第2期WANフェミニズム入門塾の第8回講座が2024年3月28日(木)に開催されました。
今回のテーマは「ジェンダーと教育」。講座生2名が自身の言葉で書き上げたレポートで、
当日の講座の様子が少しでもみなさんに伝わればと思います。
第8回 ジェンダーと教育 受講レポート YY
第8回⽬のテーマは教育。学校教育の中で隠れたカリキュラムがいかに個々のジェンダー感の
醸成に作⽤しているか、⼥性の先⽣の不在が全体にどのような影響を与えているかが読み解かれていた。
特に注⽬したのは「⼥性内分化」の観点だ。この連続講義を通じて私⾃⾝、徐々に
この問題意識が⼤きくなってきている。制度は整っても、それを使う⼈々の考え⽅や
習慣が変化を阻害していることがあり、それをどうやったら変えられるかという点だ。
そもそもそのように考える背景には⾃分⾃⾝の経験がある。⽗が早くに亡くなったため
幼少期から⺟⼦家庭で育ち、仕事や収⼊⾯、親族関係や⼦育てなど様々な場⾯で
多⼤な苦労をしてきた⺟の姿を⾒てきた。そして⼤⼈になるにつれて⺟や私たち家族の
おかれていた状況は個⼈の責任だけではなく、社会の構造的な問題が根底にあることを知り、
ジェンダーに興味を持つようになった。そして⾃分が結婚出産をして、⼦育てしながら
働くようになり、さらに⼥性であることで抱える差異に疑問を抱くようになった。
今の⾃分⾃⾝はというと職場は理解がある⽅で、家庭では多少の不満はあるものの、
パートナーと話し合いをあきらめることなく過ごせているのでジェンダーの差異を
感じることはさほど多くない。ただこの連続講義を受けてきて学んだ⼤切なことの⼀つは、
今私がこういった環境を享受できているのは先⼈の先輩たちの⼀歩進んでは⼆歩下がる
途⽅もない数の奮闘があったからこそだということ、またそれを享受できるのは
ごく⼀部の⼈であるという点だ。だからこそ私⾃⾝もこの⼤きな流れの中で
何か少しでも前進することに貢献できればと考えている。
上記の通り、⾃分⾃⾝環境には恵まれていると思っているが、それでも⾃分の中で常に戦いがある。
それは⾃分の中に”幼少期から内分化された⼥性像”をどのように今の⾃分の価値観に
あてはめ⾏動していくかという点だ。祖⽗⺟がいる環境の中で家庭の中では何をするのにも
男性が優先、⼥は⼝を出さないと⼝酸っぱく⾔われてきた私は、頭では「おかしい」
と思っていても、意識しなければ⽇常の⾏動の中ではそれを受け⼊れているのである。
これが⾃分にとってはとてもやっかいで、何年たってもなかなか超えられない
壁となっている。皆さんのお話を聞いていて今までのところの結論としては、
⾃分のそういった状況に意識的であること、少し勇気を出して⾏動を変えてみること、
⼝に出して指摘をすること、勇気を出してファーストペンギンになることを重ねる
ことでしか変⾰していけないと感じているが、今後の講義の中で引き続き答えを
模索していきたい。
最後に今⽇の講座の冒頭では、上野先⽣の投げかけがあった。「ジェンダーは
⾃分事から始めるものであるにも関わらず、ジェンダー教育の実践は家⽗⻑的ではないか
という⾃省がある」と。百戦錬磨の上野先⽣ですら、制度に内在化されたものに
抗うことができないこともあるのだという発⾒は、裏を返せばまだまだ未熟な⾃分でも
変化できる可能性があるということだとポジティブにとらえたい。
第8回 ジェンダーと教育 受講レポート YH
私はこの3月まで公立小学校の教員をしていた。教員になったのはかなり遅く
40代を過ぎてからで、教員生活は12年ほどだ。その程度の経験しか持たない、
教員として未熟な私に語れるのは、当然ながら学校の片隅の一部分にすぎないが、
自分を振り返る良い機会をいただいたと思って、見聞きした範囲での学校の風景と、
そこで私が何をしようとして実際何をしたのかなどを、できるだけ「ジェンダーと教育」
というテーマに沿って記録してみたいと思う。
学校の男子優遇がなくならないわけ
これはブレイクアウトルームで話し、今の時代にまだそんな状態なの? と
驚かれた話だが、学校には男子優遇という不文律が未だに根強く残っている。
男子への優遇がなぜなくならないのかと言えば、それをわざわざやって見せ、
教えている教師がいるからだ。私自身が直接アドバイスを受ける形で聞いたことが
2回あるので、紹介する。
一つ目は40代男性教員(当時。現在は50代)から聞いたアドバイスだ。
「学級をまとめるコツは、男子を味方に付けること。男子の心をつかんでおけば
女子は付いてくる。」
その理由はこうだ。「人間も動物だから、動物の世界を見ればいい。男はボスになりたがる。
ボス格の男子を攻略して味方に付ければ、女子は男子が従っている先生には反抗しない。
男子が先生を見くびりだすと女子の心も離れる」。
二つ目は、30代男性教員(当時も現在も)から聞いた言葉。
「自分なら〇〇を一回絞める。」
〇〇というのは、私のクラスのちょっと目立つ男子の名前だ。発言した教員は隣のクラスの担任。
自分なら〇〇をみんなの前で一度公開処刑のように叱り、以降、その子を手なずけて自分に
従わせる、という意味だ。ちなみにその時、私は〇〇の扱いに困っていたわけでも
なんでもなく関係は良好だった。クラス全体も落ち着いていた。〇〇を「締める」ことは、
ただクラスをより強くまとめる手段として提案された。「絞め」て序列を叩き込む。
子どもにとって傷つき体験となるだろう行為を、必然性もないのにさらりと提案する彼に
ゾッとした。選ばれた〇〇には迷惑でしかないし、これはれっきとした虐待行為だ。
しかし学級ヒエラルキーのトップとして常に男子を選ぶという意味において、
これはこの教員の男子優越思想を示している。そして、序列によって集団を統率する
というのは、やはり動物の、群れの掟をほうふつとさせる。
この二人の教員は、授業力、学級経営力、ともに二重丸が付くと言われている
人たちだった。頭が良くて話が面白く、管理職からの信頼が厚く、親のウケもよい。
子どもは荒れないし、団結感を演出するのも上手いからクラスがまとまっているように
見える。そんな成功実績があるからこそ自信をもって私にアドバイスをしてきた。
二人のアドバイスに共通するのは、「重要なのはサル山のボスは自分だと子どもたちに
分からせること。」という思想だ。まっぴらごめんだ。
彼らのクラスの子どもたちの本心はどうだったのだろう。
面白い話で笑わせてくれて、毎日がとても楽しいと感じている子ももちろんいただろう。
序列を乱しさえしなければ、この人は面倒見がよくて面白くて頼りになる。
また、子どもは教員同士の力関係を敏感に感じ取っているから、自分の担任が
学校の中で発言権が大きいとか、一目置かれているとかをよく知っている。
これは想像だが、そういう人が担任であることを、ある種の子どもは安心と
感じるのかもしれない。親がそう言うので影響されている部分もあるのかも。
そんな子たちは、彼らが担任でよかったと思っていただろう。
けれど少数の、彼らになじめない子もいた。(これは想像ではなく事実。
その子の親から私自身が聞いている。)
怖がったり、嫌ったり、学校に来なくなったり。仮に彼らタイプの教員を
「サル山のボス型」とカテゴライズすると、そのクラスの子どもは大多数の支持派と、
ごく少数の非支持派に分かれることが多い気がする。
(書きながら、私は無意識にかなり「サル山のボス」ウォッチャーだったのだなと気付く。
我ながらいろいろな人を、とてもよく思い出せる。笑)
クレームの電話がかかることもある。が、あまり大きな問題に発展することはない。
なぜか。私の見立てでは、保護者が彼らと対決するのを避けるためだ。
ボスはクレームの電話にも決して下手(したて)には出ない。まるで、問題が
あったり事情が分かっていなかったりするのはそちらですよと言いたげな感じで話す。
困っちゃってるのはホントはこちらなんですけどね、でも、ハイ、もちろん、
ちゃんと対処しますよ……さすがに口には出さないが、こんな気持ちが伝わってくる。
これでよく保護者が納得するな、と思うが電話は終わる。
いや納得したわけではないだろう。保護者は人を見て、誰になら強く出ても
大丈夫かを見極めているのだ。あまりにも酷いことをしない限り、ボス型教員は、
保護者の突き上げに合うことはない。
一方で、強く出てもいいと思われた教員は、細かいクレームや当たりの強い
クレームに悩まされる。退勤時間を過ぎて、1時間にも及ぶ電話を切った後、
悔し涙にくれる教員の姿を見てきた。心が折れて辞めていく人もいる。
サル山の権力争いの図が浮かぶ。教室の中だけでなく、大人同士の関係も、
サル山のように「力の掟」に従っているのだなと思う。
それから数年後、30代のほうのボスザルは指導主事となった。今や彼は正式に、
教員に「指導の仕方」を指導する立場になった。彼のやり方や考え方は
正統なものとして、これからずっと何十年も、若手の教員に伝えられていく。
私がやってきたこと
やってきたことを話す前に、私がなぜ教員を目指すことになったのかを
少し話させてほしい。今から40年以上前、小学生だった私は、今よりも
ずっと強く学校全体に満ちる「力の掟」、強い者が弱いものを支配する掟を
感じながら、「沈黙」して過ごしていた。教師に顧みられなかったのは、
自分が引っ込み思案で自発性にも向上心にも欠ける子どもだったからだと、
長い間信じてきた。
けれど大人になってフェミニズムに出会い、学校や教師、家庭や地域社会、
いわば至るところに女子への抑圧と軽視・蔑視・無視があったこと、
だから女子が前に出づらい空気がつくられていたのだということを客観的に
理解することができた。私は学校に上がる前から、親の生き方や人間関係を見て
男尊女卑を学んでいたし、「おまえは女の子なのに短気だ」と何度も叱られ、
ありのままの自分でいると制裁を受けるということも学んでしまっていたから、
学校がとても怖かった。だから、決して叱られないように自分を隠し、
引っ込み思案のように擬態していた。
大人になってからそのことに気付き、それから長い時間をかけてリハビリに
取り組んで、やっと本来の自分を取り戻すことができた。自分を「折って」
生きていくことは、つらいという言葉では収められないほどに、つまらなく、
灰色で、何もない。死んでいることにとても近い体験だった。
時は流れて、私には二人の娘が生まれ、その子らが小学生になり、母親として
小学校に関わるようになった時、自分の小学校時代に比べて、ずいぶん風通しがよく、
明るい感じがすることに感動した。男女混合名簿や家庭科の男女共修による変化も
大きかった。屈託なく伸び伸びと生きている子どもたちがとても素敵に見え、
先生たちもオープンマインドで魅力的。こんな学校で過ごせたら幸せだっただろうと
思った。そのうち、かつての自分のように顧みてもらえない子どもの助けに
なりたいという思いに駆られるようになり、私は転職を決め、通信教育で
教員免許を取り、教員になった。
そんな経緯があったため、教員になるにあたって私が心の奥で密かに
もくろんでいたのは、「力の掟の解体」だったと言えるかもしれない。
大それたことができると思っていたわけでも、実効性のある計画があった
わけでもない。ただぼんやり心に灯るその目標に向けて、無計画なチャレンジを
試みただけだ。それでも、そうすることで、自分が受けてきた扱いを正したかった。
「力の掟」に代わるものとして、私が自分の行動規範としてもっていたのは、
ざっくり言うと以下のようなものだ。
一、女子と男子の扱いに差を付けないこと(必要な区別を除く)。
一、黙っている子どもも意見をもっていることを理解すること。
一、子どものもつ性格や気質を尊重し、どれも平等に取り扱うこと。
このような考えに基づきつつ実際どんなことをしてきたかを、ジェンダーに
関係するものを選んでいくつか挙げてみる。
■男子を「くん」付けで呼ぶのをやめ、男子も女子も「さん」付けにした。
これは、性別違和を感じている子がいるかもしれないことが大きな理由だが、
個人的に男子を「くん」と呼ぶときのある種のニュアンスが好きになれなかったためだ。
(私はそのニュアンスが男子優遇につながっていると思っている。)
そう言えばある教員から、「男子を『さん』付けで呼んでいる先生のクラスは
学級崩壊することが多い」と言われたことがある。無視したが、実際
その教員の偏見とばかりは言い難い。今でこそ、全員をさん付けで呼ぶ教員は
さほど珍しくなくなったが、かつてはかなり珍しく、それへの違和感が先生への
反発を招くことがあったかもしれない、と、後述する自分の経験
(男子がじれる、すねる)から思うようになった。
■安易に女子グループと男子グループに分けるということを避けた。
女子と男子で分けるということは、とにかくラクなのだ。しかも彼女ら彼らも
その分けられ方に慣れている。この、空気のように馴染んだものに抗うというのが、
実はなかなか大変だった。いちいちエネルギーを持って行かれる感じがした。
流れるプールを逆方向に進んでいるような感じだ。誰にも見えないが、
自分だけが感じるしんどさがあった。
■教室での子どもたちとのやり取りの中で、目立つ系の男子を味方に付けたい
という下心が自分の中によぎる時こそ、その男子ではなく、黙っているけど
何か考えていそうな女子にスポットライトを当てた。目立つ系の男子にとっても、
そこで目立たせられることが良いとは限らない。そうされることによってキャラが
固定化し本来の自分から離れていってしまう場合もある。
■どの子にも同じ分量の機会を与えたい気持ちの表現として、車座になって
一言ずつ話す朝の会をやっていた。毎日はできないので火曜日だけとか。
一人の持ち時間を同じにした。他のクラスからは「あの変な儀式」と呼ばれていた。
■高学年では家庭科を生活自立のための教科と勝手に位置付け、重視した。
一人暮らしをするときに最低必要なスキルを身に付けることをコンセプトに、
本気で取り組むことを子どもたちに求めた。
■6年生の担任だった時は、学活の時間を性教育に当てた。性教育がほとんど
なされていないことに危機感を感じていた。自分の体の仕組みと、異性のそれと、
両方を知っている必要があると思い、全員いっしょにどちらの話も聞かせた。
性別は男性と女性だけではないことや、セックスとジェンダーの違いや、
アダルトビデオについてなど、いろいろ話した。その時の自分の限界で、
今思えばあれは間違った説明をしてしまったかもしれないなと思う話もある。
彼女ら彼ら自身が勉強したり経験したりする中で訂正していってくれることを
願うしかない。性について積極的に知ろうとしてもいい、むしろ勉強していくべき、
という考え方は伝えたと思うから。当時(今もだが)性教育はタブー視されており、
かなり躊躇したが、やらなかったらきっと一生後悔すると思って実行した。
彼女ら彼らに、私の話がどう受けとめられたのかは分からない。でも全員が真剣な
目をして聞いていてくれたことが、多分大丈夫、と私を励ましてくれている。
私の取り組みに対する反応
第一期フェミニズム塾の動画で、木村涼子先生が小学校の参与観察に行き、
教室の中に「男子の『雄弁』と女子の『沈黙』」を発見したという話をされていた。
私は二つの地域で勤務したが、そのことに関して、地域性の違いを強く
感じることとなった。
はじめに勤務した地域(そこで何校か勤務した)では、女子に話を振ると
それなりに応えてくれることが多く、回を重ねるごとに積極性が増していった。
もともと良く考えている人たちは、慣れてしまえばいくらでも考えを言葉に
できるようになった。
次に勤務した地域では、男の子は元気と言えば聞こえがいいが不規則発言が多く
活発なのに対し、女の子は反応が薄く表情も乏しく、まさに「沈黙」していた。
話を振ってもあまり応えてくれず、授業のリズムが滞り、自分は周りより
頭がいいと信じて疑わない男子がじれて妨害してきたり、前任の教員から極端に
注目されてきた別の男子がすね始めたり、トホホ…な状態に陥ることもあった。
働きかけても、女子がそれに呼応してこない場合、傾いたパワーバランスを均すことは
難しい。教師の力だけでは事態は動かせない。すでに女の子としてつくられて
しまった女子を、どうやったらニュートラルな状態に戻せたのだろうか。
思い返してみると、はじめの勤務地では、保護者(多くは母親)が私のやり方に
賛意を示してくれることが多かった。二つ目の勤務地は、無関心な親と、
変に関心の高い(自分の子にだけ関心が高い)親とに二分化しているような印象があった。
その地域では、私は男の子の「活発さ」に寛容さが足りないと目されることが多く、
特に男子の親(父母両方)からあまり賛意を得られなかった。確かに私は
気を引くために騒ぎを起こす男子たちを「手の平の上で転がしてあげたり」
「持ち上げて機嫌をとったり」しないが。「男の子って騒ぐもの」とも
「男の子だから許されることがある」とも思わないし、何より男の子だけに
多くを求めているわけでもない。
子どもの在りようには家庭の考え方が大きく反映していることを、改めて強く思う。
そして保護者の賛意が得られないとき、取り組みの効果はだいぶ減じてしまうことも
痛感した。
ところで、後日知ったことだが、女子が沈黙していた学年(4年生)では、
「サル山のボス型」なら良心的と思えるほどの、「教師の横暴型」?とさえ思える
クラス運営が少なくとも2年続いた後だったようで、子どもたちは悪質な力の掟に
従うことに慣らされていたらしい。そうした地域の風土や学校での歴史を複合的に
理解するに至って、あの時のあの女子たちの沈黙ぶりに合点がいった。
多分、家でも学校でも、嫌というほど「力の掟」を心に刻んでしまっていたのだろう。
それはとても分かりやすく男尊女卑な力の掟なのだろう。
とても残念で、とても悲しい話だ。
おわりに
私の取り組みが、子どもの心に何を残したのか、私には分からない。
評価する根拠がないからだ。子どもの様子が答えだという見方もあるだろうが、
長期的に見たときに、当時の考え(先生への思い)が 180 度変化したという話も
割とよく聞くので、そのとき子どもが先生を好きならばいいというものでも、
クラスが落ち着いていなかったからダメというわけでもないのだろうと思う。
多分、私のクラスは、爆発的に楽しいとか、毎日学校に行くのが待ち遠しくて
たまらないとか、大きくポジティブに振れることはなかったのではないかと思う。
代わりに、どうしても学校に行きたくないということはないようにと心がけていた。
「何となく楽しい」を目指していた。強すぎる団結はそこから排除される不安や、
無理して周りに合わせるような偽りを生み出すような気がしてならない。
先に、「力の掟の解体」をもくろんでいたと書いた。けれど、今思うのは、
教師にはやはり「力」は必要だよな、ということだ。サル山のボス的な力を
私が目指していなかったのは明らかだとしても、何らかの「力」は必要なのだと思う。
「力の掟の解体」と大きく風呂敷を広げたが、「力」とは何か、どんな力か? と
問いを立て分析する努力を怠ったことが、私の敗因だろう。
ではどんな力が必要だったのか。遅ればせながら今こうして振り返り、
自分の実践を総括して思うことは、「大人の良きネットワーク」が、
従来の力に代わる、教師が構築すべき「力」であるかもしれない、ということだ。
教員同士の意思疎通や、教員と保護者との信頼関係が、それに当たる。
大人たちが協力し合っていることを感じ、大人が実現しようと努力しているものが
自分たちの福祉に適っていると感じることができれば、力で威圧して序列を
つくらずとも、子どもは自ずと教師をリスペクトすべき存在として認めるのでは
ないだろうか。同じ人間であることをベースにしながら、子どもたちの中では
自明に大きな粒として、教師は磁場を形成することができるのではないだろうか。
そう考えると、私の敗因がもう一つ考えられる。密かにもくろみ、
まずは自分のクラスで、と考えたことだ。閉じられた中ではそもそも
実現不可能なことを、閉じられた中でやろうとした。それは同僚や保護者を
信頼している態度ではなかったかもしれない。私は臆病だったので、
自分がよいと信じることを周りに発信することができなかった。
少し夢見がちな結びになった。こんなことを感じているが、答えはまだ出せない。
学校や教員に関するたくさんの問題を書き連ねたことで、学校や教員のすべてが
ひとからげに「やっぱりどうしようもない」と思われてしまうのではないかと
危惧している。どうしようもないところがありつつ、その中で教員が必死に
努力していること、それがまぎれもない事実だということは、見苦しくても
やはり言っておきたい。しかし同時に、必死に努力しているだけでは、
子どもたちを救えないことも事実だ。
サル山の「力の掟」は学校だけにあるわけではなく、社会全体に存在する。
学校と社会は密接にリンクしているから、社会が変わらずに学校だけが
変わるのは不可能だ。多くの人が、その人の生きる場所で、サル山の掟を拒否し、
そうではない生き方や人間関係の在り方を模索していくとき、学校も連動して
変化していくのだと思う。私も私の場所で、これからもサル山の掟と
闘っていくつもりだ。だって私たちはサルではなく、人間なのだから。
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2024.04.15 Mon
カテゴリー:新編「日本のフェミニズム」
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