無垢な女学生呑みこんだ戦争
北朝鮮から南へ"風船爆弾"が飛んできた。内容物は汚物やゴミだという。子どもだましのような嫌がらせだが、とりあえず人命に危険は無い。『愛の不時着』では女主人公がパラグライダーに乗って南から北へ越境した。季節によって風向きが変わるのだろうか?
そういえば成層圏には偏西風が吹いている。それを利用して太平洋の彼方の敵国へ、風船爆弾を飛ばそうとしたのが戦時中の日本である。1944年11月から1945年4月まで約9000発が飛ばされ、うち約1000発がアメリカ大陸へ届いた。そのうち1発がオレゴン州に届いて牧師の妻と日曜学校の生徒たち、計6人が死亡した。実際に殺傷能力があったのだ。
楮からじょうぶな和紙を漉いてコンニャク糊で貼りあわせる。それを大きな風船にして穴がないかを点検する。ほんものの爆弾を搭載して、偏西風を利用して飛ばす。おそろしい労力のかけかたにくらべて、効果は薄く、児戯のような思いつきだ。戦争の末期、追いつめられた日本軍が急ごしらえの特攻機やベニヤ板張りの人間魚雷艇を思いついたように、ありとあらゆる手立てを尽くして強大な敵にわずかな打撃を与えようとしたのだろう。「ふ」号作戦、風船爆弾開発計画である。
その風船爆弾の製造に動員されたのが女学校の生徒たちだった。雙葉、跡見、麹町高等女学校。その女学生たちの憧れの的だった宝塚の公演は、戦局が逼迫するにつれ上演を制限され、禁止され、あまつさえ劇場は風船爆弾工場の一つになる。タカラジェンヌと名指された少女たちは同盟国イタリア、ドイツの公演に動員され、戦時下には兵士の慰問公演に、大陸へと派遣された。
作者の小林エリカさんは核開発に加担したキュリー夫人の生涯を追って、女性の戦争責任を問うてきた。本作では風船爆弾をつくった少女たちは、犠牲者だったのか、それとも加害者だったのか、と問いかける。
そのために著者は女学校の記録を読み、元女学生たちの証言に耳を傾ける。そして宝塚の歴史を追う。その複数の「わたしたち」が縄のようにないまぜられて、ひとつの交響詩をかなでる。
「春が来る。
桜の花が咲いて散る。」
このリフレインが繰り返される。いくたびもの春が巡り、少女たちは歳をとる。
わたしは、わたしたちは、わたしたちの占領地に出かけ、わたしたちの前線兵士を慰問し、わたしたちの軍隊に置き去りにされ、わたしたちが招いた空襲を受け、わたしたちの中の少女や女たちが強姦を受け、わたしたちの国が無条件降伏したことを、わたしたちの天皇が告げるのを聞く。
もう若くないある日「わたしは、わたしが作っていたものを、知らないことを、知らされていなかったことを、はじめて知る。」
全編、詩のような、あるいは呪詞のような文体でくりかえされる「わたし、わたしたち」はいつのまにか読者のわたしを呑みこんでいく。あたかもそれがわたし自身の経験であったかのように。もっとも無垢な少女たちが、無知と無力のゆえに戦争に巻きこまれていく。
巻末に膨大な注と参考文献リストがついている。小説に注と文献をつけなくてもよい理由など、ない。テキストとは引用の織物だ。戦後第三世代、戦中派の孫世代になって、わたしたちは小林エリカというおそるべき語り部を得た。少女たちの経験は声を与えられてこなかった。だが、忘れられてはならないのだ。
(熊本日日新聞2024年7月2日読書欄「上野千鶴子が読む」から許可を得て転載)
◆書誌データ
書名 :女の子たち風船爆弾をつくる
著者 :小林エリカ
頁数 :400頁
刊行日:2024/5/15
出版社:文芸春秋
定価 :2750円(税込)