1938年、長崎の女性作家・青山千鶴子(モデルは林芙美子とされる)は、日本統治下の台湾総督府と台中の日本人婦人会に招かれ、講演旅行に旅立つ。「「食いしん坊」という名の妖怪みたいなものよ」という千鶴子は、その妖怪を、料理の腕と歴史や文学の素養で手なづけてくれる台湾の女性通訳・王千鶴と出会う。ともに20代の千鶴子と千鶴が、「台湾の味」と縦貫鉄道の旅へと向かう、女ふたりの漫遊記。

「『史記』では『王は民を以て天と為し、民は食を以て天と為す』と言いますね。たくさん食べられるのは良いことですよ」という千鶴に、千鶴子は「私みたいな大食いの妖怪の仲間など、この世に存在しないだろうと思っていた。千鶴ちゃん、これは運命の出会いよ。いっしょに台湾を食べ尽くしましょう!」と、二人は一年近くの旅を続けて親密になっていくのだが・・・

 楊双子著・三浦裕子訳『台湾漫遊鉄道のふたり』(中央公論新社、2023年4月25日)は、著者・楊双子が、千鶴子と千鶴の二人の想いと旅を綴る「虚構」の物語として創作したもの。台湾を題材に「迷宮」の世界へと読者を誘う、おすすめの一冊。川本三郎さんの書評(毎日新聞2023年6月3日付)を読み、早速、この本を手にした。

 楊双子は1984年生まれ。台湾歴史「百合小説」(女の友情を描く青春小説)のジャンルを切り拓いた作家。三浦裕子の日本語訳も、とても読みやすい。

 楊双子の、双子の妹・楊若暉は、日本統治時代の資料調査と日本語文献の翻訳を担当したが、2015年、30歳の若さで亡くなる。訳者の「あとがき」によれば、姉のペンネーム「楊双子」には、この本が「姉妹の共同作業である」との思いが込められているという。

 日本統治下の台湾。1895年、日清戦争後の下関条約で、台湾は清国から日本に割譲され、1945年、日本敗戦までの50年間、日本の植民地だった。後藤新平をはじめ民政長官による「内地延長主義」の統治政策により、日本語学習や鉄道敷設、水利事業など「同化政策」を推進していく。1899年、総督府に鉄道部を設置し、1908年、台湾縦貫鉄道が完成。1937年、日中戦争勃発後は「皇民化政策」のもと、台湾語、客家語、原住民語の使用を抑圧・禁止。日本式の生活習慣をもつ家庭を「国語の家」と認定し、進学、就職、商売の認可などの優遇施策を講じた。

 一方、1930年10月27日、台湾中部・霧社のセデック族6部落の原住民が日本当局に武装蜂起し、日本人134人を殺害した「霧社事件」が起こる。翌年4月25日には第二霧社事件とされる虐殺事件が起こり、蜂起前のセデック族の人口1236人のうち、生き残ったのは298人。うち282人が故郷を追われて川中島(現・清流集落)に強制移住させられた。強制移住先では「霧社事件」を語ることはタブーとなり、戦争が始まると、日本軍「高砂義勇隊」として出征した現住民もいたという。

 その80年後に、魏徳聖監督の映画「セデック・バレ」(2011年)、ドキュメンタリー映画「餘生 セデック・バレの真実」(2013年)が制作される。「餘生」とは「生き残り」の意。その史実を魚住悦子さん(台湾原住民文学研究者)が、寄稿「霧社事件から93年」に詳しく書いている(毎日新聞2023年10月25日付)。

 「生活ってものはね、社交とか接待とかじゃないの。ご飯を食べる、服を着る、道を歩く、夜眠る、――そういう日常のことよ。私は本島人の生活をもっと深く知りたいの」と千鶴子が言う。「その土地の風情を身をもって知るためにはレストランでの宴席よりも屋台の方がいい、ということでしょう?」と千鶴は返す。「まさにそれよ、千鶴ちゃんは私の心の友だわ」。だが、千鶴は笑顔を見せながらも、どこか能面のような陰りを漂わせている。千鶴の表情に、もどかしさを覚える千鶴子。そしてその「謎」は、やがて解けるのだろうか?

 各章のタイトルに台湾の食の名前が並ぶ。瓜の種、米粉の太うどん、黄麻の葉のスープ、肉のうま煮、冬瓜の甘いお茶、〆のスープ、五目寄せ餅、しょっぱいケーキ、氷蜜豆などなど。屋台で売られているおいしそうな品々。瓜やひまわりの種の食べ方も面白い。読んで、ほんとに食べたような気分になって、味や香りが文面からも伝わってきた。

 千鶴は伝説の料理人「総舗師」の阿盆師のもとに千鶴子を連れていく。「日本人のために料理はしない」という阿盆師に、千鶴はサイコロの賭けに勝ち、「菜尾湯をお願いします」と約束させる。台湾の宴席料理は全部で12品。食べ残しをすべて使って最後のスープをつくる。それが「菜尾湯」だ。その前に12品全部を平らげなければならない。さて千鶴子と千鶴は「菜尾湯」と合わせて13品すべてを食べきれるのかしら?

 この食事を最後に千鶴は通訳を辞する。統治される本島人(台湾の人)と統治する内地人(日本人)との間に真の友情は成立するのか。台湾を気に入り、千鶴を大事に思っていても、それは支配者たる日本人の傲慢ではないか。「独りよがりな善意ほど、はた迷惑なものはございません」と台湾人の役人に指摘され、「目ありて見ず、耳ありて聞かず。私はまさにそれだったのだ」と千鶴子は、ハッと気づく。

 最後に二人の関係はハッピーエンドを迎えるのか。それは読み終えた読者一人ひとりが、胸に問いかけ、自ら出す答えなのかもしれない。

        客家の集落


 私は1999年6月と2013年4月に台湾を訪れた。喜寿の祝いに三度目の台湾旅行に出かける予定だったが、コロナ禍のため断念した。でも、きっとまた行くからね。

 初めての台湾は北部・北埔で香檳烏龍茶を栽培する客家の集落を訪れ、竹で囲った作業所でいただいた家庭料理の味が、今も忘れられない。

 二度目の旅は古希の祝いに娘と2歳8カ月の孫娘を連れて。台湾の若者は子どもとお年寄りに実に優しい。乗り物では席を譲られ、ちょっとした階段もベビーカーに必ず手を添えてくれる。長幼の序が、まだ残っているんだ。動物園のパンダもタイガーも檻はなく、亜熱帯の森の中で、のびのびと生息していた。エレベータのドアが開くと「到了」(Daole)とアナウンスが流れ、そのたびに孫は「ダオラ」と返していた。

 鼎泰豊(ディンタイフォン)の小籠包に人々が並んで待っている。カニやヘチマやエビ、タロイモ入りのジューシーな味は格別。士林夜市の「十全排骨老店」で薬膳スープをいただく。台湾では朝食を安い屋台でとる人たちが多い。香港も上海も、そうだった。だって、おいしいんだもん。そして永康街の「永業書店」で台湾文具をお土産に買って帰る。

       台湾土林夜市

        台湾式朝食

         永業書店


 今、台湾は新住民が続々と増えている。NHKおはよう日本(2023年10月25日)朝7時のニュースで、「1990年の戒厳令解除以降、国際結婚やその他の理由で台湾籍を取得した新住民が2世を含めて100万人を超え、台湾原住民を上回った。新住民たちは中国大陸、ベトナム、インドネシア、香港、マカオ、フィリピンからやってくる」と放送していた。

 現在、台湾と外交関係を結んでいるのは世界で13国のみ。蔡英文政権が掲げた「新南向政策」により、東南アジアの国々との結びつきを強化しようとの試みの結果でもある。

 新住民の子どもたちは冬休み、父や母の母国へ里帰りをして学習体験活動をする。しかも訪ねる国によって一人当たり7万円~21万円の補助金が提供される。

 さらには2014年、東南アジア諸言語を初等教育に採り入れる試みが始まり、2019年、義務教育が9年から12年になるのに伴い(義務教育の12年間は学費が無料)、「新住民言語」カリキュラムとしてベトナム語、インドネシア語、タイ語、ミャンマー語、カンボジア語、マレーシア語、フィリピン語の7カ国語の中から自由に選んで学べるようになった。すごいなあ、台湾は日本の教育制度を、はるかに超えている。

「台湾の持つ価値は、自由、民主、多様性、寛容」という蔡英文総統の言葉に大いに納得。2020年の総統選挙では投票率はなんと75%だったとか。ただ、「一国二制度」を掲げる中華人民共和国の動きもあり、2024年1月に迫った総統選挙のゆくえが、目下、注目の的になっている。

 また、台湾は東南アジア諸国と並んでIT化のスピードが速い。だからオードリー・タンも、2016年、蔡英文政権で行政院に入閣、デジタル担当相となり、2022年には、数理発展部の初代部長(大臣)に任命されたのだ。

 2019年5月17日、台湾で「同性婚特別法」が成立した。アジア初の「同性婚」の法制化だ。その日、立法院(国会)の外では平等を支持する4万人の人たちが歓声を上げたという。トランスジェンダーであることを自ら表明するオードリー・タンにとって、「ブロードバンドは人権」であり、ネットワークは、彼女の魂が宿る場所だという。ほんとに台湾は進んでいる。

 中国語で「開心」とは「うれしい」の意。心を開けば大いに愉快。みんなで大きく心を開こう。そうしたら、どんな人たちも認めあう「多様性」と、共にその場にいるという「共感力」によって、世界中に戦争なんて、きっときっと起こらないと思うから。