ある研究プロジェクトの人選をめぐる小さな話です。

 ある研究組織の中で、ジェンダー平等を目指す数人の女性たちが、ジェンダー不平等の実態を様々な角度から掘り下げてみようと、共同研究のチームを作ろうとしました。自分たちの身の回りの、例えば保育園で、子どもたちはジェンダーについてどういう刷り込みを受けていくのか、スーパーで買い物をするとき、あるいは商品の配置にジェンダーが含まれていないかどうか、市内を走るバスではどうか、といった身近な対象の中の気づかないジェンダーを掘り起こしてみようというプロジェクトです。

 それぞれ、保育方面に詳しい人、興味のある人、交通機関でジェンダーを探りたい人などというふうに、そのプロジェクトに加わりたい人、加わってほしい人をリストアップして、10人のチームの案ができました。日常生活の中のジェンダーを探るというテーマで、この10人のチームで研究したいと、それを上司に持って行きました。

 テーマについては、特に言われなかったそうですが、そのチームに男性は入っているの、と聞かれたそうです。10人の中に1人男性が入っていたので、はい、入っています、と答えました。さらに、男女のバランスはどうなってるの?と聞かれたそうです。10人中1人です、と答えると、うーん、1人ねー、もう少しバランスを考えたほうがいいんじゃないの?と言われたそうです。

 この話を聞いて、わたしは、え?そんなこと言う人が今いるの?と驚き、同時にとても腹が立ちました。

 確かにバランスが取れているのは、バランスが取れていないよりいいことです。でも、そんなことを言うなら今まで、私たち女性は男性とバランスよく扱われてきたか、と言いたいです。とんでもない、いつもいつもなんでもかんでも男性中心、男性優位、女性軽視、女性蔑視というアンバランスの待遇でずーっと我慢し悔しい思いをし続けてきたではありませんか。

 姉と弟の2人きょうだいで、経済的に豊かでなかったら、弟は大学へ進んでも姉の方は高校を出て就職、よくて短大というケースがほとんどでした。女と男の大学院生が同じ大学院を修了して、同じ専攻のポストが空いたら、指導教授は男性をまず推薦したでしょう。つい最近まで都立高校で入試に女子高校生の合格点を高くしていました。同期で入社しても、女性だからというだけで昇進が遅れる例は山ほどあります。

 国の審議会とか有識者懇談会とかいう会合でも、男女のバランスが取れた人選はほとんどありません。大勢の黒々としたスーツの中に、たまにオレンジ系統や水色のスーツなどが混じっている光景は今でも続いています。最近では副大臣と政務官計54人の中に女性はひとりも入っていなかったではありませんか。

 研究会を計画した女性たちは、こうした男性偏向のアンバランスに抵抗しようとして、男性1人が混じったチームを考えたのではありません。テーマに合わせて、その知識があったり興味があったりする人を選んでいたら、10人のうち男性が1人いたということです。結果として女性に偏った人選になったにすぎません。 まさかここで女男の比率を聞かれるとは思ってもみなかったと、彼女は言います。今までのチームには男ばかりのもあったし、女性は1人2人しか入っていないチームはたくさんあったのに、そういう男性に偏ったチームの時は、何も問題にならなかった、女性に偏った時にはバランスが問題にされる、それはどうみてもおかしいと言います。

 そのとおりだと私も思います。今の日本の実状では、こうした人選が女性に偏ることがあるとしたら、ジェンダーや子どもや家庭の問題を扱うような分野を除いて、ごくわずかな分野にすぎません。そうしたわずかな分野で女性の数が優位に立つことさえ、バランスの美名のもとに咎められなければならないのでしょうか。いえ、そんなことをいう上司はセクハラで訴えられるべきです。

 さきほどの彼女たちは、いったんは引き下がったものの、このメンバーはテーマに合って選んだ人たちです、「適材適所で」選びましたと、突っぱねると言っています。