2013.09.07 Sat
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.96歳の祖父が手術をした。そしてわたしの母が、介護の入り口に足を踏み入れた、のかもしれないと感じた、祖父の術後の姿だった。そんな折に手に取った伊藤比呂美の『閉経記』は、なによりも介護の記述が胸に迫った(あと、ズンバ。紅茶きのこ。塩麹。)私が介護の何を経験したわけでもないが、そこにある必死さと、無茶さと、そんなことを言っていられない状況。自分を待ち焦がれる人の顔を見る、一緒にテレビを見る、それだけのために、世界各地から日本の年老いた母、父のもとへ通う娘たちの姿。
「『お母さん、勘弁してよ、あたしは二十四時間そばにいてあげてるじゃないの』と娘さんが強い語気で言った。せっぱつまっていた。その気持ちが、あたしには手のひらでぎゅっとつかんだようにわかった。他のボランティアたちもみんなわかったようだ。それでわらわらとお母さんに近寄って口々になだめた。『娘さんがいなくたっていいじゃないの、今日は一緒にご飯食べていきましょうよ』」
カリフォルニアの日系高齢者のためのデイセンターでの光景だ。わたしも胸を、手のひらでぎゅっとつかまれたような気がした。育児でも同じだ、せっぱつまっているひとは、やはりわかる。そしてその気持ちがわたし(たち)にはぎゅっとわかる。それでも気軽にひとのこどもに手を出せない、「しばらく見ていてあげますよ」とはいかないのが、日常のむずかしさだ。よほど親しい間柄でもなければ、こどもを預かるということはあまりないし、声をかけるのも躊躇したりもする。ぎゅっとつかまれるようにわかるくらいせっぱつまっているひとがたくさんいるのに、わたし(たち)はなかなか手を出せない。わたしも、きっと、手を出してもらえない。やっぱり必要だ。気持ちがわかったときにわらわらと近寄って行ける場所。みなが堂々と「手伝うよ」と言える場所。地域で子育てを、介護を分担する場所。こどもを「預かるよ」と堂々と言える場所。きもちがわかるのになにもできない、そんな社会は、変わるはずだから。だって、この本には、大声で語られないけど確実な、女が老いていくこと、その中で経験すること、そしてそれを知っているおんなたちがどんなにかたくさんこの世にはいて、ひそかに連帯しているかが、書いてある。「あんたのきもち、わかるよ」と言ってくれる、女たちの姿が。だからだろうか、女たちが「わらわらと」そのお母さんを囲んでなだめ始めたその光景が、目に浮かぶだけで涙が出た。(小林杏)
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