
暑い夏の日の8月24日(土)、ひとまち交流館京都で開かれた映画上映と講演「大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない 中国・山西省 黄土の村の性暴力」(主催:日本軍「慰安婦」問題を記憶・継承する会・京都)に出かけた。FB友だちの岡山の「ふぇみん」会員の方から「石田米子さんがいらっしゃるわよ」と聞いて、「ぜひ行かなくっちゃ」と思って。80代後半になられた石田米子さんは、少しも変わらず、お元気で、ほんとにうれしい。各地から大勢の人々も駆けつけていた。
ビデオ塾映像記録シリーズ『万愛花 闘いこそが人生だった』(池田恵理子制作、2022年)の上映後、石田米子さん(岡山大学名誉教授。山西省における日本軍の性暴力の実態を明らかにし、大娘たちと共に歩む会(略称:山西省・明らかにする会)共同代表)のお話を聴く。
石田さんの、ダーニャンたちとの出会いと、その後に始まる中国山西省現地での彼女たち10人への18回にわたる聴き取りの中で、石田さん自身が心がけたこと、決して外さなかったこと、そして中国近現代史研究者としての矜持と。あふれる思いを、ゆったりと話される語り口に、ただ、じーっと聴き入るばかりだった。
石田米子・内田知行編『黄土の村の性暴力 大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない』(創土社、2004年4月、山川菊栄賞受賞)の400頁を超える大著を、もう一度読み返す。

石田米子さんたちと中国山西省盂県の性暴力被害女性たちとのかかわりは、1992年、東京で開かれた「慰安婦」問題の国際公聴会で、中国人女性では初めて、戦後50年の時を経て語りえなかった自らの性暴力被害を訴えた万愛花さんとの出会いに始まる。その後、現地農村に入り、聴き取りによる実態調査が始まり、1996年10月から2003年3月まで6年間に10人への聴き取り調査を18回、その記録は120分テープで150本にのぼったという。
1998年10月、被害女性10人は日本国家を相手に謝罪と賠償を求める裁判を東京地裁に提訴。2003年4月、東京地裁で請求棄却。2005年3月、高裁では被害の事実認定はされたが、「国家無答責」として請求棄却。2005年11月、最高裁は上告棄却・不受理決定とした。その間ずっと「山西省・明らかにする会」は彼女たちとともに闘う。
山西省盂県西部の村々は、日本軍侵入当時、女性たちは纏足、売買婚・早婚が慣習としてあり、家父長制のもとにあった。日本軍による「討伐」(殺戮・略奪・強かんなど)に抗い、「八路軍」が「抗日運動」を拡大していた地域でもあった。文字を知らない女性たち、被害を受けた一人ひとりは「恥ずかしい」と思い続け、自らを責めて忘却の中に閉じ込めようと、いまわしい記憶を語り得ないなか、聴き手側も、歴史学における記憶・記録・記述の扱いや調査方法の課題を、否応なく抱えざるをえなかったという。
学校教育を受けたことのない高齢女性たちは筆談も叶わず、山西省の方言を読み解くには、元留学生や現地の協力者たちの力が大きかった。現地で被害者の掘り起こしと事実関係を調査してきた李貴明(農民)や張双兵(小学校教師)らが協力を惜しまなかったという。しかも自宅では自由に語れない彼女たちのために太原市内のホテルに席を移し、敢えて男性の親族の同席を断って彼女たちに聴き取りを行ったという。
「語る被害女性たちと聴く私たちの過去に向き合おうとする双方向の、苦しいが相互の信頼関係を築いていく貴重な過程があった。彼女たちが、自らの被害に向き合い、自分たちは悪くないという自信を取り戻し、裁判(中国語で「打官司」)をしたいといい始めたのは聴き取り開始から1年半後のことであった。
長くわだかまってきたことを日本人の前に思い切り吐き出し(「出口気」)、自分を苦しめた日本の責任者に謝罪をさせ、この一生の損害を償わせ、名誉を回復して村の中で胸を張って生きたい、そうしなければ死ねない、と彼女たちは、裁判を闘うことで自ら生きることを見いだしたのである」。
日本へ提訴を決めた時の彼女たちの晴れやかな写真が、そのことを、よく物語っている。
改めて本を再読し、彼女たちの語る言葉や過酷な状況を読んでいくうちに、その先を読み続けることがとても辛くて、途中で何度もバタンと頁を閉じては、また読み進めていくことを繰り返していった。
聴き取りを重ねた大娘たちの被害状況を、表に敢えてまとめたという熱田敬子さん(山西省・明らかにする会)によれば、万愛花さん(1930~2013)の被害時期は1943年~44年、拉致・監禁による強かん被害だという。ああ、私が生まれた年代ではないか。
万愛花さんは、「村に日本の鬼(日本軍)が来た」と聞き、急いで逃げたが、連行、監禁され、彼女が反日運動に参加していたこともあって、脅され、暴行を繰り返し受けたという。そして万愛花さんは、国際公聴会での発言や裁判での証言の後、「私は慰安婦ではない」と断言する。「日本軍性暴力被害者を「慰安婦」「『慰安婦』制度被害者」として括らないでほしい」との思いから。
石田さんは「元日本兵で「慰安所」に行った経験を語る人は多いが、強かん、輪かん、「慰安婦」徴発の経験を語る人は極めて稀である。一人ひとりの生身の女性に加えられた性犯罪のほとんどは、加害者の沈黙のもとに裁かれることがなく今に至っている」と書く。「「慰安所」は、軍令により軍隊内では「合法」であり、「買春」に罪悪感がないことによる」とも石田さんは言う。
「記録されない、記述できない構造とは何か。侵略した国家・軍隊が被害の構造を強いたのではあるが、抗日する民族・国家もまた「敵によって蹂躙された女」として被害女性たちの存在が共同体の名誉を傷つけるものとなった。
だからこそ沈黙を破った被害女性たちによって見えてきた日本軍の侵略と住民支配、性暴力の実態により、彼女たちを記録しなかったこれまでの史料は、今までとは違う読み方をされなければならなくなったのである」と石田さんは鋭く指摘する。
お話の最後に資料として、亡くなったダーニャンたちに代わって、日本軍性暴力被害者の遺族である娘や孫たち18名が、母、祖母たちの訴えを引き継ぎ、2024年4月15日、17日、山西省高級人民法院に日本政府を提訴したこと。さらに2024年8月7日、湖南省の被害者たち8名(うち最年長の原告は102歳)が、湖南省高級人民法院に日本政府を提訴したことが載っている。
これは、一般社団法人「ふぇみ・ゼミ&カフェ」運営委員の熱田敬子さん(山西省・明らかにする会)のもとに、中国山西省の張双兵氏(山西省・明らかにする会への協力者)から情報が入り、熱田さんが関係者に取材したものをニュースリリースとして全文が紹介されている。だが、このニュースは日本のメディアには全く報道されていない。
私も「ふぇみ・ゼミ&カフェ」からの情報を知り、すぐに賛同署名をした。しかしその後、「ふぇみ・ゼミ&カフェ」からのメールでは「8月下旬、湖南省の人民法院より、日本軍性暴力被害者8名が提出した訴状を「受理しない」との通知が来た」という。「山西省の人民法院からは、なお返答も通知も来ていない」とあった。
ダーニャンたちの娘や孫たちが、母や祖母たちの意思を引き継ぎ、闘いは今も続いている。あの戦争を、決してなかったことにしてはいけない。戦争を真に終わらせるために必要なことは? 今、私たちにできることは何かを考えないといけない時が来ている。
私は1943年夏、北京の王府井近く、東単の胡同(フートン)で生まれた。ダーニャンたちと近い年代の母は、北京の西北、黄土の村でダーニャンたちが性被害を受けていたことを何も知らずに、私を産んだ。その後、病を得た母は1943年の冬、満鉄に乗って私を連れて日本へ帰国したために、母も私も「中国残留婦人」にも「中国残留孤児」にもならずに済んだのだ。だからちょっぴり後ろめたい負い目が、私にはある。
7月28日、大阪YWCAで開かれた「中国残留婦人「三世・四世」という経験-在日コリアン、在日華僑との比較から」(主催:近畿中国帰国者支援・交流センター)に参加した時も、中国残留婦人「三世・四世」の若い研究者たちの発表に、「ああ、若い世代につながっているんだな」と、うれしく思った。ダーニャンたちの闘いも、その娘や孫たちに、きっとつながっていくよ。
闘いは決して終わらない。ダーニャンとその娘や孫たちの闘いは、これからもずっと続いていくことを信じて。
以前のエッセイも参考までに。
語り得ない過去を、語り得るようになるまで-大娘(ダーニャン)たちへの「オーラルヒストリー」の試み(旅は道草・157)やぎ みね
本書の第二部 論文篇「山西省における性暴力とその背景」の一篇、池田恵理子さんの「田村泰次郎が描いた戦場の性-山西省・日本軍支配下の買春と強姦」にふれて
暑い、熱い戦後70年の夏に(旅は道草・67)やぎ みね
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