まったくわたくしごとで恐縮ですが、しばらくおつきあいください。
わたしは60年前に結婚しました。そのとき、姓を変えることになるのはいやだとちょっと思ったことはありますが、それが普通だし、それ以外に取る方法もなさそうだから仕方がないかぐらいの気持ちで、旧姓の「多賀」から「遠藤」に変えました。結婚式の休暇後職場に戻ったら、上司や同僚からごく当たり前のように「遠藤さん」といわれて、あ、そうなのか、もう「多賀さん」と呼ばれることはなくなったのかと、少し悲しい思いをしたことは覚えています。
私が結婚したのは24歳のときです。そのころは、女性は20歳過ぎたら結婚するものと、親は勿論、当人もそう思っている人がほとんどでした。結婚しないで一人で生きていくなどという道は、よほどの資産家か、ものすごい芸術的才能があって、その作品で生活が出来る人、よほど優れた頭脳の持ち主で、立派にその才能を発揮して独立して生計が立てられる人とか以外は、考えられませんでした。私の大学の級友の中には在学中にお見合いをし、卒業と同時に結婚した人もいました。私自身も結婚しない道は考えられず、結婚するのは当然と思っていました。そして、その結果姓を変えて夫と同じ姓になるというのも、仕方がないといった程度の、今から思えば浅はかな考え方をしていました。当時でも女性だけが姓を変えるのはおかしいと抵抗して、姓を変えずにいた人がいたことは後で知りましたが、当時の新聞はそうした新しい生き方の例をあまり伝えてくれなかったと思います。
そういう時代だったことを思うと、やはり60年の間には大きな変化がありました。2020年の国勢調査の結果は、50歳まで結婚しない生涯未婚率は、男28.3%、女17.8%でした。結婚しない女性が2割近くいるということです。現在ではもっと増えていることでしょう。
結婚するのが女の幸せだと、有言無言の教えに導かれて、多くの女性が結婚したのですが、それはまやかしだったと女たちは知りました。母や周囲の女性の現実を見れば、それはすぐわかることでした。そして結婚しなくても立派に生きている女性のモデルも出てきました。社会も変化して、結婚しない女性に寛容になってきました。一緒に生活したいという相手がいて、その人と結婚したければすればいい、したくなければそれもいい、ということになってきました。結婚したくもないのに、一人では生きられないから養ってもらうために結婚する、いつまでも家にいられては困るなどと、追い出されるようにして好きでもない人と所帯を持つなどということもなくなりました。また、結婚したら姓を変えなくてはいけないから、結婚しないという女性も出てきています。60年前には考えられなかった変化です。それはいい変化です。ですが、残念なことに、女性が姓を変えることを強いられる面は変わっていないのです。
社会に出て働く女性が多くなり、結婚で姓を変えることで実際に不利益を被る女性が増えてきました。たとえば、大学院時代に発表した論文の姓と、結婚後に発表した姓が違うと別人かと思われてしまい、キャリアがつながりません。私が私でなくなるようなアイデンティティの問題もあります。だから結婚しても夫婦の姓を同じにするという民法を変えて、同じにしたい人はそのままでもいいが、妻が夫の姓と同じにせず、生まれた時の姓のままというあり方を選びたい人はそれでもいい、という制度にしようという動きが出てきました。この非常に穏やかな、だれでも賛成しそうな選択的夫婦別氏制度導入の案が出たのは1996年で、それ以来30年近くになります。
ところで、結婚した夫婦は姓が同じでなければならないというのは、それほど大事なことなのでしょうか。別姓に反対する人は日本古来の伝統とか美風とかを持ち出して、別姓を認めたら、家族はバラバラになってたいへんなことになるとおっしゃいますが、そもそもすべての日本人が姓を名乗ることになったのはそんな古い話ではありません。貴族や武士や僧侶だけでなく平民もすべてが名字(苗字)を名乗ることになったのは、明治8(1876)年の「平民苗字必称令」という太政官のおふれが出て以降です。それ以前は平民のなかには名字はない人もいました。同じ姓を名乗るのが古来の美風で、それがあるから家族のきずなは保たれるとおしゃいます。とんでもないです。別姓になったら家族はバラバラになってしまうのでしたら、もともと夫婦が別姓の、中国・韓国・フランスなどはどうなりますか。これらの国の人々は家族のきずなが弱いでしょうか。結婚してもすぐ離婚する夫婦ばかりでしょうか。
最近、国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)が日本政府に、選択的夫婦別姓導入を早くするようにという勧告を出しました。CEDAWは、すでに03年、09年、16年とこの制度の導入を勧告してきました。それでも日本政府が聞き入れないので、今年は第4回の「最大限」に強い表現で改善を求めてきました。(毎日新聞2024年11月22日)
4回も勧告されるのは、本当に不名誉な話です。恥ずかしい限りです。10月の総選挙で与党が半数に達しませんでした。今こそチャンスです。野党は結集して、自民党の中にもいる賛成者も巻き込んで、一気にこの別姓制度を実現させてください。
つい先日です。姫路で学会があった帰りに、実家によって90歳近い兄一家と食事をしました。兄は久しぶりのわたしを歓迎してくれて、家族間でやり取りしているLINEに夕食会の写真を載せて発信しました。「多賀織枝さん姫路で開かれた日本語教育学会参加の帰り立ち寄ってくれて中華で会食」と説明をつけて。わたしはそれを見ながら、もっといい写真を載せてくれればよかったのにと思っただけで、特にほかに気になることもありませんでした。
追って兄の娘がLINEに投稿、「織枝さん、すみませんとお父さんが申しております。懐かしくて昔の名前を書いてしまいました」と。そこで、やっと自分が昔のままの呼び方で呼ばれていたことに気がつきました。それくらい、「多賀織枝さん」は問題なく私の中を通り抜けていっていました。この名前が私そのものだったのです。私自身、こう呼ばれなくなって何十年にもなっているのに、そう呼ばれておかしいと思わなかった、そのことが驚きでした。みんなが変えるから、どうもそうしないとまずそうだから、変えるしかなさそうだと思って変えた名前。それが60年たって昔の名前で呼ばれたとき、一気に元に戻ってしまった、そのことに驚いています。それほど、変える前の名前が私だったということに。
やはり、女性が無理に名前を変えさせられる時代は、一刻も早く終わらせなければいけません。強く強く我が身に言い聞かせているところです。
2024.12.01 Sun
カテゴリー:連続エッセイ / やはり気になることば