
かつてバッシングが起きたとき、人々は何をして、何をしなかったのか
2022年夏、下北沢の本屋B&Bにて、「『かわいそうな存在としてのLGBT』を理解する?」と題したイベントに参加しました。きっかけは、ライターの松岡宗嗣さんがゲストとして出演していたから(松岡さんとはその前年に『あいつゲイだって――アウティングはなぜ問題なのか?』という本でご一緒しました)。その日の主役は教育学者の堀川修平さん。初の単著『気づく 立ちあがる 育てる――日本の性教育史におけるクィアペダゴジー』の刊行記念でした。
今や誰もが「LGBT」という言葉を目に/耳にしたことがあると思いますが、今から30年以上前の1980年代後半から90年代初頭にかけて、「性の多様性」に関する教育実践に、すでに取り組んだ教師たちがいた。しかもそれは、性的マイノリティ当事者ではなく、むしろ“当事者”と出会い、ときに批判を受けながらも自らの立場性を問い直した“非当事者”によって担われていた――。
私にとっては初めて知る歴史が、目の前で語られたのでした。ちなみに私自身、いわゆるシスヘテロ男性なので、先生方と同じ特権性を有しています。それゆえに、“非当事者”が担った運動に励まされる思いさえしました。
ああ、いい話を聞けたなぁ……。
それで終われたらよかったのですが、そうはいかなかったために今回の本が生まれました。どういうことかというと、私たちは下記の事実を知っているからです。2000年代、日本において苛烈な性教育バッシングがあったことを(事実、平成元年に生まれた私は、まともな性教育を受けた記憶がありません)。かつて行なわれていた実践の数々は、その成果は、一体どこへいってしまったの? もしそのまま実践が積み上げられていたら、今こんなことにはなっていなかったんじゃないの? そう思わざるをえませんでした。
さらにいえば、80年代後半から90年代初頭にかけて行なわれていたのは、主に異性愛規範を問い直す実践だったそうです。であれば、シスジェンダー規範を問い直すような実践はその後なされなかったのだろうか? という点も気になります。苛烈化する昨今のトランスジェンダー排除言説を鑑みるに、これは非常に重要なポイントになるはずです。
さて、こうした疑問にまるごと答えてもらったのが、『「日本に性教育はなかった」と言う前に』です。本書では、90年代、00年代、10年代と三度にわたった性教育バッシングの歴史を繙きつつ、同時に、それでも実践を止めなかった教師たちの軌跡をまとめた一冊です(90年代のバッシングについてはその存在を知らない方がいるかもしれませんし、90年代以後にも性教育実践はなされていたのかと意外に思われた方もいるかもしれません。私がそうだったように)。
「今度こそ、あらゆる子どもに性教育を、性の多様性に関する教育を届けるために」と、帯に書きました。そのために「私たちにできること、すべきでないこと」とはなんでしょうか。読み終わったあと、性教育をめぐる問題が、決して学校教育現場に閉じた問題ではないことが伝わるといいな、と思います。
◆書誌データ
書名 :「日本に性教育はなかった」と言う前に ブームとバッシングのあいだで考える
著者 :堀川 修平
頁数 :256ページ
刊行日:2023/7/27
出版社:柏書房
定価 :1,980円(税込)
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