
『遊廓のストライキ 女性たちの二十世紀・序説』(山家悠平著、共和国発行、2015年)を読み、100年近く前に、「わきまえない女」たちが、遊廓の中から声を上げていたことを知った。そのことを若手研究者が、しかも男性が、過去の女性史の空白を埋めるように丹念な資料収集をもとに本を編んだ。もう2刷だ。
1926年(大正15)4月、吉原の妓楼「長金花」から逃走し、自らの意志による廃業(自由廃業)を遂げた森光子の実力行使に力づけられた同じ遊廓の娼妓・千代駒は、光子に手紙を寄せる。1926年12月25日の大正天皇死去に伴う大喪のさなか、他の廓はどこも休みなのに「見世へ出ろ」という楼主に対して、「遊廓で5日間の同盟罷業(ストライキ)を行った」と書き、「ストライキという出来事を、ぜひ知らせてほしい」と光子に伝える。その手紙を森光子は自著『春駒日記』(文化生活研究会、1927年)に載せている。
さまざまな事情で身売りされた女たちが、過酷な日常の中で、怒りとともに公娼制度や遊廓での搾取に対して団結し、異議申し立てを始めた1920年代に遡り、著者は過去の文献資料や新聞記事に記録された言葉を、そのまま意味づけるのではなく、彼女たちの呼びかけや言葉を丹念に読み解き、応答しようと試みる。「序説」とうたっているからには彼女らに続く、性にまつわる仕事にかかわらざるをえなかった従軍慰安婦やセックスワーカーなど、後世の「わきまえない女」たちの反乱を、ぜひ次作で書いてほしい。
1872年(明治5)10月2日の「芸娼妓解放令」の布告後、1900年(明治33)10月、「自由意志」の大義名分のもと、内務省から公布された「娼妓取締規則」により、「娼妓の廃業の権利」が明記されたが、「自由意志」とは名ばかり、彼女たちは自由を得たのではなく、貸座敷免許地内に居住しなくてはならず、警察署の許可を受けなければ免許地の外に出ることもできなかったという。
欺瞞的な建前としての「自由意志」を逆手にとり、キリスト者を中心とした廃娼運動家、民権家たちは議会への請願を通して、「公娼制度廃止」を求める運動を始める。キリスト教団体救世軍による「醜業婦救済」運動は直接、彼女たちに「自由廃業」を呼びかけていく。遊廓側の暴力と渡り合う廃娼運動家の、体を張った活動は、娼妓たちに「自由廃業」の権利と意識を植えつけていった。さらに日本キリスト教矯風会は各地に、廃業した女性たちのためにシェルター的施設をつくっていく。
しかしその一方で、『青鞜』同人の与謝野晶子や伊藤野枝は、廃娼運動家たちへ批判の言説を突きつける。「生きるため、食べるため」に「賤業婦」として働く女性たちへの共感をもとに、「売春を『賤業』と呼び、娼妓たちを『人間から除外』するまなざしのもとでは彼女たちの貧困やさまざまな困難の解決にはつながらない」と伊藤野枝は厳しく指弾する。
森光子が『婦女界』に寄稿した「廓を脱出して白蓮夫人に救わるるまで」を読んだ名古屋の中村遊廓の娼妓・松村喬子は、「私達もやっぱり進む道はあった。救いを求むる処はあるのだ・・・決して、このままで死んでよいものか?」と書く。森が、彼女たちの日常の中で、もっとも共感をもって書き記したのは娼妓たちの怒りだった。それも、はっきりとした対象を持たない怒り。「怒って持ち物を壁にぶつける娼妓もいれば、ことあるごとに同僚と喧嘩をする娼妓もいる。そういう怒りに共感を重ねるなかで、『たとい何の様な目に逢うとも、たとえ、一日でも私は人間として生きたくなりました。私自身ばかりでなく、あまたの、私達の、姉妹のために働こう』と、森の怒りの感情は、脱出と遊廓への告発という明確な目標に結びついたのである」と著者は記す。
1930年代、大不況の到来と盛んになる労働運動のなか、不況下で遊廓の女性たちが選んだのは具体的な要求事項を掲げる、より労働運動としての側面の強いストライキだった。大阪・松島遊廓金宝来のストライキ、佐賀・武雄遊廓改盛楼のストライキを、著者は当時の新聞記事から紹介し、芸娼妓たちと、それを支援する運動家たちとのズレを追っていく。「待遇改善」や「不正の糾弾」を求める娼妓たちと、「自由廃業をすべきだ」とする外部の活動家たちとの間の埋まらない溝。その隙間に乗じた遊廓側からの脅迫に支援者たちはやむなく遊廓側に妥協していく。その結果、孤立させられ、取り残されていったのは当の娼妓たちだった。運動や闘いの中での矛盾や食い違いを、象徴的に今も、そこに見る思いがする。
「肯定することのできない『労働』であっても、生存のためには働き続けなければいけない抑圧的な状況に置かれていた女性たちにとって、不正の糾弾や過酷な搾取への異議申し立てをすることは、たとえそのことが直接的に遊廓や売春からの『解放』にはつながらなかったとしても、生きる権利を自らの行動を通して獲得していくひとつの解放の過程であったといえるのではないだろうか」と著者は結ぶ。その彼方に、現代の性労働の行方を予見する次の展開を、ぜひ読みたいと思う。
もう30年ほど前になるかな、大阪の南、ジャンジャン横町を抜け、「飛田新地」に入り、金塚小学校の前、高層団地の横を通り抜けて阿倍野まで歩いたことがある。
1912年(明治45)1月、難波新地乙部遊廓が全焼する大火が発生。1916年(大正5)、代替地として阿倍野墓地北西部に「飛田新地」(遊廓)が築かれた。昭和初期には200軒を超える遊廓となり、先の戦争の戦火も逃れて、私が歩いた頃は、まだそのままの古い家並みが連なっていた。
大通りを挟んで左右に続く家々。広い間口の玄関を開け放ち、赤い絨毯に置かれた大きな火鉢に手をかざす「やりてばばあ」がいた。膝には猫ちゃんが座っている。大通りのつきあたりに高い石段があった。ぐるりと囲む石塀には番小屋の跡が残っていた。遊女たちが逃げて石段を駆け上ってくるのを番人が取り押さえて連れ戻すのだと聞いた。あの風景は今もまだ残っているのだろうか。
森喜朗・オリンピック・パラリンピック組織委員会元会長の「女性蔑視発言」に抗して、「わきまえない女」のハッシュタグが立った。今も昔も、「わきまえない女」たちはいるんだ。理不尽な世の中に怒り、抗する女たちは決して黙らない。「遊廓のストライキ」に習い、私たちも「不都合な現実」に対して怒りを忘れてはいけない。
そして久しぶりに胸のすく思いで読んだ記事がある。長崎大学准教授・森元斎の「アナキズム再考(下)」(毎日新聞1月30日付)。中東の地で、女性が活躍するロジャバ革命のことを書いている。
アナキズムには二つの側面があるという。一つは相互扶助を行い、生活を円滑に営むこと。もう一つは大きな流れの中で、突発的に小さなさざ波を繰り出し、大きな流れそのものの潮目を変えていくことだ、と。
国家をもたない最大の民族とされるクルド人たちによる、シリアの一部を中心に民族独立を目的に、ダーイシュ(イスラム国)と闘う「ロジャバ革命」が、今、進行中だ。弾圧され、虐殺されてきた歴史から立ち上がり、「国家の創設をめざさない」武闘闘争により、自治区を創設、相互扶助を基盤に生活圏を確立している。その中で特筆すべきは女性を中心に据えた社会のあり方をめざすことだという。女性戦士が活躍し、地域の評議会は女性が半数以上占めることを原理原則とする。「生活の権利」と「女性の権利」を掲げた闘いが、中東の、ある地域に広がっている。
「それが西洋でもなく東洋でもなく、世界の真ん中にあるというのは、新しい。ここから潮目が変わるのではないだろうか」と書く。
まあ、なんてすばらしい。こんな日本には、もう飽き飽き。そんなアナキズム的な生き方ができたら、どんなにいいだろうなあと、はるか中東に向けて夢想するばかり。
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