やはり、先日日光市で開かれた、G7の男女共同参画・女性活躍相会合の現実から目をそむけるわけにはいきません。各国の代表は全員女性で、議長を務めた日本代表だけが男性だったという、おかしくも悲しい現実です。

 その会合そのものを考える前に、まず「男女共同参画」のことばが気になります。「男女共同参画」とは、もともとGender Equalityの訳語だということですが、何ともわかりにくいことばです。そのまま「男女平等」とか「ジェンダー平等」と、どうして訳さなかったのでしょう。どうもこうした訳語にしたあたりから、日本の為政者の男女平等を推進しようという姿勢は腰が引けていたと思わざるを得ません。男女が平等になるーーあえて言えば、不平等の扱いを受けて来た女が男と平等になるということですーーという極めてわかりやすい目標を、なぜ掲げないのでしょう。男女が共同して何をするのか、何に参画するのか、中身が全然見えてこない訳語にして、自分たちはやっていますと、自己満足だかごまかしだかわからない目標を掲げているのですから、いつまでたってもジェンダーギャップ指数が上がらない、それどころか年々下がっているのだと思います。

 G7の男女共同参画・女性活躍相会合に入ります。

 このG7の会合について、東京新聞は次のように報道しています。

 G7が持ち回りで開催する首脳会議の関係閣僚会議の一つ。ジェンダー平等や女性への暴力根絶など、国際社会が抱える課題について意見交換する目的で、2017年にイタリアで初めて開催された。今回で5回目。日本では初開催。議長国・日本の小倉将信担当相以外は全員女性だった。(東京新聞6月26日デジタル)

 読売新聞も「日本だけ男性大臣」(yomiuri.co.jp)と報じています。

 この会議の参加者はG7の7人にEU、ジェンダー平等アドバイザリー協議会(GEAC)の代表で計9人ですが、悲しいことに議長国を務めた日本代表だけ男性でした。各国のメディアも皮肉っぽく報道したようです。

 「日本、女性の地位向上に関するG7会合の仕切り役に男性閣僚を送る」――。米タイム誌(電子版)は26日、こんな記事を配信したそうです。

 また、開催地の地元の下野新聞に、唯一の男性参加者である気分を問われた小倉担当相が、「男女共同参画に強い熱意を持つ男性リーダーが必要」と答えたとも伝えられています。(朝日新聞デジタル6月28日)

 小倉氏の「男女共同参画に強い熱意を持つ男性リーダーが必要」との発言、まさに今の日本の実際を言いあてています。彼は、自分が男性で、「強い熱意を持つリーダー」だと言いたかったのかもしれませんが、日本に本当に「強い熱意を持つ男性リーダー」がいたら、この会合に男性を代表として送るはずはないでしょう。他の8人と同じような女性担当相を送ったはずです。小倉氏の発言は、悲しい日本の現実を衝いています。そういう男性リーダーの長である岸田首相のリーダーシップが欠けていたのです。

 2022年の夏、総選挙後に第二次岸田内閣が発足しました。その組閣の時、2023年のG7の当番国になることはわかっていました。G7の当番国で関係閣僚会議がいくつか開かれ、その中にジェンダー平等や女性活躍の会議も含まれることもわかっていました。それなのに、その議長になるはずの男女共同参画担当大臣(言いにくくわかりにくい呼称ですが、正式名称ですから仕方ありません)に女性を選ばす、男性を任命した。そして、現実に男女共同参画・女性活躍担当相会議が日光で開かれ、議長国の代表9人のうちの唯一の男性とあって、世界からも皮肉られ、やっぱりジェンダー指数が低いのは当然ねと、みんなを納得させた。岸田さんのリーダーシップの欠如も最たるものです。

 G7の6人の女性に囲まれてただ1人男性が写っている写真、まさに日本のジェンダー指数125位のシンボルと言えます。この写真を見て、わたしは思います。今まで長い間、企業の幹部や国のいろいろな審議会、協議会などのメンバーに女性がお飾り物のように1人か2人選ばれて、黒いスーツの群れの中に紅一点とか、紅二点とかと言われ、肩身の狭い思いを女性はずーっとしてきました。今もそうです。そういう境遇に置かれた女性の気持ちが小倉担当相に少しだけでもわかったなら、怪我の功名というものです。

 さて、もう少し「男女共同参画」のことばにつきあってください。この会合に出席した小倉担当相の正式の肩書は内閣府特命担当大臣ということで、その担当は「こども対策 少子化対策 若者活躍 男女共同参画」ということになっています。だから今回の会議の代表となり議長を務めたわけです。それでは、ほかのG7の代表の肩書はどうなっているのでしょう。いくつかの国の大使館の発表している閣僚名簿を調べてみました。

 まず、ドイツです。「家族・高齢者・女性・青少年大臣」と出ています。非常にわかりやすいですね。カナダは「家族・子ども・社会開発大臣」と「多様性、包括性担当大臣」と担当がわかれていて、今回来日したのは「多様性」の大臣です。もう、男女ではなく、もっと多様な性を視野に入れているのですね。そして、フランスです。ずばり「女男平等・多様性・機会均等大臣」です。男女ではなく「女男平等」。さすが、女性閣僚が半数以上を占めている国の大臣です。男女平等でさえ名乗れない、日本の大臣とのこの差の大きさ。ジェンダーギャップが容易には縮まりそうもない現実を、担当大臣の名称からも思い知らされて愕然とします。絶望的になります。

 でも、わたしはフランスの「女男平等」のことばに勇気づけられます。いつでも「男女」でなくていい、女性のことが中心だったら女性が先でいいという、ことばの自由な使い方を示しています。「男女雇用機会均等法」は、女性が男性と均等でないのを均等にするというのですから、「女男雇用機会均等法」にしなければおかしいのです。絶望の中にもわずかに光を見いだした思いです。