための相談会(以下「女性相談会」)が開かれました。東京で去年の3月に初めて開いてから5回、そして今度は神奈川版です。神戸でも開かれていますし、どんどん広がっています。しかし、こういう相談会が広まっていくのは、いいような反面、考えてみたらそれだけ女性の貧困や抱える問題の大きさ深さが広まっていることですので、あまりいいこととも言えません。
それにしても、神奈川の女性たちのこの会を開くまでの準備に割いた労力は大変なものでした。たくさんのちらしを刷って、夜の繁華街に宣伝に行き、一方でマルシェで持ち帰ってもらう品物を集めるのに、フードバンクや農業団体などいろいろなところに提供をお願いしと、それぞれのルートを生かしての大活躍。離婚問題や労働問題などの相談にのれる専門的なスタッフを確保し、当日相談に来た人の問題が少しでも軽くなり、来てよかったと思ってもらえるようにと、毎晩のようにMailがとびかい、ZOOMではほとんど毎週打ち合わせが行われました。
そして当日です。
やはり、いろいろな問題を抱えた女性が訪ねてきました。以前東京で開いたときは、ネットカフェで寝泊まりしていて身の回り品を全部持参の方とか、寒空に見るからに薄着で来た方もいましたが、今回はみなさん普通の身なりで、スタッフと区別がつきません。ところが、ちょっと失礼かと思いながら「おにぎりもありますけど…」と言ってみると、さっと手が出て、「実は何も食べずに来たので…」という方だったりするのです。最近の物価高で、食べるものにいちばん影響が出ていることがすぐわかります。
寄せられた相談は、生活困窮、労働、家族問題などが主なものでした。家族問題は、夫婦間の離婚に加え、中高年層の相談者が自分の高齢の親のことを相談する例も多くありました。
また、障がいを抱えている相談者も数人来られ、障がいを抱えていることで「仕事が続かない、仕事が見つからない」という訴えもありました。
以下にその相談の事例をいくつか挙げてみます。できるだけ、個人が特定できないような、いわば一般的で共通性のあるようなものに限っています。
[1] 漠然とした不安がある。お金がなくなったり、病気になったりしたら…。相談できる人がいない。
[2] 一人暮らし。両親が共に病気で、相談できる人がいない。職場でモラハラ、セクハラがある。職場のいじめに遭っている。
[3] 離婚調停中。夫から慰謝料請求されるのではないかと不安だ。
[4] 障害者年金を受給し、一人暮らし。話せる相手がいない。今のところ、生活費は足りているが、そのうち物価上昇に追いつかなくなる。日常的な人間関係のことも相談したい。
[5] 貯金を崩して生活している。生活苦。相談機関の情報がほしい。
[6] 80代。話がしたくて来た。
やはり経済的な不安を抱えている人が圧倒的に多いのです。女性がずっとおかれてきた、経済的に自立出来ない社会的構造の結果が如実に表れています。そのための老後の孤独と不安も大きいのです。「話せる人がいない」「話したくて来た」は、たとえお金に困っていなくても、人として生きる上で、いちばん大きな悩みの現れでしょう。
こうした相談会に来られる人は、まだいい方かもしれません。もっともっと難しい厄介な問題を抱えていて、しかも誰にも相談ができないで、ひたすら困窮している、そういう女性の方がはるかに多いはずです。そういう人を救うことこそ行政の仕事でしょう。こうした「女性相談会」自体も本来は必要ないものです。困っている女性たちが増えているのに、国や行政が見逃している、あるいは、見て見ぬふりをしている?から、なんとかしなくてはと、やむなく、開くようになった相談会です。
相談会会場に来た方たちは、「あたたかく迎えてくださり、ありがとうございました。たくさんの物資、本当にうれしい」「ゆっくりとお話ができて、ありがたく思った」「思い切って来てみて本当によかったです」のようなコメントも残してくださいました。
だからといって、会を開いてよかったと素直には喜べないのも現実です。こんな会がないことの方が、はるかにはるかにいいのですから。
2022.11.01 Tue
カテゴリー:連続エッセイ / やはり気になることば