第2期WANフェミニズム入門塾の第9回講座が2024年4月18日(木)に開催されました。
今回のテーマは「グローバリゼーション」。講座生3名が自身の言葉で書き上げたレポートで、
当日の講座の様子が少しでもみなさんに伝わればと思います。


第9回 グローバリゼーション 受講レポート   MY

私淑しております上野さんから、以下の4つの問いが、WANフェミニズム入門塾の受講生に向けて、投げかけられましたので、この受講後の感想リポートの場を借りまして、私の考えるところを書き記します。

⑴家事労働者の労働開国に賛成か
→『外国人技能実習生』として家事労働者を受け入れるのであれば反対。労働三法(「労働基準法」「労働組合法」「労働関係調整法」)が適用されるのみならず、全ての面で、日本国民と同等の『人権』が保証されるのであれば、賛成です。それは、私にとりましては、私たちの隣人となる『移民』を意味しておりまして、すなわち、移民としてなら、家事労働者の労働開国には賛成です。その一方で、日本の方々は、移民を受け入れる覚悟があるようには、私には思えず、私の考えは少数派であるのを理解しています。

⑵もし選択肢があれば利用者になるか
→ 時に必要に迫られて利用するでしょうが、私の場合は、上野さんから教えて頂いた言葉、『グローバルケアチェーン』という、 社会の下部構造へ、玉突きのように、家事・育児・介護を投げ出し、また、押し付ける事によって、政治的、経済的、社会的に優位に立つ者が、自分の日々の暮らしを回す構造に、自分が組み込まれているのを意識し、痛覚を伴いながらの利用となります。 上野さんの言葉だと、劣位の層に押し付けて、『手を汚す』わけですが、確信犯の私は、『今の私の状態は、仕事やお金を稼ぐ事に振り回されて、一緒にいて楽しい人や気の合う人と、家事を共に担う楽しみや、お互いが困っている時に手を差し伸べるという自分の権利が、奪われているのかもしれない?』と自問するでしょう。
アメリカの元大統領のバラク・オバマと妻のミッシェル・オバマは、料理を代行してくれる人を雇っていましたが、雇うのにあたり、『このやり方は自分達の目指す世界とは相反するのではないか?』と苦悶したと、ミッシェル・オバマの自伝には書かれていましたし、この悶絶はフェミニズム的には、誰もが通る道なのかもしれず、そうならば、この悶絶を大切にしたいです。
ですので、家事サービスを利用する事によって『余裕』を取り戻し、また、『時間』が確保されるという利点をも踏まえて、私は、利用するたびに、家事サービスを利用する自分は何者なのか?を、自分自身に突きつける、悶え苦しむ利用者になります。

⑶ご自分が使う側に立てると思うか(それだけの購買力があるか)
→ 私には購買力はありません。基本的に、これは、富裕層の女達のためのサービスなのです。庶民の私としましては、一人暮らしの場合は、家事労働サービスを利用しないと生活が回らないような、その生活自体を人間らしくない暮らしと恨み、疑問視します。酷使されすぎではないか?、もしくは、安く使われているのではないか?と。
また、同居人がいる場合は、その相手に詰め寄り、生活の回し方を一緒に考え直していきます。ちょっと待ってよ、こんな生活を、私たちは求めているのだろうか?と。

⑷そもそもこの先、円安日本に外国人労働者が来てもらえるのか?
→ このまま円安が進み、姑息なやり方である『外国人技能実習生』制度を継続するのであれば、海外からの労働力は先細るでしょう。日本は選ばれない国になると思います。先日、友人達と各国の移民政策を調べる機会がありまして、私は韓国について調べました。韓国も移民は受け入れてはいませんが、日本の『外国人技能実習生』制度を改善し、労働三権,最低賃金,健康保険や労災保険を適用し、海外からの労働者を日本以上に受け入れています。すなわち、世界では、海外からの労働力の奪い合いの競争が始まっていて、変わらない日本は、その競争から取り残されるでしょう。

最後になりますが、上野さんは、介護保険の訪問介護サービスを、今まで以上に外国の方にも担ってもらうのを、厚生労働省は考え始めていると、おっしゃっていました。
どの業界でも、人手不足が起こっている昨今ではありますが、特に、訪問介護員の求人倍率の高さは、他の業種と比べても、段違いの高さ。まずは、給与水準を引き上げていく事の方が、先だと思います。しかしながら、制度を立て直す事もなく、海外からの労働力を入れる事によって、求人倍率をごまかし、それゆえ、給与水準を引き上げる努力もせず、訪問介護の現場を綱渡りのようにやりくりしようとするのは、結局は、介護にお金はかけられない、もっと踏み込んで言えば、近代産業社会で、使いものにならなくなった人間には、国は手間隙はかけないという扱いです。
それに対しまして、私は、人を分別するかのような、この扱いを飲み込む事はできません。思うに、制度ができた時の崇高な理念が形骸化してしまった、こんな不正義で、不具合を起こしている介護保険制度を利用する者も、そして、その制度の元で働く方々も、どちらも不幸、みんなが不幸です。そして、この『みんなが不幸』な状態を、立場は違うけれども、双方とも当事者である、利用者と訪問介護の現場で働く方々が共に認め合う事ができるのであれば、『不幸』な状況の解消へ向けての結集の第一歩になるのだと感じます。
『みんなが不幸』は、辛く厳しい現実ですが、もう失うものはなく、土壇場という覚悟もできますし、フェミニズム的には、構造的な真実を知る方が、知らないで生かされるより、100倍、明日を生き抜く力となるのは経験済み。WANにお集まりの皆さまなら、今ここで抗わないのならば、何のために生きているの?と、きっとお感じになっていることでしょう。


第9回 グローバリゼーション 受講レポート   AT

「海外からきた家事労働者を家庭で受け入れることができるようになったら、あなたはその家事労働者を雇いますか?」との 上野先生の問いかけは、違和感があっても深く考えずに蓋をしてきた様々な思いを呼び起こしてくださった。

社会保険労務士の試験のために労働基準法を学習していたとき。労働者の保護のための法律のはずなのに 家事使用人(家庭で直接雇用される家事労働者)が労働基準法に「適用しない」と記載されていた。それも、同居親族のみで営む 事業と同列で。「え、労働者じゃないの?」と思った違和感は20年以上経過した現在でも忘れていない。
実際に数年前に過重労働のため亡くなる方が発生してしまったのに、保護する法律はなにもなかった。
労災保険もいわゆる「一人親方」が加入できる制度にしか入れない。通常であれば雇用主が強制加入する必要があるのに。
こんな状態で海外からの家事労働者を受け入れてしまったら、悪意のある雇用主が劣悪な労働条件で雇用するのは 目に見えている。最低賃金や労働時間の上限も、法律では保護されない。日本政府は、いつか海外から家事労働者を受け入れるであろうとはかんがえているが この法律の穴を隠したまま門戸を開くのではないかと危惧している。これに対してなにかできることはないだろうかと 考えているが答えがない。安い金額で家事労働を担ってくれる人がいたなら、目先の大変さは解決するが(私も 家事支援サービスを週1回お願いしていたので非常にそうおもう)、女性が主に担わされてきてようやく目に見える ようになってきた家事労働の価値を下げることになるのではないか。その片棒を担ぐことには加担したくない。
どんな立場の人も、よりよく生きることができるようになるために、どうすればいいだろうかと考えているが答えがでない。

私のペルー出身のパートナーには、ペルーで生活しているダウン症の妹さんがいる。
「ペルーは日本みたいに福祉が充実していなくて行政には頼れない」から、 彼の姪が妹と同居しつつ、家政婦さんを雇用して住み込みで働いてもらっている、と言っていた。
この構造に対して「グローバル・ケア・チェーン」という名前があることを、上野先生から教えていただいた。
彼の姪も、家政婦さんも女性。行政が行うべきことを、女性の労働でカバーしているように感じている。

本来は行政が担うべき責任を、家庭、特に女性に付け回しをしているのではないか。
途方もなく根深い、男性優位の仕組みの一端が見えてしまったように思う。


第9回 グローバリゼーション 受講レポート   alary

今回のテーマは「グローバリゼーション」。
このテーマに関連して、以前から考えていた問いがあった。
それは、「異人種間の格差を犠牲にすることなく、同一人種間の男女格差の解消は可能なのか」という問いである。

どういうことか、もう少し詳しく説明しようと思う。
以前、上野先生のとある講義を受講した際に、
「同一階層間の標準化は人種や階級の格差を拡大することによって達成されるという仕掛け」だというお話を伺った。
つまり、人種や階級などの他の格差を犠牲にすれば、一部の層の間での平等が達成されるということだ。

私は1年ほどアメリカに住んだ経験があるのだが、その経験に照らすと、この説明は腑に落ちるものだった。
アメリカに住んでいた時、多くの白人女性が、移民の異人種女性をナニー(ベビーシッター)として雇っていた。
それによって白人女性は育児によって仕事を辞めたり、勤務時間を制約されたりすることなく働き続けることができていた。
つまり、グローバル南北格差を背景に、低賃金で雇用できる移民を利用して、ケア労働というサービスを市場から調達する。
そうすることで、白人女性がケア労働という責任から解放され、同一人種(白人)間の男女平等がある程度達成されるという仕掛けだったということになる。

…という記憶を辿ると、一有色女性としては複雑な気持ちになる。
彼女らの達成した平等は、ケア責任を男女平等に分配したことによるものというよりは、女性も男性と同じようにケア責任から解放された結果としてもたらされたものである。
そして、もともと白人女性が担っていたケア責任は、異人種の女性が担うことになった。
「人種的/経済的には強者だった者が、別の弱者にケア労働を押し付けているだけ」に見えた。
だから、自分はそうしたサービスがあっても利用しないようにしよう、と思った。

ところが、実際に仕事を始めると、そうしたサービスを利用しないと、この組織で生き残っていくのは難しいのではないかと思うようになった。
正規雇用の総合職として採用されたのだが、残業が多く、出世して管理職を目指す場合は、定時はもちろんのこと、それ以上の貢献が求められた。
実際に管理職として働いている人々は、24時間体制と言っても過言ではないほど、忙しそうだった。

このような労働環境だったので、もちろん、管理職のほどんどが、ケア責任のない男性。
一部女性もいたが、独身または子なしが多く、子どもがいる場合も、両親または義両親に子どもの面倒を見てもらっていた。
両親または義両親という資源を利用できない状態でケア責任を負った場合、夫と均等にケア労働を配分するとしても、少なくとも定時には帰らないといけないだろうし、場合によっては時短勤務なども利用しなければならないだろう。
しかし、そのような人材が一流の戦力として認められ、上にあがっていくルートは、残念ながら見いだせなかった。
ケア責任を負った人(ほとんどが女性)は二流の戦力として、いわゆる「マミートラック」に押し込められているように見えた。
この手前で、育児と仕事の両立の負担から、辞めていった人も多くいるだろう。
このようにして、管理職になれる女性は減っていく(減らされていく)のだなと思った。
女性が男性と対等に戦っていくためには、アメリカのようにケア労働サービスを外部調達するしかないのではないかと思うようになった。

…という話題をWAN講座のフリーディスカッションで提起したところ、上野先生から参加者に対して、「家事労働者の労働開国に賛成か?そのようなサービスがあったら使うか?」という問いかけがあり、これに対して様々な意見が寄せられた。

賛成の立場からは、
・出稼ぎに行くよりましな仕事が国内にない国の人にとっては、出稼ぎ先の国の人にとっては低賃金の仕事でも、自国では得られない程度の資金を獲得できるチャンスになる
・本人が望めば希望の他国で働くことは、職種を問わず可能であって欲しい
などの意見が寄せられ、反対の立場からは、
・不平等に上に成り立つ平等に意味があるのか。それが私たちの目指していたフェミニズムなのか
・ケア労働を他者に依存することで、ひとりひとりに十分なケアが行き届くのか
などの意見が寄せられた。

この他に、
・ケア労働を外注する以前に、男性の意識を変える、ケア労働を正当に価値付けるなど、やるべきことがあるのでは
・今の政府の技能実習生や在留資格を失った人への仕打ちを見るに、使い捨て・ずっと面倒見る気はない・非人道的であるため、今の政府のうちは実現してはダメ
などの意見も寄せられた。

これらの議論を踏まえて、私も、上野先生の問いかけに答えたい。
現時点での私の考えはこうだ。
家事労働者の労働開国は理想的ではないが、過渡期における非常手段としてはやむを得ないのではないか。
もちろん、外国人労働者の人権保障と日本人と同様の最低賃金の設定を必須にした上で、の話である。

男性の意識を変えることは重要だ。
男性の意識を変えてケア責任を男女で均等にした上で、ケアの公費負担を拡大するという選択肢(スウェーデン型)があるということも知っている。
しかし、一度社会に根付いた福祉レジームを修正するのは容易ではないだろう。
その実現を待っている間に、一人、また一人と女性が脱落していき、結果として管理職になって意思決定するのは男性ばかり。
それが繰り返されてきたのではないだろうか。

社会全体で共稼ぎが半数以上を占めるようになり、正規雇用同士のカップルも増えてきた。
仮に家事を夫婦で50:50で分配したとしても、限界はあるだろう。
対価を払った上で、家事サービスが手軽に利用できる環境に対するニーズは高まっていると考える。

なお、外国人の家事労働者ではなく、日本人による家事サービスを利用すればいいのではないかという意見もあると思う。
(それは女性間の階層格差を利用しているだけではないかという批判を一旦脇において)
日本人による家事サービスは現に存在しているが、一般的と言えるほど普及していないと思われるので、気軽に利用するには敷居が高い料金なのではないか。
ただ、最近は「女性活躍」施策の一環で、ベビーシッター補助を出す企業があると聞いたことがある。
こういう取組が普及したら、外国人家事労働者に頼らずとも、家事労働サービスをより手軽に利用できるかもしれない。

講座終了後に改めて、上野先生から以下の点について問いかけがあった。
イチ有権者として、多くの人に一度考えてもらいたいと思う。
⑴家事労働者の労働開国に賛成か
⑵もし選択肢があれば利用者になるか
⑶ご自分が使う側に立てると思うか(それだけの購買力があるか)
⑷そもそもこの先、円安日本に外国人労働者が来てもらえるのか

P.S.
講座終盤に、上野先生から「女対女の闘いになってしまっているのがおかしい。もとを辿れば何もしない男がいけない」という趣旨のご発言があった。全く同感である。
また、他の参加者からも「女はキャリアとプライベートを削って不払い労働を引き受けているのに、(それが当たり前になりすぎて)感謝されないどころか、男がやればイクメンなどともてはやされ、妻は夫に感謝を述べておだてて育てよと言われる。時々誰かがその役割を代わってくれた時(お金を払って代わってもらった時)、女だけがとてつもない罪悪感に苛まれ、そして感謝を相手に述べる…男は一切そんなことないのに。この不均衡がそもそもおかしい」という趣旨のコメントがあった。こちらも同感である。


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