2014.07.16 Wed
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.12月11日(土)18時30分から、とよなか男女共同参画推進センターの「すてっぷ」で日本軍「慰安婦」問題関西ネットワーク主催の「慰安婦」被害者の証言集会が行われた。 「慰安婦」被害者の韋紹蘭(ウェイ・シャオラン)さん(86歳)は中国・桂林で日本軍によって「慰安所」に監禁、被害にあった末、日本兵の子どもを産んで、夫からも地域住民からも罵しられ、ずっと差別され続けた。その子どもが羅善学(ルオ・シャンシュエ)さん(65歳)。二人は、12月7日に東京で証言集会をされて、国会要請行動。その後静岡で証言され、続いて大阪と慌ただしいスケジュールでの証言集会となった。集会が決定してから時間もなく周知もあまりできなかったが、50人の会場に60人余りが参加されたようだ。
今回の証言集会は、在日のジャーナリストの朱弘(ジュ・ホン)さんが2007年6月に桂林へ二人に会いに行きった実現した。そのときのスライド上映をされたが、二人の暮らす桂東村はとても穏やかな田舎の農村で、こんな所に本当に日本軍が来たのだろうかとさえ思ってしまった。しかし、今なお日本軍がトーチカとして使用していた場所や抗日闘争の碑が残っていて、敗戦末期、陸軍で最大の「大陸打通作戦」展開しこの地を数万人の日本軍が住民虐殺と略奪、そして女性を拉致して監禁し強姦を繰り返して行ったのは事実だ。
証言の経験が無かったので質問形式で集会は進められた。二人は現地語しか話せないので娘婿の武文斌(ウーウェンビン)さんがまず北京語に通訳し、通訳さんが通訳した。韋紹蘭さんは小柄で高齢のせいか耳が聞こえにくいらしく武文斌さんが耳元で大きな声で伝える。韋紹蘭さんは小柄だが、しっかりした口調で話されていたので少し驚いた。
「日本軍がやって来て洞窟に隠れていたが乳飲み子を背負って外へ出たところを捕まった。車に乗せられると2~3人の女性がいた。その後も女性が車に乗せられてきた。連れていかれたところは、軍の駐留所でひとつの部屋をカーテンで仕切って軍人の相手をさせられた。カーテンで仕切られていたので何人ぐらいいたかはわからない。数日後、軍隊のリーダーの専属にされた。子どもは手先になっていた現地の女性が面倒をみていた。「慰安婦」にされていた間は、死ぬことは考えなかった。どんなふうに逃げるかそのことばかり考えていた。ある日、夜明け前に裏口から子どもを連れて逃げた。芝刈りの人に会って村の方向を聞き、必死で歩いた。子どもが泣いて困った。農家で話をしたらかくまってくれてまた歩き2日間かかって家に着いた。自分が突然帰ったので死んだと思っていた夫はびっくりしたが、帰って良かったと言ってくれた。連れていかれた間のことは夫には言えなかった。そのうち妊娠したことがわかったが、月数が合わないことなどが噂になり夫に自分の子どもでないことがわかってしまった。それから栄養のあるものも与えられずおじさんに食べさせてもらっていた。日本軍=日本人と思って恨んでいたが、日本でも各地で取り組んでいることがわかり、以前とは感情的には少し違う。この年まで、苦しくつらい思いを抱えて生きてきた。日本政府にあやまって欲しいしそれなりの償いをしてほしい。」
最後には、心が昂って涙を流された。胸が痛かった。
息子さんの羅善学さんはお母さんの話を聞いているのもつらいだろうに、「日本に来ていろんな人にお世話してもらって感謝している。日本政府には若い人たちに教育してほしいし、償ってほしい。」と最初に大きな声で言われたが心の底からの叫びだったと思う。
「自分が父親の子どもでないことは、父がしょっちゅう母を叱っていることで分かった。学校でも友だちから『日本軍の落とし子』とはやしたてられた。家に帰って母に言うと『早く大きくなって仕返しをして』と言うばかりだった。父は妹や弟たちと違い自分に冷たかった。目の病気の治療もしてくれなかった。でも、自分の出生のことが解ってからは口答えしなかた。母が泣くからだ。今思うと父は自分を育ててくれたので人の道は外さなかったと思う。現在、体調を崩しているので仕事もしていない。今でも中国人で私を馬鹿にする人がいるし言われている。同じ母から生まれているのに兄弟からも言われている。
日本政府には母のみならず自分に対しても謝ってほしい。私の存在が証明している。これは本当のことだ。日本政府が認めるまで頑張りたい。私が日本兵の子どもだと言い続けます。」と言われた羅さんの重い重い言葉が突き刺さる。私たち日本人がこの問題を解決しないと何にも変わらないのだ。
韋紹蘭さんの娘婿の武文斌さんは、「これまでのことは生々しい記憶としてある。抗日の遺跡、洞窟。南京の他にも震え上がる話がある。しかし、日本も原爆を落とされ加害者でもあったが被害者でもあった。二人が立ちあがったことで他にも話す人が出てきた。今まで記憶の中だけのことだったが、正義をつくっていかなければならない。多くの人が支持してくれている。非常に勇気のある行為だと村の人も認めるようになってきた。」と話され、家族として二人を支えている姿に感激した。
最後に朱さんが、「この親子は本物です。今までの事を考えると韋紹蘭さんの裁判は無理だが息子さんの裁判はやれると思う。息子が勝てば母も勝てる。」と訴えた。
本当のことを無かったことのように言う人たちは、何を見ているんだろう。本当に情けない。私たちができることは、あまりに小さいけど、この問題を伝えることを重ねていきたい。自分の闘いとしてやりたいと心に決めた。
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