2012.03.29 Thu
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 日本の学校は日本人のためだけでもないし、政治家に都合のよい市民を形成するためのものでもない。こんな当たり前なことが、今脅かされようとしています。
本書は、研究者である在日3世の徐さんが、住民の4分の1が在日朝鮮人である生野区を抱える大阪市に住む在日朝鮮人女性たちが、夜間中学の独立運動に関わる経緯を、朝鮮半島と日本の過去の歴史をさかのぼりながら、その政治経済的な背景にまで目を配りながら論じた、とても貴重な著作です。
ジェンダー研究において、ジェンダー変数だけでなく、階級や民族、人種などの変数との関わり合いを議論することは、今では当然視されるようになりましたが、いざ、そうした知見を研究に反映させるとなると、じつはかなり高度な議論を必要とします。しかしながら、本書は、朝鮮人女性のとくに、就学の機会を奪われた一世、二世の女性たちのライフ・ストーリーを取り上げることで、その困難な議論に成功しています。
日本の植民地主義政策の下、朝鮮半島における強い家父長制の影響とも絡み合いながら、文字を学ぶ機会を奪われた女性たち。ハングルを奪われ、日本に住むことを余儀なくされ、日本社会で対抗的な主体となるために、日本語を学ぼうとすること。この複雑な事情のなかで朝鮮人女性たちがいかにして、日本の教育行政と闘う主体となりえたのか。10年以上にわたる研究・調査を経て本書はその意味を描きだそうとしています。
やはり、胸を打つのが、夫から反対されるなか、子どもの世話からようやく解放された中年期を迎えて、夜間中学に通うことを決意する女性たちの姿です。
「学校に窓がいっぱいあるわけ それは世の中がよく見えるように」(本書、137頁)。
学ぶことが、彼女たちに社会へ導き、彼女たちを蔑んできた日本社会のなかで、自らの足でたって生きていく道を拓いてくれる。教育はむしろ、一部の権力者、政治家たちの思い通りに社会は動かない、動かせない、ということをわたしたちに教えてくれるのです。
こうした当たり前のことを、日本社会ではほとんど知る人もいない、在日朝鮮人女性による夜間中学校独立運動の歴史が伝えてくれます。
生きている社会環境も歴史も、日本政府との関係も異なる人びとが集う学校現場の現実ついて、橋下市長!是非本書を手にとって勉強してください。(moomin)