
山家悠平著『遊廓のストライキ 女性たちの二十世紀・序説』(共和国、2015年3月)を読んで、すっかり著者のファンになり、「序説というからには次作があるかも」と近くの書店で書棚を眺めていたら、あった、あった。『生き延びるための女性史 遊廓に響く<声>をたどって』(青土社、2023年9月)を見つけた。
前著に寄せて以前、エッセイを書いた。「#わきまえない女」たちの反乱(旅は道草・133)。
あるかなきかの名もない埋もれた<声>を拾いあげ、その<声>を雑誌や書物、古い新聞記事のマイクロフィルムで丹念に読み解き、つなぎあわせていく作業は、博士論文を元に書いたという前著と同じく、かのじょ/かれらの姿が、まるで霧が晴れていくようにロマン溢れる文章の中から立ち現れてくるのが、ほんとに不思議。
著者は京都精華大学や大手前大学での非常勤講師雇止め闘争の後、2019年1月、中国福建省厦門(アモイ)の大学に仕事を移し、冬季休暇で京都に戻っていた2020年1月、武漢でコロナ封鎖が発生。パンデミックのさなか、非正規の雇止めとは人間の生活を、人と人とのつながりを絶つ「ジェノサイド」を意味すると実感する。京都精華大学での雇止め反対運動も、なかなかにユニーク。大学構内に小屋を建てて昼休み、学生たちに豚汁や春雨スープを配り、自由に読める本を並べて非正規教職員の更新上限撤廃を求める署名活動をしたという。
今から85年前の1938年5月10日、厦門に日本海軍第五艦隊が上陸。4日間の戦闘で数千人の島民が犠牲となった。2005年、厦門で戦争犠牲者の調査により、犠牲者が埋められた万人壕跡地近くに建てられた「慰霊モニュメント」の黒い石版には「女工、遭日軍殺害(日本軍によって殺害された)」と犠牲者のリストが続く。それを見て著者は「その人たちの生は途切れたが、生き残った人たちによって<声>は伝えられる。歴史とはその土地に響いている<声>のようなものかもしれない」と感じる。
それはまた台湾の小説家・李昴による、女性革命家・謝雪紅の伝記小説『自伝の小説』(藤井省三訳、国書刊行会、2004年)に書かれた印象的な場面、台湾で日本軍による「霧社事件」の虐殺があった深い山中で、「あの大木の影で、深い溜め息が途切れることなく続くのは、彼らがわたしたちを待っているからなのだろう」という描写に重ねて著者は、その小説を読む。
著者が精華大学在学中、アメリカ・オハイオ州イエロースプリングスにあるアンティオーク大学に留学していた1998年10月、ワイオミング州ララミーでマシュー・シェパードというゲイの大学生が殺される事件が起こる。留学先のアンティオーク大学新聞は「わたしはマシュー・シェパード」と事件の概略を載せ、各地での抗議行動やヴィジル(通夜)への学生の参加などを記していた。その後、2009年、アメリカで、セクシュアリティや障害を理由とした犯罪を「ヘイトクライム」と規定する「マシュー・シェパード法」が成立。東京都渋谷区でも2015年、「男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」が可決、施行された。しかし現在、LGBTQ+への差別をなくすために、ジェンダー平等に向けた取り組みが進んでいると、ほんとに、そう言えるのだろうか?
著者は京都の北、比叡山から寒風が吹き込む一軒家で友人たちとシェアハウスに住み、毎年、大晦日にはセクシュアリティをオープンにしている人、していない人、異性愛規範を生きている人、ジェンダートラブルを抱えている人たちと共に年越し蕎麦を食べ、お正月を迎える。彼自身もまた「ジェンダー・アイデンティティに縛られることなく、マージナルなもの、この世界に落ち着く居場所をもたない存在」に、ずっと引きつけられてきたという。
それら無数の<声>は、時空を超えて、はるか昔の「遊廓の中に響く<声>」につながり、その<声>は遊廓で働く娼妓から娼妓へと、こだまして著者の女性史研究にも結びついてゆく。
1913年、和田芳子が『遊女物語――苦海四年の実験告白』(文明堂)を書いて以降、労働運動の高揚期でもある1926年、柳原白蓮の支援を得て廃業した森光子の『光明に芽ぐむ日――初見世から脱出まで』(文化生活研究会)、1927年、同じく森光子の『春駒日記 吉原花魁の日々』(文化生活研究会)、1929年、松村喬子の連載『地獄の反逆者=人生記録=』(『女人芸術』)など、当事者による遊廓での体験や告発、遊廓の日常と客とのやりとり、さらには客との間に生まれる心の交流などが書かれている。それらの書物は新聞紙上でセンセーショナルに採り上げられ、巷では版を重ねたにもかかわらず、女性史の先行研究には、ほとんど登場してこなかったという。
当時、「青鞜社」の伊藤野枝らが「新しい女」というスティグマを、あえて引き受け、抵抗の言葉を紡いでいた頃、遊廓の女たちもまた「新しい女」として登場してきたのではなかったか。著者は「伊藤野枝らと和田芳子や森光子、松村喬子たちが、その頃、出会ったかどうかは定かではないが」としつつも、その重なる<声>は、どこかで響きあっていたのではないかと推測する。
1920年代に入ると社会主義者やアナキストたちが底辺女性労働者の解放の視点から「廃娼運動」が盛んになっていく。アナキストの流れをくむ香具師(ヤシ)たちによる廃娼運動も高揚していった。キリスト教救世軍本営発行のビラ「娼妓廃業のすすめ」(1925年)に書かれた「さっさとその悪い商売をやめて堅気な人間におなりなさい」と教え諭す文章と、香具師たちの「同じ労働者」の視点で彼女たちに「決起」を促すビラとを比べると、なかなかに興味深いものがある。
伊藤野枝もまたバーナード・ショーの戯曲『ウォーレン夫人の職業』への感想を、「ウォーレン夫人とその娘」(『青鞜』第四巻第一号、1914年)の中で、「スティグマをはっきりと認識しながらも生きるために娼婦として働く女性たち」に強い共感を寄せて書いていたという。
「<声>に耳を傾けるというのは、どういうことなのか?」と著者は繰り返し自らに問う。そして「日本の女性史研究の中で社会の周縁に生きる/生きた娼婦たちに焦点をあてた研究は1960年代後半以降になってからではないか」と考える。山崎朋子の『サンダカン八番娼館――底辺女性史序章』(筑摩書房、1972年)と森崎和江の『からゆきさん』(朝日新聞社、1976年)が、それだ。
当事者たちとの間に決して埋めることができない<空白>があったとしても、少なくも出会うことができた山崎朋子や森崎和江とは違い、1976年生まれの著者は、わずかに残された史料をたどるほかはない。著者は過去の史料を繙き、「そこからどうやって、どこまで想像(創造)することが許されるのか?」と問い続けてゆく。
そして著者の、さまざまな<声>をめぐる思考の旅の、その先に見えてきたものは?
「<声>に耳を傾けること、それ自体が、他者の思考や経験に自分が開かれていく経験でもあった」ことに気づくのだ。
さらにアーシュラ・K・ル=グウィン著『ファンタジーと言葉』の中にある「耳を傾けることは、反応ではなく、結びつくことである」を引き、「<声>は語り手と、それに耳を傾ける人をつなぐものでもある」と、その答えを自ら導きだしていった。
そして著者は「おわりに <声>に耳を傾けること」で、「本書で書き留められた言葉が、まだ知らないひとりひとりの生をむすびつけ、時間も空間もこえて響いていくことを信じている」と結んでいる。
うん、ひとりの読者として私もまた、著者の言葉を確かに受けとったよ。ひととひととの関係は本来、そういうものなんだ。そんな関係が生まれてくればきっと必ず、「ひとびとの<声>は、かすかに響きあっていくのかもしれない」と著者の山家悠平へ私の<声>を届けて、そっと本を読み終えた。ああ、いい本に出会えて、よかった。
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