細胞診の結果、乳がんだったという衝撃にしばらく思考停止した後、震える手で真っ先にしたこと。
それは、航空会社の予約サイトを開いて、日本行きのチケットを調べることだった。

手術を受けるために、すぐにでも日本に帰らなくては。

マニラで手術を受けるということは全く考えなかった。

なぜなら、私のまわりの日本人の方々は大きな手術が必要になった時は帰国していたし、出産する方もたいてい、出産の数か月前に帰国する。
マニラの病院で出産や手術された方も知っているが、そういう方は「フィリピン生活の大ベテラン」「強者」として、周囲の日本人から畏敬のまなざしを向けられる。

私はフィリピン滞在9年目、日常生活の英語には困らなかったが、健康診断、歯医者の定期クリーニングですら、日本に帰国した際に行っていた。
やはり日本の病院が安心だった。

そして、ごく健康に生きてきた私は、「手術」も「入院」も今まで経験したことがなかった。
人生初の手術、しかも、がんの手術を「途上国」フィリピンで受ける勇気はない。
乳がんという結果の衝撃で頭が働かないまま、私は直近で取れる日本行きのチケットを必死で探した。

だが、当時(2021年11月)はパンデミック真っ只中で、マニラのロックダウンは続いていた。
海外との行き来は制限が多く、航空会社の予約サイトを見ても、海外渡航に関する注意書きが長々と書かれていて、チケットを予約できるのかどうか、日本に行けるのかどうかが、判断がつかなかった。

当時のマニラではマスクに加え、フェイスシールド装着が室内外で義務だった。

当時のマニラの美容院のポスター。スタッフはフル装備。



ただ、分かったことは、フィリピンを出国できても日本到着後に2週間の隔離が必要ということと、ワクチンを打っていない私はいったんフィリピン国外に出たら、フィリピンに入国できないということだった。(※2021年11月時点の渡航)

当時のマニラで、様々な場所で提示を求められたワクチン接種証明

時間とともにガンが進行する不安を抱えたまま、二週間の隔離生活に耐えられる自信はなかった。隔離を終えたら、日本で病院を探し、検査もやり直さなければいけないことも容易に想像がついた。
ネットで調べたら、乳がん手術で人気の病院では、数か月の手術待ちもあるらしい。
もし、日本に帰ったところで、いつ手術できるのか。

そして、すでに生活の基盤がフィリピンにあるのに、フィリピンに入国できなくなるというのも、避けたかった。
もし日本に帰ったら、フィリピンで働く夫に、いつ会えるのか分からない。

ただでさえ、ガンと診断されて、人生最大のストレスを抱えているのに、さらなるストレスを追加したくなかった。

そうなると、マニラで手術を受けるという選択しかないのではないか、とふと気づいた。


もちろん、マニラにも病院はある。
超音波検査、マンモグラフィー、細胞診まで、マニラで受けたのだから、 その流れで、マニラで手術することは可能だ。
我が家から車で5分もかからないところに、外国人駐在員もよく利用する大きな病院があった。そこならば、乳がんの手術も受けられるだろう。

状況から考えると、マニラの病院で手術を受けるのが最善と思われた。
だが、マニラで歯医者の検診にすら行ったことのなかった私には、マニラでの手術は容易には越えがたい、高いハードルだった。

子どもの頃から、私は石橋を叩いて渡る性格だった。
叩きすぎて、石橋を壊すぐらい、というほうが適切かもしれない。新しいことを始めるのに、人より準備の時間と勇気が必要だった。つまり、とても臆病ということだ。

それでも30代前半くらいの頃までは、まわりの友人や周囲の環境に鼓舞されて、新しいことへチャレンジをしていたが、年を追うごとに、その機会は減り、自分のコンフォートゾーンから出ない生活パターンになっていた。外出が制限されるパンデミックはその傾向に拍車をかけた。

コンフォートゾーンから出ない生活はとても楽だが、退屈で、そこに成長はない。

私が学ぶエネルギーサイエンスの師匠Master Del Peは、人が大きな病気や事故に合う時の原因には現代科学では証明できないものが多数あり、その一つとして”Spiritual Awakening(霊的な目覚め)”を挙げている。

師匠Master Del Peとの最近の一枚。

Master Del Peの理論では、肉体を持たない「Soul 霊魂」が肉体を持った「人格 Personality」を導いている。その「Soul 霊魂」が「人格 Personality」を急速に成長させようと思った時に、命に関わるような病気や事故を引き起こす場合があるという。
これは肉体がまだ元気で、その病気や事故をなんとか乗り越えられると「Soul 霊魂」が判断したときに起こるそうだ。

健康的な食生活やライフスタイルにとことんこだわってきた私が、なぜガンになったのか、当初、全く理解できなかったが、今は、私の「Soul 霊魂」からの「もっと成長しなさい」というメッセージだったのかもしれない、と思う。
実際、師匠Master Del Peからは、そう言われた。

最近、参加し始めたガン・サバイバーグループの集まりで
「がんは人生を変えるプログラムだと思う」と話したとき、参加者の方々はみな、大きく頷いていた。
がんを経験し、乗り越えた人が共通で感じることなのだろう。
ガンになってから、以前はやらなかったことにもチャレンジするようになった。 命がある限り、この身体を使って、いろいろなことを経験し、人の役に立ち、成長したいと思う。
「困難は成長する機会」と思うようになれたのは、手術後に出会ったエネルギー・サイエンスの師匠Master Del Peのおかげだ。

だが、乳がんと診断された頃の私は、マニラでの乳がん手術という、経験したことのない困難を受け入れる勇気に欠けていた。
状況から考えると、それが最適な選択肢なのだろうと思ったが、それでも「日本に帰りたい、日本のほうが安心だ」とあがいていた。

一人で考えても決断できなかったので、医師をしている高校時代からの親友に相談した。
彼女は乳がんが専門ではないが、高い向上心を持ち、アメリカに留学したり、常に学び続けている優秀な医師だ。
私を訪ねてマニラに遊びに来てくれたこともある。信頼できる友人だった。

「乳がんと診断された。日本に帰るか、マニラで手術を受けるか迷っている。早めに手術するならマニラの病院がいいんだろうけど、技術的なことを考えたら、日本に帰った方がいいのか、と思って。」とLINEしたら、診察や研究で多忙を極めるはずなのに、彼女はすぐに返事をくれた。

「医学生などを見る限り、決してフィリピンのレベルが低いとは思わない。けど、病院によるんじゃないかな。」

近所にマニラで5本の指に入る大病院があることを話したら
「そんな良い病院があるなら、そこで手術を受けるのが良い」と彼女は言った。

困難に直面した時に、相談できる友人がいたのは本当にありがたかった。

彼女のおかげで、私は不安な気持ちを抱えながらも、マニラで手術を受けることをなんとか決断できた。
手術に向けての説明を聞くために、細胞診を受けたクリニックに電話し、外科医の予約を取ったのだった。


筆者紹介:星屋智(ほしやちえ)
ブログ:https://ameblo.jp/yocchi-yoga
2013年から、フィリピン・マニラ在住。現地でヨガインストラクター、オンライン日本語教師として活動。
2021年 乳がんと診断され、手術、治療。治療の過程でエネルギー・ヒーリングと出会う。2022年 World institute for incurable diseases (WIID)認定エネルギー・ヒーリング アソシエートスペシャリストの資格を取得。
オンラインでエネルギー・ヒーリングのセッション、エネルギーを高めるエクササイズ、呼吸法、瞑想法のセミナーを行っている。