中国のファッション雑誌『ELLE CHINA』が35周年記念号として「新たな女性主人公へのトリビュート-Change MAKERS」と題した特集を組みました。

その特集の冒頭インタビューに、今中国で大ブームを巻き起こしているWAN理事長の上野千鶴子さんが取り上げられました。

『ELLE CHINA』から翻訳と掲載の許可を得て、そのインタビューの日本語訳を掲載します。

オリジナル記事は次のリンクから読むことができます。
『ELLE CHINA 35 ANNIVERSARY ISSUE』

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わたしたちは上野千鶴子さんと彼女のご自宅で対談しました。

上野さんは、今日の東アジアの文化において最も影響力のあるフェミニスト学者であり、わたしたちに女性であることのジレンマと意味、そして女性が持つことができるあらゆる可能性について再考する機会を与えて続けてくれています。

BY 耿元 公開日:2023年10月7日
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日本、東京、吉祥寺。

東京一の繁華街である新宿駅から、人波に揉まれながら混雑する中央線の電車に乗り、その巨大なアジアの都心から少しずつはなれ、武蔵野市の吉祥寺に到着しました。ここは都民が住みたい街NO.1の街です。ここでは都会人の精神面のニーズが満たされるとともに、物質面でも需要が満たされています。-過度に商業化されておらず、また都心からも遠くないところです- 絶妙なバランスがとれているこの街は、社会学者が住むのにもっとも適しているところだと言えるでしょう。上野千鶴子さんはそんな街に住んでいます。わたしたちはマンションの一階で上野先生の担当編集者にお会いしました。その方から、先生は日本の社会においては珍しく率直に物事をいう女性であると伝えられました。

上野先生は十数冊の本を持ってきました。そのほとんどが過去10年間の著書でした。75歳の学者がこれほど多くの著書を執筆し続けるのは極めて異例なことです。彼女に、どの本がいちばん好きですか、と尋ねると、上野先生はそれらの本を眺め、少し考えてから、「みんなわたしの子どもです」と答えました。

わたしたちは彼女とリビングのバルコニーに立ち、遠くにある東京タワーとスカイツリーを眺めました。ちょうど夕立が近づいてきていて、雨雲が立ち込め、灰色の空に稲妻が光りました。わたしたちはワクワクしながら「思想の暴雨」の到来を待ちました。

上野さんは子どものような無邪気さと好奇心を保ち続けています。その日、彼女はユニークなデザインのバラのネックレスをつけていました。どこで買ったんですか?と尋ねると、お気に入りのデザイナーの手作りだと答えました。そして、「誰も買ってくれる人がいないから、自分で自分に誕生日プレゼントとして買ったの」と身をかがめて笑いながら言いました。

とても不思議なことに、今回の取材者であるわたし(厳芸家)をはじめ、そこにいた全員が、上野先生との間になんともいえない強いつながりを感じていました。たとえ上野先生が中国語を話さなくても、わたしたちが日本語を話さなくても、相手が言っていることや言おうとしていることがわかりあえた気がしました。上野先生も同じように感じられたようでした。わたしたちは女性としての経験を共有するとき、実は同じ一つのストーリーを語っているのかもしれません。

取材後、上野さんは先ほどの本を指差し、「サインするから一人一冊選んで持っていっていいよ」と言いました。わたしはまず、中国から持参した中国語版の『女ぎらい』にサインをもらい、それから上野さんの最新の対談本である『快楽上等!』を選びました。おもしろいことに、そこにいた日本人男性スタッフも一緒になり、一人ずつそのフェミニストの著書を両手に持って並び、この東アジアの女性たちに影響を与えた人物から、「上野千鶴子」ときれいな字で書かれたサインをもらいました。

インターネット上の有名なアイコンと違って、わたしたちが目にしていたのは、真の学者であり、かわいくて無邪気な思想家でした。

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特別対談:上野千鶴子×厳芸家
場所:上野千鶴子さんの自宅

厳芸家:心理カウンセラー、人気心理学ブロガー、児童青年期の精神分析的心理発達問題を中心に研究。UCL精神分析的発達心理学修士、UCL児童青年期の精神分析的心理療法博士。
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厳芸家(以下、厳):上野先生、こんにちは。お会いできてとても光栄です。先生の著書を拝読しました。わたしをはじめ多くの中国人女性が、先生の本を通じて女性としての可能性を読み取ることができました。わたしたちは、それぞれの心の中に、かつて子どもだった自分をもっています。児童発達の研究する心理療法士として、上野先生の心の中にはどのような子どもがいるのかとても興味があります。まず、「上野千鶴子」という名前にはご家族のどのような期待が込められているのか聞かせてください。誰がこのお名前をつけたのでしょうか?

上野千鶴子(以下、上野):「上野」も「千鶴子」も日本ではとても一般的な姓名です。中国のみなさんもご存知のとおり、「千鶴子」は文字どおり「千羽の鶴」というおめでたい名前です。わたしには5歳上の兄がいるのですが、5年ぶりに娘が生まれたことで家族は大喜びしました。セクシストの父が「娘が生まれてめでたいめでたい」と言いながらつけた平凡な名前です。

厳:お兄さんがいるということですが、子どもの頃、「ああ、わたしは女の子なんだ、男の子とは違うんだ」と気づいた瞬間はありましたか? また、そのときどのようなことが起こり、どのような気持ちになりました?

上野:とても鮮明に覚えていますよ! わたしは兄と弟の真ん中の一人娘なのですが、あるお正月、父はわたしたち子どもに「大人になったらどんな人になりたいか?」と尋ね、兄に「社会に役立つ人間になりなさい」と言いました。年齢順にいくと次はわたしの番だと待っていたのですが、予想外にも父はわたしを飛ばして弟に尋ね、兄と同じように「社会に役立つ人間になりなさい」と言いました。待っても待ってもわたしには質問がまわってこないので、「わたしは?」と尋ねました。すると父は「ああ、あなたもいたんだね」という顔をしながら、「ちこちゃんはいいお嫁さんになるんだよ」と言いました。わたしは父にとてもかわいがられていましたが、父の愛し方は息子と娘では違うものだということがはっきりとわかりました。わたしは愛されていましたが、期待はされていませんでした。この愛情はペットをかわいがるような愛情であり、一種の「ペット愛」でした。子どもは侮れませんよ。それぐらいのことはわかります。

厳:多くの女の子は3歳から6歳までおままごと遊びをするのが好きですが、あなたはどんな遊びをしていましたが? 遊びのなかで自分の将来の姿を想像したことがありますか?たとえば、このくらいの年齢の女の子は、将来家庭を持つことを想像し、母親役を演じることが多いですが、あなたはどうでしたか?

上野:わたしが当時住んでいた家には堀があり、そこからほとんど出ず、家の中で兄や弟と男の子の遊びをしていました。チャンバラごっこや西部劇ごっこが好きで、わたしは昔からお転婆でした。『アニーよ銃を取れ』という女性が主役の西部劇があるのをご存知ですか? わたしはいつも悪漢をやっつける主人公のアニーというヒロイン役を演じ、弟を部下に従え、悪役の兄をやっつけるという遊びをしていました。

厳:子どもの頃からヒロインだったんですね。

上野:でも挫折もしましたよ。学校にあがると、クラスの女の子たちのグループ力学というのがありますよね?私は堀の中で育った子どもだったので、彼女たちに馴染めず、受け入れてもらえませんでした。だから幸いにも、わたしは女の子同士のいじめや権力闘争のようなものには巻き込まれずに、そこから一定の距離を置いたところで、ちょっと変わった子として一人で過ごしていました。わたしがいじめにあわなかったのは成績が良かったからかもしれません。

厳:身体の変化がはじまる思春期には、特に女の子は新しい感情を抱きはじめますよね。 女の子は自分の身体は男性の身体の構造とは違うという事実に直面します。14歳から25歳にかけて、ご自身の身体の変化をどのように感じましたか?また、変化していく女性の身体は好きでしたか? その当時のご自身を表すキーワードを3つ挙げるとしたら何ですか?

上野:思春期は本当に大変でしたよ! 事前にいただいたインタビューの質問を見たとき、この質問がとてもおもしろいと思いました。私の答えは、まず「無知」、次に「愚か」、そして「不機嫌」です。わたしの青春時代がいかに暗かったかがわかるでしょう。思春期の変わり目に「わたしは女として生きていくのか」と意識し始め、まわりの男の子たちも異性として接してくるようになりました。たとえば、彼らがわたしに手紙を書くとき、最初は「高貴な女性」を意味する「貴女」から始まるのですが、それが次第に「君(きみ)」になり、そのうち「お前」になりました。男の子たちのこうした態度の変化にわたしは戸惑い、なんだこりゃ?と思いました。

その後成長するにつれ、わたしの人生で最も身近な女性のモデルは母でしたが、母の人生はどう見ても幸せなものではありませんでした。彼女は、仲の悪い亭主関白の夫の顔色を見ながら生涯仕えていました。もし「女として生きる」ということが、母のような人生を送ることだとしたら、そして子どもの頃に父が言っていた「いいお嫁さんになること」がこういう人生だとしたら、それはわたしにとってとても耐えられないことでした。そんなことで、わたしの青春時代のキーワードとして先ほどの3つをあげてみました。あなたにとっての青春時代のキーワードは何ですか?

厳:わたしにとっては、まずは「不安」、次に「多彩」、そして「迷い」です。

上野:「不安」や「迷い」はよくわかりますが、「多彩」というのは、青春時代はとても刺激的でカラフルだったということですが? わたしの青春時代はモノトーンでした。

厳:当時、小部屋から脱出してより広い世界を見るような機会に恵まれたので、それで多くの色が見えたと感じたのかもしれません。ただ同時に、そのために混乱も増えました。多くの女性は成長の過程でさまざまな考え方に出会いますが、女性の進歩につながる思想に出会った途端、自身の家族や友人、恋人がフェミニズムの道にはいないことに気づかされます。その瞬間、女性は混乱に陥り、さらには失望したりするかもしれません。わたしはこれを「フェミニストの孤独」と呼んでいます。この経験を話すと多くのフェミニストたちが共感してくれます。この点に関して先生はどうお考えでしょうか?

上野:わたしはまったく逆ですね。わたしが若かった頃は、ウーマンリブというものがまだなかったので、それが登場したときに、ああ!これが、わたしが言いたかったことだ!と思いました。それからわたしは同じような考えの人々が集まるところに出入りするようになりました。わたしはフェミニストになることで大勢の仲間や友人を得ることができたのです。
どうしてフェミニストになると孤独になるのですか?

厳:わたしのまわりには女性の友人が大勢いますが、彼女たちは自身のフェミニズム思想に同感する男性がほとんどいないと感じています。それで、恋をするのであれば、フェミニストという立場をある程度放棄しなければならないという矛盾に陥ります。

上野:そうでしょうか?私は昔から非常識な人だと思われていましたが、このようなわたしでもフェミニストの集まりに行くと、自然に受け入れられました。わたしはずっと男性と恋愛しておきており、男性が嫌いなわけではまったくありません。ある意味、わたしは不完全な女であり、相手も不完全な男です。だからフェミニストとしての私のアイデンティティは、わたしが男性と関係を持つ際の障害にはまったくなりませんでした。もちろん、恋愛は甘いだけの関係ではないので、たくさん傷つけ合いましたし、後悔することもたくさんあります。

厳:では、あなたの人生で、些細でありながら、決定的な瞬間はありましたか?

上野:18歳のとき、なにがなんでも親元を離れて大学に行こうと決心しました。それはわたしの人生にとって決定的な瞬間でしたが、些細なことではありませんでした。わたしが大学生だった頃は、昭和の学生運動の真っ只中であり、この歴史的な時期がわたしの青春時代と重なり、わたしに大きな影響を与えました。

この時、理想を求めて男女が共に同志になって戦いましたが、その理想が完全に裏切られ敗北しました。さらに敗北感だけではなくて、その中で男と女の差を見せつけられました。男と女の間には大きな役割分担があり、男は正面に立ち、女は後方支援でした。女はバリケードの後ろで、おにぎりを握っていました!わたしはどれだけの数のおにぎりを握ったことか!そのときに性差別があるということを痛感しました。だからあの日あの時、誰がわたしに何を言ったか、何をしたのか、今でも心の中に恨みつらみを覚えていますね。

厳:ある意味、子どもの頃に遊んでいたヒロインごっこと似ているかもしれませんが、真逆の現実がありましたね。これはたしかに、フェミニストにとっては大きなショックでしたね。

上野:わたしは学生運動に参加する前に思春期を過ごしていましたが、その頃すでに「男女の違い」を感じていました。しかし、このような運動に違いがあるはずはなく、わたしたちは共に戦っている同志であるはずなのに、男性の同志とは異なる扱い、性差別を受け、わたしだけではなく多くの女性の活動家が傷ついたと思います。

厳:女性は成長するにつれて多くの衝撃的な瞬間に直面すると思いますが、同時に、女性ならではの喜び(pleasure)は見落とされがちかも知れません。あなたにとって、女性であることの喜びは何ですか?

上野:わたしは思春期には、自分が女であるという事実を受け入れられず、女友達をつくらず、女の子から距離を置き、男友達だけで十分だと思っていました。その後変化が起こり、「ウーマンリブ」という概念に触れてからたくさんの女性の友達ができました。 一緒に料理をしたり、一緒に食事を楽しんだり、一緒に楽しく仲良く過ごしたり。わたしはそれを「女遊び」と呼んでいます。(女遊び※日本では男性が女性と遊ぶことを指すことが多いですが、上野さんはこれをユーモラスに使っていました)。お茶をしたり、素敵なアクセサリーを身につけたり…女性は人生の喜びを本当に知っているので、とても幸せだと思いませんか? わたしは目を惹くアクセサリーを身につけるのが好きです。今日はどんな風に装っていこうかと毎日楽しみにしています。男性がこのような楽しみを批判する理由などありません。口惜しければ、男性もお洒落をすればいいでしょう。女性たちはわたしに美しい経験や人生の喜びを教えてくれました。

厳:このような幸せと期待の一部は、「自分自身を喜ばせる」という経験をつくりだしていることだと思います。

上野:化粧は女性の鎧という言葉があります。わたしにとってこれは誰かのためではなく、完全に自分が楽しむためのものです。フェミニストは誤解されやすく、たとえば化粧をしないとか、ノーブラだとか、おしゃれをしない人達だと思われています。けれど人類の歴史のなかで人間が装わなかったことはありません。なので、女性が装わなくなるのではなく、むしろ男性が装おうような方向に人類は変わっていくと思います。

厳:それはとても興味深い視点です。それを聞いて、映画『バービー』の最後の方で2人の女の子が、もう二度と化粧はしない。それは男性を喜ばせているだけだから。と語っていたことを思い出します。

上野:わたし自身は男性ウケするためのおしゃれをしたことはありません。「おしゃれしてなにが悪いの?」と思っています。東アジアには、コスメに情熱を注ぐ女性(コスメフリーク)が多く、コスプレが好きな人、ガングロが好きな人もいます。この子たちが男ウケするとは思えません。男性には理解力が欠けていることが多いので、難しいと思いますが。女同士で、「今日はおしゃれがんばったね!」と褒め合うのってすごく楽しいと思いません?だからこの喜びを手放す理由はありません。おしゃれをすれば注目されたいし、同性の方が評価基準が厳しい場合が多いので、同性から認められた方が嬉しいですよね。

厳:美を楽しみ、美を創造するこのプロセスは一生続きますよね。しかしほとんどの女性は、人生のある段階で喪失に直面しますよね。あなたは人生で喪失を経験しましたか?

上野:わたしには子どもがいないので人生に節目がないんです。たとえば、「ああ、妊娠中にあんなことがあった」とか、「子どもが小学生のときにこんなことがあった」ということがないのです。これがわたしの人生と、淡々と生きてきました。両親の死と恋人の死を除けば、わたしには決定的な喪失はありませんでした。わたしにとって出産は喪失というよりもむしろ獲得と見えます。あなたは二児の母ですよね。そのために失ったものはありますか?

厳:ある意味獲得だったと思いますが、でも結局は別れになると思います。子どもはゆっくりと自立した人間として成長していき、いつか独立して羽ばたいていきます。出産はとても大切な人間関係を築いてくれる一方で、その人間関係の中でそれまでにない人間としての限界も見えてきます。

上野:もうそんなことを考え始めているんですか? 出会いがある限り、別れは必ずあります。わたしもいつかこの人生と別れる日が来ます。出産経験のない女の視点から見ると、出産によって他者との人間関係に巻き込まれますから、望むと望まざるにかかわらず、多くの人生経験を積むことになるでしょう。

厳:わたしが言いたかったのは、もしわたしに子どもがいなかったら、わたしの人生にはもっと多くの可能性があったかもしれないということです。子どもを持つというのは、人生でなんらかの選択をしなければならないときに、その可能性が限られるということです。表面的には制限ですが、どういうわけか、それはわたしに大きな方向性を与えてもくれます。

上野:選択肢があることは、とてもうらやましいですね、私にはそんなモチベーションの源がありません。わたしと同世代の女性たちには、迷うほどの選択肢もそれほどありませんでした。こんなことを言うと驚かれるかもしれませんが、わたしは他に能力がなかったからこそ大学教授になったのです。

25歳の時、落ちこぼれた大学院生だったわたしは、大学院で学ぶことにまったく意味を見出せず、退学も考えました。そこで仕事を探すことにしました。新聞を開いてみると、求人欄に掲載されている求人はほとんどが男性のみで、女性の求人はほとんどありませんでした。簿記の仕事だったり、ホステスの仕事だったり。当時わたしはすでに妙齢を超えており、またその仕事をこなせるほどの美しさと容姿を持っておらず、残りはパチンコ店の店員といったものでした。25歳のときに自分が生きていくためのスキルを持っていないことを痛感しました。それで学者として生きていくしかないとわかり、ようやく大学の教職に就けたのですが、それは内なる情熱から就いた仕事ではありませんでした。わたしの時代の女性は、迷うほどの選択肢はありませんでした。ですから、もっと遅く生まれていれば、もしかしたらわたしは企業に入って成功したかもしれないと思うこともあります。

厳:上野先生は25歳で大学院を辞めようと考えられたということですが、今先生の著書が中国で大ブームを起こしていますよね。上野先生や先生の考え方が東アジアでこれほど注目されていることについてどのように考えていらっしゃいますか?

上野:なぜわたしの本が多くの中国人女性に読まれ、愛されているのかとよく聞かれます。 それは、中国と日本の女性の状況がますます似通ってきているからだと思います。わたしは近年の東アジアの三カ国には多くの共通点があることを深く認識しています。わたしの世代は、欧米のフェミニズムから学んできましたが、直輸入したわけではなく、日本流にカスタマイズしたものになっています。わたしたちの文化に共通点があるため、日本に焦点を当てたわたしの研究や著書が、他の二カ国の女性の共感を呼ぶのだと思います。

わたしたちの共通点は主に二つあります。一つは、中国も韓国もともに急速な近代化を経験したということ。そのような急激に変化する環境の中で、東アジアの女性も同じような悩みを抱えていること。もう一つは、三か国とも少子高齢化を経験しているということ。おもしろい本があります。韓国人男性チェ・スンボムさんの書いた『私は男でフェミニストです』という本です。この本には韓国の少子高齢化社会における女性について次のように書かれています:女の子は家庭内では息子以上に可愛がられ、学校でも息子たちより抜きん出た世代だ。「あなたたちは無限の可能性をもち、なんだってできる」「自由に夢をみなさい」と教えられて育ってきた。韓国でも中国でも日本でもこのような女性たちが育ってきています。これらの女性達たちは、性差別を目の前にして「こんなバカげたことをわたしたちが我慢する必要はない」と思うようになりました。今日、この三か国の間には、共通点の方が相違点よりも多くなってきていると思いませんか?

厳:そう思います。東アジアの三か国は文化の面で多くの共通点があり、これまでの発展の軌跡も非常に似ています。過去を振り返ると、東アジアの女性たちは世代間のトラウマに耐えてきたように感じます。わたしたちは異なる言語を話しますが、歴史の根底にある文化の言語は共通しています。

上野:おっしゃるとおりです。母親世代と祖母世代、わたしたちと母親の世代の世代間ギャップがどんどん広がっています。娘たちは常に「母親のようになりたくない」と思いながら成長します。どの国の若い女性もこの世代交代の真っただ中にあり、わたしもその一人です。あなたの娘さんもそうでしょうか?

厳:もしわたしたちが真剣に自分の母親と話したら、彼女たちも自分の母親とは違う人間になりたいと思っていたことに気づくと思います。その意味では、どの世代の女性も、前の世代を超えようとするということを繰り返しているのかもしれません。

上野:そのとおり! ご訪問そして質問をありがとう。これまで話したことがなかったことも話してしまいました!

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記事日本語訳 任佳韫

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企画:ELLEフィーチャーズ・チーム
プロデューサー: 呉楨、VIVIANE GAO
撮影:AKINORI ITO
スタイリング:NORIE KURAKATA(W)
メイクアップ/ヘア:MIKAKO KIKUCHI
翻訳/フィニッシング:彭羽
執筆/編集:SHERRY
デザイン:KIKIGAO
プロダクション・コーディネーター:JUSTIN
ライブ・エグゼキューション:彭羽
Special Thanks:未読、日本幻冬社
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策划:ELLE专题组
监制:吴桢、VIVIANE GAO
摄影:AKINORI ITO
造型: NORIE KURAKATA(W)
化妆/发型:MIKAKO KIKUCHI
翻译/整理:彭羽
撰文/编辑:SHERRY
设计:KIKIGAO
制片统筹:JUSTIN
现场执行:彭羽
特别鸣谢:未读、日本幻冬舍
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