エッセイ

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国際的な課題としての「慰安婦」問題---8.14 によせて (中)岡野八代

2014.09.11 Thu

(承前)

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吉見義明さんの『従軍慰安婦』には戦後、戦争犯罪として裁かれたスマラン慰安所事件についての詳細が述べられています。この事例は、慰安婦の「徴集」が戦争犯罪として裁かれた事件です。つまり、裁判の事実認定で、インドネシアのヨーロッパ系女性たちが抑留所から、強制的に将校倶楽部や日の丸倶楽部と名づけられた「慰安所」に入れられたと認められた事例です。ここには、ジャンヌ・オフェルネさんという、当時将校によってトラックに乗るよう命じられ、慰安所に連れて行かれ強かんされ続けたことを証言した記録も記載されています。

現在から20年近く前の本書ですでに、「慰安所とは軍が設置した性奴隷制度」--現在のわたしは、むしろもっと率直に「軍用強かんセンター」といったほうがその意味がよく伝わると考えていますが--であることが明らかになっています。もちろん、その後、多くの歴史家、市民活動家たちによって、聞き取りや資料発掘が行われてきました。

たとえば、吉見さんの本が公刊されてから、5年後の2000年12月には、「女性国際戦犯法廷」という、民衆法廷が開催されました。当時、日本のメディアはほとんど報道せず、またしても、歴史の検証をまったく無視した誹謗中傷が多くなされた法廷でしたが、その法廷のために、公文書の発掘や加害者への聞き取りは言うに及ばず、個別の被害証言の収集にも力が注がれ、『「慰安婦」戦時性暴力の実態』として、二巻にまとめられています。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.本書を読めば一目瞭然なように、日本軍の「慰安所」は、当時の日本の広大な占領地域各地に作られました。たとえば、現在「慰安婦」問題について、もっとも詳細な資料を提供し続けている、「Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任」のweb サイトによれば、「日本が占領した中国・東南アジア・太平洋地域に慰安所をつくりました。インド領のアンダマン・ニコバル諸島や、日本の委任統治領だったパラオやトラック島にも」慰安所は作られています。[参照 http://fightforjustice.info/?page_id=2356]

また、「「慰安婦」にされた人たちは、日本人・朝鮮人・台湾人・中国人・フィリピン人・インドネシア人・ベトナム人・マレー人・タイ人・ビルマ人・インド人・ティモール人・チャモロ人・オランダ人・ユーラシアン(白人とアジア人の混血)などの若い女性たちです。そのうち、朝鮮人・中国人・フィリピン人・インドネシア人など日本人以外の女性の比率が圧倒的に多かった」と研究調査を通じて明らかにされています。[同上]

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日本軍が進出すると、拡大し続けた性奴隷制度--「軍用強かんセンター」--ですが、強かんを防ぐために必要だった「施設」として正当化することは決してできません。そのような正当化はなによりも、暴力や虐待、強かんされた被害者当事者のことをまったく見ていない議論です。

吉見さんも、国際法学者の阿部浩己さんの論文「軍隊「慰安婦」問題の法的責任」『法学セミナー』466号(1993年10月)を参照しながら論じていますが、ここでは、「女性国際戦犯法廷」の判事団による法的認定から、いかに、そのような「施設」の運用が当時の国際法違反であったかを見ておきましょう。抵触する国際法上の責務には以下のものがあると認定されています。

・「陸自の法規慣例に関する」ハーグ条約(1907年)。

・「婦人および児童の売買禁止に関する国際条約」(1912年)。

・ILO「強制労働禁止条約」(1930年)。

・奴隷条約において表明された国際慣習法規範(1926年)。

民衆法廷であるので、一切の強制力はないものの、本法廷で認定されたように、〈日本はいまだ国家責任を果たしていない〉という主張が、現在の多くの国際人権諸条約機関からの日本政府への勧告へと引き継がれていることは言うまでもないでしょう。つまり、日本は国家責任を果たすべきだったのに果たしていない現状を速やかに是正し、現在できるかぎりの反省と法整備、そして歴史教育と国内世論への訴えを始めるべき、だという勧告です。

2000年の「女性国際戦犯法廷」において、国家責任はつぎのように認定されました。

第二次世界大戦後、日本は多くの条約に署名してきた。これにはサンフランシスコ講和条約、日本・オランダ協定、日比賠償協定、「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」、「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」などがある。この「法廷」は、これらの平和条約は「慰安婦」問題には適用されないと認定する。条約によってであっても、個々の国家が人道に対する罪について他の国家の責任を免ずることはできないからである。

「法廷」は、諸平和条約には本質的なジェンダー変更が存在するという主席検察の主張は、納得できるものだと、と認定する。「法廷」は、個人としてであれ集団としてであれ、諸平和条約終結時の女性が男性と平等な発言権も地位も持っていなかった点に留意する。[...]「法廷」は、国際的な平和交渉過程がこのようにジェンダー認識を欠いたまま行われることは、武力紛争下で女性に対して犯される犯罪が処罰されないという、いまも続く不処罰の文化を助長するものと認識する。

2000年の「女性国際戦犯法廷」は、あくまで民衆の手による法廷でした。しかしながら、上記は、1991年以降、金学順さんの告発を受けて、女性に対する性暴力、戦争犯罪、人道に対する罪の不処罰を繰り返してはならない、という共通の思いを抱いた人びとが、調査研究した結果を、国際法のスタンダードに則って国際法の専門家たちが審議し結論したものです。

その精神は、「慰安婦」問題を認めたくない、なかったことにしたいと考える人たちが訴えるように、日本の威信に傷をつけよう、国際社会の地位を貶めようといった謀略のようなものとはまったく異なったものです。それは、戦後の国際人権法が指し示しているように、過去に犯した国家犯罪を含め、人権をいかに回復し、人類の一員としての女性たちの権利をよりよく保障する国際社会を模索するものです。

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国際法の分野において「慰安婦」問題に早くから取り組まれてきた阿部浩己さんの、最新の著作『国際人権を生きる』によれば、現在、国際上主要な人権条約は九つあり、それぞれに締結国における条約義務の履行を後押ししていく条約機関が存在しています。その条約機関に共通するのは、定期的に条約の履行を監視するための、報告審査を行うことです(30頁)。

日本はこれまで、「慰安婦」問題をめぐって、社会権規約委員会、自由権規約委員会、拷問禁止委員会などから勧告を受けていますが、阿部さんはそのなかでも、「女性差別撤廃条約」(CEDAW)からの、2009年の第六回定期報告審査に対する勧告を参照しています。

委員会は、締約国が「慰安婦」の状況の恒久的な解決のための方策を見出す努力を早急に行うことへの勧告を改めて表明する。この取組には、被害者への賠償、加害者の訴追、及びこれらの犯罪に関する一般国民に対する教育が含まれる

CEDAWの定期報告に「慰安婦」問題が言及され始めるのが1994年ですが、それ以降、回を増すごとにその評価は厳しくなっていきます。それは、なにも他国が日本に対して歴史認識をめぐる「攻撃」を始めたわけでも、地位を貶めようと、国連人権委員会に入れ知恵をしたわけでもありません。そうではなく、90年代に入り、ジェンダー視点が主流化しようと、さまざまな取組みを始めた国際社会の流れに対して、日本社会は耳を閉ざし--日本政府は、CEDAW を法的拘束力ある文書として認識せよ、という勧告をも受けています(33頁)--、人権を保障することは、過去を真摯に反省し、過ちを正していく、未来に対して過ちを教訓として伝えていくことであるといった当然の姿勢を、ときに「非国民」といった、戦前の恐怖を思い起こさせるような言葉で封殺しようとする風潮を許しているからです。

阿部さんの言葉を引用しておきます。

第二次大戦期における性奴隷制は、現在から未来にかけて構築しようとする女性に対する暴力(人身売買・性奴隷制)なき世界のために、優先的に対峙すべき事項(あるいは、想起すべき過去)として位置づけを与えられたのであり、そうした認識が深く共有されるがゆえに国際的な是正勧告が絶えざるものとなってきたわけである(36頁)。

なお、この記事に関連して、伊藤和子弁護士による、最新の国連自由権規約委員会からの勧告に対するレポートについてもお読みください。こちらから。

「8.14 によせて (下)」は、9月17日にアップされる予定です。








カテゴリー:慰安婦特集 / シリーズ

タグ:慰安婦 / 朝日新聞 / 戦時性暴力 / 軍隊性奴隷制 / 性暴力 / 国家責任