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想像する他者へ…手がかりとしてのことば 小林杏
2014.09.12 Fri
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.トミヤマさんから『ホットロード』の別視点からの読み方と、そこに現れる、はは‐むすめ=他人との関わり方、というトピックを受け止めながら、4歳のむすめとの<はは‐むすめ>という関係に突入している私は、この話を冷静に展開できそうもない。とまれ、わたしが赤ん坊を育てていたときからずっと思っていることがあり、それはトミヤマさんの「とりあえずいっしょにいてみる」にかすかに通じるような気もするので記しておきたい。それは「お風呂にいれる、ということをいやいやでも毎日くりかえしていくうちに、こどもは大きくなっていくのだな」ということだ。夕食後にこどもをお風呂に入れること、これは私の中で育児トップ3に入る「面倒なこと」である。子育てで一番風呂が面倒だ、と大げさに言えばそんな気持ちになったこともあるし、体を引きずるように、あくびを噛み殺しながらシャワーをひねっていたこともある。それでもとりあえずそれを今日一日、もう一日と乗り越えているうちに、気づけば4年たち、こうして子どもは大きくなっていくのだろう、4年前私が漠然と、予感していたように。(そして、子どもが大きくなって出てくるもっと深刻な悩み事は、お風呂なんてなんでもないと思うくらい、面倒なものなのかもしれない…)
ところで、こんな風に「とりあえず今日を乗り切ろう…」ということも多々あるだろう誰かとの関係を、驚くべき物語に変える装置の一つとして、カメラというものがあると思う。例えば、1976年出版の『Grampa』 (邦題『おじいちゃん』)という写真集。出版したのは「おじいちゃん」の孫たちで写真家の、マーク・ジュリーとダン・ジュリーだ。この本は81歳のフランク・トゥゲンド氏が認知症を発症し、亡くなるまでの3年間を記録したものだ。物忘れのはじまり、本人と周囲のとまどい、身の回りのことができなくなっていく日々の様子、おじいちゃんの世界に住む不思議な生き物たちの話、こどものような「おかしなふるまい」、次第に困難となる在宅介護…。そして彼はある日入れ歯をはずし「これを持っていってくれ。もう使うつもりはないんだよ」と言い、飲食を絶つ。彼の死までを、写真とさまざまな人(家族、その友人、幼かったひ孫)の発言記録や日々のメモが綴っている。
しかし写真はなぜかユーモラスですらあり、どんなときもちょっと素敵に見える「おじいちゃん」の姿ばかりだ。マークは、「最初は、いつでも手元にカメラがあったから家族の写真として撮っていただけ」、または「おじいちゃんをみているときの暇つぶしに」と述べている。それでも介護が24時間絶えない騒動の連続となっていく頃には、おそらくカメラはそのメンバーの一員となり、彼ら家族の中に根付いていただろう。彼らはおじいちゃんを施設にいれるかどうか、という話し合いを重ねるが、結局結論が出ない。在宅でみる、という決意をしたというよりは、結論をだせないことを結論として、日々を過ごしていくことを受け入れる。とりあえず今日を一緒に。とりあえず、今日を乗り切る、という具合に。そのとりあえずを、カメラは支えたのではないかと思う。
家族の闘病の様子を撮影するというケースは、写真史上意外と多い。有名な写真家、リチャード・アヴェドンも、父の闘病中からその死までのポートレートを撮り続けているし(<ジェイコブ・イズラエル・アヴェドン>)、フェミニズムアーティストの先駆者ハンナ・ウィルケも、ガンで闘病中の母と自分とのポートレートを撮影している。ハンナ・ウィルケ自身は自分も癌に侵されると、生々しい闘病中の生々しいポートレートを発表した(<Portrait of artist with her mother>、そして<Intra Vinus>)。
また、カメラは人との関わりを作り出すだけでなく、現実では持ちえない誰かとの関わりを作り上げる装置力でもある。石内都の『Mother’s』は、石内自身の母の遺品を撮影したものだ。口紅、レースがあしらわれたスリップ、長く履かれていた様子のわかるウェッジソールの白い靴などが、ひとつひとつ、亡き母の肖像となっている。それは「かつて」の石内と母の関係を再現するのではなく、このような形でしか生まれない、今の石内が母と向き合ったときの関係を現す。見ている私たちは、彼女を知るわけでもないのに、この写真を通じて、一人の女性と出会っていく。アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.
つづく『ひろしま』ではさらに、広島の原爆資料館に保管されている洋服などの遺品を通して、生前を知らぬ「他人」との関係を結んでいる。アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.「広島の原爆で亡くなった人々」というとき、わたしたちの頭にはどんなイメージが浮かぶだろう。さまざまな資料写真や語りから、戦時中の人々というイメージが出来上がっているかもしれない。しかし石内の写真でライトを当てられている遺品たちは、戦時中に身に付けられていた水玉のスカートや小花模様のワンピース、美しい手袋。そうしたはかなく美しいものたちが、わたしたちに、戦時中にささやかなおしゃれを楽しむ顔も知らぬ少女との関係を一瞬、結ばせてくれる。
今年発売された写真集『Frida by Miyako Ishiuchi』は、メキシコの画家、フリーダ・カーロのかつての住居であるフリーダ・カーロ美術館の遺品を撮影したもの。フリーダ・カーロの人生は映画にもなり(「フリーダ」2003)、幼い時の交通事故の後遺症に苦しみ続けた人生や、激しい作風、メキシコ壁画運動を代表する画家ディエゴ・リベラと繰り返した離婚や再婚、さまざまな男性アーティストとの恋愛など、センセーショナルに受け止められがちな存在であるが、そんな彼女のことをほとんど知らずに現地に向かった、という石内が撮影したフリーダの遺品は、彼女が戦闘服のように常に身に着けていた民族衣装の美しいテキスタイルやその細部、自ら絵をほどこしていたコルセットから使い古したコンパクトにいたるまで、まるでフリーダというひとを頭の先からつまさきまで、丁寧にここによみがえらせていくような作品群だ。しかも、かつて生きていた彼女をよみがえらせるというのではなく、この遺品からしか想像されないような一人の女性の体として、フリーダを顕していく。アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.
写真を見る私たち一人一人の中に生まれるフリーダとの関係は、私たちの中に生まれるだけのもので「結び合う」関係とは言えないかもしれない。しかし、言葉がすべてで、言葉を信じ、言葉で理解しあおうとする時、ときには相手の言葉を人質に、自分が解釈したその人の姿を、強固に守り、押し付けていることがないだろうか。自分では言葉にしたつもりで、それが思いの通りに受け止められないことに戸惑い、腹を立ててしまうこともあるのではないか。遺品の写真から想像するものは、想像かもしれないけど、わたしが言葉を発するときに想定している「誰か」のすがたも本当はたぶん、想像の域を出ないものだ。そのことを知りながら、互いを縛り合い、追い詰めるものとしてではなく、互いに投げ合う手がかりとして、言葉を紡ぎたい。
カテゴリー:リレー・エッセイ
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