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4.17 「知る」ことの難しさ(上) 宇都宮めぐみ

2012.09.21 Fri

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 韓国で暮らしはじめて三年になります。私の場合は、熱田さんのように「反日でこわいおもいしなかった?」と言われたことほとんどはありませんが、一方で、いつも挙がるキーワードが、「北朝鮮」と「竹島」でした。そもそも「北朝鮮」に関しては、メディアでセンセーショナルに報じられ続けていることもあり、帰省する度に心配の目を向けられてきたものですが、この夏は「北朝鮮」に関するリアクションよりも、「竹島」の方が目立っていました。

 韓国の話になると、「でも竹島がなぁ・・・」と、私の様子を窺いながら苦々しい表情で言う人々。韓国大統領の訪問をきっかけに、にわかに連日日本のメディアで取り上げられるようになった、あの島。日本中のほとんどの人が、行ったことはもちろん、見たこともなかったはずのあの島を、どうしてそこまで気にかけるのか。それが、「国民である」ということなのかもしれませんが、かつては無人島であったあの島が、今では一つの踏み絵となりつつあります。「竹島」か「独島(ドクト)」か――そこにはどうやらこの二つの選択肢しか与えられていないようで、こういった状況は韓国でもよく似たものです。(ちなみに韓国では、幼い頃から「独島は私達の領土」という教育がなされ、CMなどでも時々島の映像が使われるようです。)

 「もっと、お隣の人たちを知らないと」という熱田さんの言葉に、私も深く共感します。そして、「歴史を理解するって、きっとこの、言葉が人の姿におちるってこと」という言葉にも。「冬のソナタ」がNHK(BS)で放映されたのが2003年のことですから、それから早10年近く、両国を訪れる観光客もさらに増え、日韓が一気に近くなったかのような気さえしました。しかし一方で、韓国に旅行したり、様々な韓国の文化コンテンツに触れたりしてきた私の家族友人知人の多くが、朝鮮半島の近現代史にあまりに無知であり無関心であるということも、常々感じてきたところでした。

 現在では、もはや一時の流行としての「韓流」を超えつつあると言えるかもしれませんが、他方ではK-POPブームの冷え込みがささやかれてもいて・・・そこには、最近の日韓関係や「竹島・独島問題」が影をおとしているという声もあります。一体、「韓流」とは何なのか、日本の人々は「韓流」から何を受け取ってきたのだろうかと思うと、「知る」「理解する」ということの難しさを改めて考えざるをえません。

 帯に、「52万人が号泣した韓流小説」と大きく書かれている『母よ―ヘギョンの愛した家族』(キム・ジョンヒョン/蓮池薫訳)や、「隣人の素顔が見える・・・Korea Now」と書かれている『現代韓国女性作家短編 6stories』(キム・インスクほか/安宇植編・訳)は、一体どのように「韓流」で、どういった「隣人の素顔が見える」のでしょうか。

 前者は、ある家族の物語です。父親が興した会社が不渡りを出して破産し、一家が離散するも、様々な困難を乗り越えてまた家族が一つになるというお話です。話の中心は、幼い弟を守り生きるために体を売らざるをえなくなる高校生の娘の辛苦と逡巡と回復の道にあり、意外にも母(ヘギョン)は常にうろたえ、無力で、泣き、支えられながら少しずつ強くなっていく存在です。「家族崩壊なんて、その家族が諦めさえすれば、いともたやすいもの」と、あとがきで蓮池薫さんが言うように、家族というものの脆さと、一度壊れかけてしまったそれを元に戻すことの困難さが描かれており、絶対視されていたはずの「家族」なるものが揺らぎつつある韓国社会を映し出しています。また、一家離散のそもそものきっかけは突然の経済危機による破産ですが、1997年のIMF通貨危機など、未だもって不安定な韓国の経済状況が背景にあることは明らかです。植民地支配、朝鮮戦争、そして世界最貧国から急激な経済成長へ――という歴史がそれを生み出したのであり、破産という言葉の字義以上の含蓄があります。

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 後者はそのタイトル通り、韓国の女性作家6人の短編集です。軽んじられだんだんと歯車の狂っていく主婦、グループカウンセリングで口ごもる女、三度の流産という痛みを抱える女とその母など、主題も文章の風合いも異なる6作品が収められていますが、書き手のうち3人がいわゆる「386世代」で、民主化運動に何らかの関わりをもたざるをえなかった世代です。とくに、以前このリレーエッセイで取り上げたこともあるコン・ジヨンさんは、民主化運動の記憶を主題としています。主人公は、軍事政権下での息詰まる地下学生運動から逃れてきた女性。彼女は民主化を遂げた90年代に生きながら、当時の同志との再会や、20年ものあいだ獄中につながれていた元政治犯との出会いを通じて、20代の全てを捧げた80年代と現在との間を行き来しながら、自分に問いかけるのです。あの80年代から、自分は吹っ切れたのかと――。

 韓国でも、民主化以前と以降に育った人では、独裁政権や民主化に対する思いにいくらかの隔たりがあるそうですし、ましてや日本の人々にとっては想像することすら難しいものでしょう。しかし、韓国は、ほんの20~30年前まで、人によっては熱狂して迎え、人によっては命をかけて抵抗する、軍事独裁政権下にあったのです。今生きている30代以上の人々のほとんどがそういった歴史をくぐり抜けてきたということを、我々も忘れてはならないでしょう。

※10月5日にアップ予定の「「知る」ことの難しさ(下)」に続きます。

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カテゴリー:リレー・エッセイ

タグ: / フェミニズム / 歴史 / 韓流