2013.03.15 Fri
今年2月に刊行した拙著『出産と生殖をめぐる攻防――産婆・助産婦団体と産科医の100年―― 』は、2012年3月に広島市立大学に提出した博士学位論文に若干の加筆・修正をしたものです。本著は、近代的職業としての産婆・助産婦が誕生する1870年代から、その職能団体の形成と再編を経て1950年代に至るまでの間、彼女らが国民国家形成、戦争、占領期においておこなった利害調整と交渉の軌跡を、主に産科医との関係を軸に明らかにしました。そしてこの出版は、竹村和子フェミニズム基金からの助成を得て実現しました。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.長らく研究とは縁のない生活をしていたわたしが産婆・助産婦の歴史に興味をもったのは、自身が出産したあとの2000年代はじめでした。直接的には、当時暮らしていた山間地域の産育に関する古老の聞き書きに出会ったことがきっかけでしたが、間接的には、いわゆる母親役割として期待されることへの違和感や、一方で子どもを支配しようとする自身の矛盾などに、辟易としていたことがありました。そのような毎日の転機としたいと入学した大学院で研究に向かうことができたのは、指導教員であるヴェール・ウルリケ先生との出会いがあったからです。さらにその後、日本女性学研究会近代女性史分科会などで研究の仲間にしていただいたことが、大きな支えとなりました。
竹村和子さんは、フェミニズムを研究すると、いかに自分が既存の価値にまみれた存在であるかが自覚できると述べておられます(竹村「危機的状況のなかで文学とフェミニズムを研究する意味」『研究する意味』2003:142)。わたしのこの数年の経験は、まさにそのような発見の連続でした。また竹村さんは、自身が念頭に置くフェミニズムは、女に対して行使されてきた抑圧の暴力から女を解放することを意図しながら、同時に、そのような「女の解放」という姿勢自体を問題化していくこと、「女」という根拠を無効にしていくことだとも説いておられます(竹村『フェミニズム』2000:ⅶ)。拙著では、女性の権利を主張する潮流のなかにあり、「母性」や「女性であること」に依拠するほかなかった産婆・助産婦の軌跡を批判的に検証しています。しかしわたしは、彼女らを他者として批判しているわけではありません。「女」という根拠を無効にするには何が必要なのか、拙著を出発点として、今後もそれを考えていきたいと思います。
出版にあたり助成をいただいた竹村和子フェミニズム基金の特徴は、主要な研究助成にアクセスしにくい研究者や活動家に財政的な支援をしたいという目配りがなされていることだそうです。生前の竹村さんがこの基金の設立にいかに強い意志を持っておられたかは、基金のホームページにアクセスしてはじめて知りました。竹村さんと面識がなく、ご専門分野にも直接的な関連がないわたしの研究が助成受給の対象になったのは、ひとえにこのような基金の方針によるものだと思います。竹村さんからさしのべていただいた手の暖かさを感じています。
竹村さん、本当にありがとうございました。
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