【参加者の声を報告します】11月2日開催オンラインイベント WAN主催シンポジウムーおとなの女が学ぶということー

村田晶子著「『おとなの女』の自己教育思想―国立市公民館女性問題学習・保育室活動を中心に」の書評セッションに続き、当事者の発表、おとなの女が学ぶことの過去・現在・未来についてのディスカッションを行いました。

シンポジウム第3部登壇者全員による「ディスカッション-おとなの女が学ぶということー」にお寄せいただいた参加者の声を報告します。
すべてのアンケート結果はこちら↓
https://docs.google.com/document/d/1u9-vV6U0zy5oJcZ3jIC24clt5sSAu97R2BQ6fZNGN7I/edit
(趣旨を損なわない範囲で、ご回答の一部省略、誤字脱字の修正などを行っています。)

関連サイト
●村田晶子「『おとなの女』の自己教育思想形成への組織化研究‐国立公民館女性問題学習・保育室活動を中心に」(Gaiyou8699.pdf 博士論文概要)
https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=65341&item_no=1&page_id=13&block_id=21
●シンポジウム開催案内
https://wan.or.jp/article/show/10266#gsc.tab=0
●シンポジウムの動画
https://wan.or.jp/article/show/10355#gsc.tab=0
●シンポジウム登壇者のレジュメ・資料
https://drive.google.com/drive/folders/1d2S8HmY_VSkT5-p1d5LP9iBvU5mONqyG
●くにたち市公民館保育室問題連絡会記録
https://wan.or.jp/dwan/dantai/detail/117?title=152#gsc.tab=0
●NPO男女共同参画フォーラムしずおか
https://forumshizuoka.jp/

*****登壇者全員によるディスカッションに対する感想・意見****
•大変面白かったです。学び続けてそこからどうするか、という自分の課題を再度発見しました。個人的なことで始まった学びを社会に次世代につなげていきたいと思っています。
•学んで、いろいろな人とつながり、化学反応のように自分もまわりも変化してこれからを生き抜こう!
•米田さんがおっしゃるように、内面化した差別やミソジニーを自分ごととして気が付くには、長期・人数限定の講座、それもゼミ形式が理想だと思う。まず学びのニーズがあることをアピールし、予算と人手をつけてほしいと、市民の側からも働きかけるべきなのだろうか。社会教育の場は十分に成熟したとは思えないし、もっと市民が活用できる場だと思う。
•社会教育での女性の学びが、そもそも女性自身が差別されている社会構造を学ばないまま、労働力としての女性活躍のキラキラを駆り立てるものになっていないかと、少し不安に思った。 •社会教育、生涯学習の場でジェンダー差別について長期講座で学びたいが、それを企画運営する市民や自治体職員は現在どれぐらいいるだろうか、できるだろうかと考えてしまった。社会教育の場で、女達が学び、テーマに女性差別を据えられた伊藤さんの時代がうらやましく思った。正面切って「女性差別」「男女格差」を社会教育でテーマにできないような気が私はしてしまうのはなぜなのか、理想の学びあいのデザインを、この先も考えていきたい。
•議会、政治の力によって女性が学ぶ事や自由な市民活動が制限され潰されている現実が存在していると思った。そして、それはどういう力によって、またどういう理由によって制限が加えられているのか、明らかにされなければならない由々しき問題なのではないか?とも思う。やはり女性の政治家が少ない事が大きな問題なのかもしれないとも思う。また、現在進行形の宗教団体の問題は絡んでいないのか?とも疑問に思った。
•誰もがSNSで発信できる時代にまでなったのだから、女性を学べなくし閉じ込める事は出来ないとは思う。しかし、このままでは一部の政治家達によって、女性達が学び、積み上げてきたものが無かった事にされてしまうように感じ、国立公文書館へ資料を移動する案が出されていたが、真剣に考えて頂いた方が良いように危機感を覚えた。黙っていると女性の問題は、一気に時代を押し戻されてしまいそうな恐ろしさを感じた。
•村田さんと上野さんの視点の違いがとても興味深かった。保育室運動はどういうものなのか?と思っていたが、上野さんのバッサリ切っていくものの見方に納得した。
•①センターの託児室についてのやりとり、興味深かったです。いつでも子連れで遊びに行ける場であるなら、「子どもをいきなり放り込む」ことにはならないでしょうし、資格のある保育者が常駐しているなら、子育て相談もできるでしょう。で、そういう保育者がジェンダーについての専門性も持っていれば、センターの本来の機能とそこへ来る母親・父親をつなぐこともできるでしょう。地元では国際交流センターと参画センターの複合化ということになりましたが、子育て支援センターとの相性のほうがずっといいと今日お話を聞いていて思いました。
②フェミニストペダゴギーの件、単位認定という権力を持つ大学という場ではなく、社会教育の場がふさわしいという御発言がありました。元の職場では、大学の持つジェンダー関連の資源(教員)を活用し、単位フリーで、地域住民に向けた男女共同参画に関わる長期連続講座を提供していました。おそらくこれは全国的にもそう多くはない例だろうと思っています。特に国公立の場合、地域住民は、そういう大学の活用の仕方も設置者に(現在は法人ですが)要求してよいのではないでしょうか。
•学んだことをどのように還元していくかが大切と思いました。
•次なる課題は、毎日が仕事と家事・育児・介護で忙しい現在の女性達(20~50代)の学びたい意欲を社会としてどう支えていくか、だと思いました。
•例え、受講者が一人であっても社会学習は意味があるとの言葉に感銘を受けました。
•第一部と第二部で同じ女性問題の学習とはいえ、違うものだと思えました。やはりフェミニズム等の女性問題学習は高学歴の女性向けのものではないでしょうか。国立市公民館の取り組みはそうではないと思いました(言語化できる人は必要ですが)。
•国立市の取組みの資料が散逸しないよう、切に願っている。無償のケアを税負担してない、と切り捨てられたのは違和感がある。
•女性学やカウンセリングに出会って、自分の息苦しさがジェンダーバイアスや育った家庭の狭い価値観のためだったことに気づけましたが、自分にしみこんでしまった価値観、先入観から自由になるには、絶え間ない学びと長い年月が必要でした。元農村だった実家のある地域では、未だに古い因習やジェンダーバイアスが残っています。できれば、子どもたちが洗脳されてしまわないうちに、自分らしさ、多様性を認める環境に出会えることを願っています。
•社会の現状、変化、進歩を知り感じ、学ぶことで、自分で考え対応し、自信が持てるようになる。安心して話して、聞ける場があることは自己肯定を高められる。そういう機会を求め、出会え、学べた人は本当に良かった。私も、子育ての時、そういう時間がほしかったが、探そうとしなかったと気づいた。

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