
久しぶりに、コロナ禍で途絶えていた読書会が開かれた。テキストは上野千鶴子・蘭信三・平井和子編『戦争と性暴力の比較史へ向けて』(岩波書店、2018年)。当番を迎えて、第10章「戦時性暴力被害を聞き取るということ-『黄土の村の性暴力』を手がかりに」(蘭信三)を担当した。
この章は、石田米子・内田知行編『黄土の村の性暴力-大娘たちの戦争は終わらない』(創土社、2004年)をもとにした論評。本書は「性暴力の視点から見た日中戦争の歴史的性格」研究会(代表・石田米子)と、その支援団体「山西省・明らかにする会」によって編まれたもの。石田米子さんたちは、日本軍性暴力被害について大娘(ダーニャン)たちへ「オーラルヒストリー」を試みることにより、彼女たちが「沈黙の記憶」から「モデル・ストーリー」へと解放されていくプロセスを追う。
石田米子さんとの出会いは1988年に遡る。私の2冊目の本、『関係を生きる女(わたし)-解放への他者論』(批評社、1988年)の読書会を石田米子さんが開いてくださって、婦人民主クラブ・岡山のみなさんとご一緒したことがあった。他にも「毛沢東思想学院」元院長の故・大塚有章氏と同院事務局長の高見邦雄さん(現在は黄土高原を緑化する「緑の地球ネットワーク(GEN)」事務局長)とのつながりもあるが、そのことはまたの機会に。


なぜ石田米子さんは、1996年、中国山西省孟県(うけん)へ進軍した日本軍兵士らによる大娘たちへの「黄土の村の性暴力」の聴き取りを始めたのか。その背景には1991年、元日本軍「慰安婦」金学順のカミングアウトと、1992年、東京で日本軍「慰安婦」問題の国際公聴会が開かれ、中国人女性として初めて、万愛花さんが性暴力被害を世界に向けて訴えたことがあった。山西省孟県の農村地域は戦前、戦中、戦後にかけて八路軍(中国共産党の軍隊)の拠点でもあり、当時はまだ「未開放地域」だった。大娘の中には「纏足」の人も多くいたという。
「生(なま)の記憶」(原体験に関する当時の「あのとき-あそこ」での記憶)は、50年後の1990年代まで語られてこなかった。10人の大娘たちへ、18回、6年に渡る聴き取り作業(120分テープで150本以上)を行い、彼女たちの「沈黙」からの語りが、ようやく明らかにされていく。その作業は、あくまで「記録」ではなく、「記憶」を引き出すこと、またその「証言記録」を「記述」する困難さもあった。表現を十分に駆使できない大娘たちは、「言葉の纏足」状態にあったともいえるのではないか。またこの地方独特の中国方言を何段階も経て日本語に翻訳するには、留学生たちの協力が不可欠だったという。
背後には当然、ジェンダーバイアスがある。性被害を語る時、聴き手は誰か。聴き手との関係は? 聴き手の「意図」に左右される危うさのみならず、語り手が属する村や親族、地域コミュニティの中で性被害の過去が抑圧されてきたことによって、「恥ずかしい、語ってはならないこと」として彼女たちは長い沈黙を強いられてきたのだ。
そこから石田さんたちは、戦時性暴力被害者の語りを「沈黙から個人の語り」へ、そして「個人の語りから新たな集団/コミュニティの語り(モデル・ストーリー)」へ、二つの異なる位相へと推移していく過程を経て、彼女たちの「歴史の事実」を明らかにしていく。やがて大娘たちは、聴き手との心の交流を通して、「私たちは何も恥じることはない」と確信するようになり、「解放へのモデル・ストーリー」を自らの手で獲得していくことになる。
そして戦時性暴力被害者の一人、万愛花さんは元八路軍協力者として日本軍兵士から痛ましい性被害を受けたことを日本の裁判所に訴え、国家の過ちを認めるよう求める。彼女ら原告10人は、彼女たちを支援する「山西省・明らかにする会」とともに、1998年10月、東京地裁へ提訴。2003年4月、東京地裁棄却。2005年3月、高裁棄却。2005年11月、最高裁は「国家無答責」として上告棄却・不受理とした。
では聴き取りはどのようになされたのか。石田さんらは、大娘たちの手を握り、抱きしめ、彼女たちを受け止めている気持ちを伝え、「待った」。そう、「待つ」ことが大事なのだ。そしてお互いに何を考えているかが伝わりあうようになり、そこから聴き取りが始まったという。「一人ひとりが、どのように自分の被害を感じ、どのように語ろうとしているかを聴いていく」。その中から得た知見は、「対話」としての聴き取り(「生(なま)の記憶」)となり、語り手と聴き手の双方が、被害を受けた大娘たちの人生の「物語をつくっていく」プロセスを踏んでいくことになる。
石田さんたちは、ジェンダーによる語りの違いも実感していく。彼女たちは文字を知らないだけでなく、生きている世界も狭く、村全体のことを掴めない。纏足のために生きる世界も狭く、語る世界も身近な範囲のみ。石田さんは聴き取りの中で、「纏足」の意味を、ようやく理解できていったという。それに対して男たちの記録は、彼女たちの性被害を「村の恥」「家の恥」(面子が立たない)という「村の記憶」として語る。それはまさしく大娘たちへの抑圧以外の何ものでもない。大娘たちが自らの被害と真正面から向き合うことで、「自分は悪くない」と自分自身を取り戻し、自らの被害を具体的な物語として語れるようになっていく「解放の物語」こそが、何より大事なのだ。
石田さんは、大娘たちとの人間的共感に基づく「対話」による聴き取りを基本に据える。それは大娘たちが裁判を起こした後も、たとえば日本軍元「慰安婦」の語りの場で、被害者の語りが「被害の語りから告発の語り」へと定型化され、それ以外の語りが排除されていった危険性をも憂慮し、「語りが定型化することがないように」と、心がけて聴き取っていったという。
その結果、「沈黙から個別の語り」へ、そして「個別の語りから解放のモデル・ストーリーへの語り」へとダイナミックに変化する「語りの変化」こそが、戦時性暴力被害に関する「オーラルヒストリー」の試みの、ある一つの到達点となったのではないかと思う。
最後に、この章を担当した蘭信三の思いが、「付記」に書かれている。彼の父親が戦時、中国山西省付近に一時期、兵士として派遣されていたこと。父親の「軍歴証明」を取り寄せ、父の行動が「黄土の村の性暴力」とつながっていたのではないかとの恐れに直面しながらも、「復員兵の子」としての責任に正面から向きあう心の準備が、まだ十分にできていないと語る。
1943年、北京の王府井近く、東単で生まれた私もまた、同じ頃、北京の西方、山西省孟県で母と同じ年代の大娘たちが、日本軍兵士たちに「慰安婦」としてではなく、強姦されていた事実を知らずにいたことを今、改めて思う。20歳の母が、突き抜けるような青い空の下、北京の胡同(フートン)で暮らしつつ、大陸の気候が合わなかったため結核から腹膜炎を患い、母体を守るため私を早産した後、満鉄に乗って敗戦前、帰国したために「中国残留孤児」にならなかった私。そして今、山西省孟県の大娘たちは、生き残っている人は、もういない。
『黄土の村の性暴力-大娘たちの戦争は終わらない』を読み、本をパタンと閉じたくなるほど辛い事実に胸が塞がれる思いがした。だが、これは後世に読み継がれていかなければならない「記憶」と「記録」なのだ。
石田米子さんは今、87歳。お元気で、ほんとにうれしい。以前、お会いした時、知性あふれる、あの優しさが、大娘たちとの心の交流を生み、聴き取りを可能にしたのだと納得する思いがした。石田米子さんが、中国近・現代史の研究者として、大娘たちの「証言記録」を残してくださったことに心から感謝したい。
また『黄土の村の性暴力-大娘たちの戦争は終わらない』第二部論文篇で、池田恵理子さんが「田村泰次郎が描いた戦場の性-山西省・日本軍支配下の買春と強姦」を書いている。私もまた前述の自著で、田村泰次郎が『春婦伝』『蝗』の中に、一兵卒と朝鮮人慰安婦の交流を鮮やかに描いていたこと、それは石川達三の『生きてゐる兵隊』や火野葦平の『麦と兵隊』で描かれているものと異なっていたことに触れた。しかし男性作家たちが描く戦争文学は、どうしても女の実感とは異なるのだ。「再び、生きて帰れるかどうか、誰にもわからない、いまというとき、女体を力一ぱい抱き締め、生の確証をつかみたいという欲望」が戦地の男たちの一つの感情だったとしても、それは女たちにとって、何としても理解しがたい感覚なのだ。
池田恵理子さんは元日本軍兵士たちに向かって問う。「戦場で、なぜこのような残虐な性暴力を働いたのですか?」「後悔や罪の意識に苛まれたことはありませんか?」「戦後をどんなふうに生きてきましたか?」と元兵士たちに聞きたいという。しかし彼らは沈黙を守り続ける。ただ一部に、元日本軍兵士として自分がかかわった戦場を訪ね、自らの戦争体験に向き合い、石田さんらの聴き取りにも応じた人が、わずかながらいたのだが。
語られなかった過去を語れるようになること、それは語り手と聴き手との、あるべき関係の中からしか生まれてこないことは、確かなのだ。
「戦争」と「戦時性暴力」は一体のものなのだろうか。戦後70有余年、戦争も性暴力も止むことがない。21世紀を過ぎた今も、私たちはその結びつきを断ち切ることができずにいる。世界のどこかで今なお、その関係が連綿と続いていることが、なんとも辛くて、悲しい。
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