2015.04.17 Fri
中村八千代さんは、マニラの貧困層の人々に雇用の機会を提供し、生きていくための「自立」を促すことを目的とした UNIQUEASE(ユニカセ)を設立し、社会の犠牲になった過去を持つ若い人たちに就労の機会と訓練の場を提供しています。
今回は特別編として、中村八千代さんの活動に着目して卒業論文にまとめ今春、津田塾大学を卒業されたばかりの菅原悠衣子さんにユニカセの活動と中村さんについてご紹介いただきます。
■社会的企業UNIQUEASE
UNIQUEASE(ユニカセ)は、2010年にゼネラルマネージャーの中村八千代さんがフィリピンの首都マニラで設立した会社(http://www.uniquease.net/)で、主にレストラン業を営み、大通りに面したビルの2階に店を構えています。竹をモチーフにした日本風の装飾の間を抜けると、スタッフたちが元気な挨拶で迎えてくれます。地元でも「自然食レストラン」として紹介されており、オーガニック野菜を使ったメニューを中心に食事を提供しています。
人気メニューはサラダバーやマグロのカルパッチョ、野菜カレーです。なかでも、フィリピンでは珍しいサラダバーが好評です。フィリピンでの揚げ物や肉中心の食生活では野菜が不足しがちなので、フィリピン在住の外国人がこのサラダを目当てに多く訪れるほど。 筆者はフィリピンを訪れた際に、セットメニューを注文し、ねぎとろハンバーグやサラダバー、味噌汁などをいただきましたが、野菜もどれも丁寧に調理されており、とてもおいしかったです。食べ物同士の組み合わせにもこだわっているそうで、素材の良さを最大限に生かす工夫がされていました。
このレストランUNIQUEASEは、ただ単なるレストランではありません。UNIQUEASEは青少年に雇用の機会を提供し、路上生活や人身売買など様々な危険にさらされた子どもたちの数を減らすことを目的に設立されたのです。
■お金のためではなく、人のために生きたい
中村さんは27歳の時に父親の会社が倒産し、4億円の借金の連帯保証をさせられ借金地獄を経験しました。母親の死と父親からの裏切りによって何度も死んだ方がましだと思ったそうです。寝る間も惜しんで働いた甲斐もあって、会社の経営を何とか軌道に乗せることに成功した中村さんは、そのときの経験が今の活動に繋がっていると語っています。
「30歳の時、お陰様で私が経営していたお店が黒字になり、それまでに大分、会社も落ち着いていたので、ふとお金のために生きるのでなく、生まれてきた以上、人の役に立ちたいと心から思いました。特に、親の身勝手さで犠牲になっている子どもたちや、社会に見捨てられている子どもたちのために、自分ができることを確実にやっていこうと思ったんです。そういう子たちが自分自身に思えたんですね。」
その思いをきっかけに、中村さんは、児童福祉施設でボランティアを始めました。そんな時に9.11が起きました。テロリストを生み出す「社会」に問題意識を持った中村さんは、2002年の初めの頃からNGOに就職しました。そこで、世界中の生きるか死ぬかの状況にある子たちを目の当たりにしたそうです。
■甘やかすのではなく、仕事をする大切さを彼らに実感してもらう場
一方で、中村さんは、活動をしていく中でNGOの支援が生み出す支援慣れの問題に疑問を抱き始めました。
「私は、フィリピンで支援慣れしている青少年たちを嫌というほど見てきました。何もしなくても、20歳を超えた青年たちが、「今度は何をくれるの?」と平気でねだる、仕事に就くこともしないし、遊んでばかりいて、ひどいとギャンブルやドラックにはまってしまう。例え仕事を始めてもすぐ辞める、と、何かが間違っていると思うようになりました。人として大切な自立しようとする意志が欠けているように感じたのです。どんな環境下でも、自立したいと願い、努力することは大切なことではないでしょうか?」
フィリピンは学歴社会であり、お金持ちがお金持ちでいる仕組みができています。中村さんはNGOの活動を無駄にしないためにも、貧困層の人々に雇用の機会を提供し、生きていくために重要な「自立」を促したいという考えのもと、UNIQUEASEを設立されたのです。つまり、UNIQUEASEは、貧困層の人々を甘やかすのではなく、仕事をする大切さを彼らに実感してもらう場として存在しています。
■可能性をあきらめたくない
しかし、社会の犠牲になった過去を持つスタッフたちが集まるUNIQUEASEを運営していくことは至難の業だそうです。UNIQUEASEで働くスタッフたちは精神的に不安定な青少年たちが多く、無断欠勤は日常茶飯事で、途中でやめてしまう青少年たちもたくさんいます。心にトラウマを負っている青少年たちは、突如、感情的になったり、コロコロと変わったりします。さらに、教育を受けていない青少年たちも多いので、仕事に関することのみならず、ビジネスマナーや衛生管理までいちから教育する必要があります。そのような環境の中でも、中村さんは彼らの可能性を最後まであきらめたくないといいます。
「私と共に真剣に仕事をしてくれる青少年が一人でもいてくれたら、私は遣り甲斐のある仕事だと思います。それはその一人が奇跡だからです。」
■量でやろうとは思わない、人間と人間の付き合いをしたい
実際にUNIQUEASEでは、2人の青少年スタッフ(NGOでお世話になった元裨益者)が大きく成長している様子でした。UNIQUEASEではマネジメントや調理、接客まですべて中村さんと同じように行うので、スタッフたちには大きな責任が課せられています。
さらに、店内に設置されているフェアトレードを含むおみやげコーナーはすべてスタッフに任せているため、NGOや業者との取引から原価計算、商品の設置までスタッフ自身が管理をおこなっています。これらの仕組みは、仕事に対するモチベーション向上にもつながっているようです。スタッフたちは、周囲の人々へのロールモデルになり始めておりUNIQUEASEの意義が少しずつ広まり始めています。
中村さんは「量より質にこだわりたい。人と人との付き合いをしたい」と何度もおっしゃっています。 筆者が滞在しているときも、1人のスタッフが夫からの暴力に悩まされていたことを打ち明け、営業前に話し合いが行われていました。そのスタッフは後に吹っ切れたかのように、仕事でも前向きな様子に変わり、仕事の動きがよくなっていました。その様子を見た中村さんは「(スタッフの)変化した様子を見ると、ユニカセはこのためにやってきんだと実感する」「国際協力の枠ではほんの小さな活動かもしれないけれど、青少年スタッフにとって大きな存在であって、自分が死んでもユニカセスピリットが残ればそれでいい」と話していました。
最後に、中村さんはスタッフたちの将来についてこのように話しています。
「自分の生まれてきた意味を受け止めることで、過去にとらわれず、そういう厳しい過去を生き抜いてきた子たちだからこそ作れる未来の実現を図ってもらいたいです。つまり、誰かに頼って生きるのでなく、自らの人生を切り開いていけるような力を持っているはずなので、その力を発揮して欲しいのです。そして彼らが家庭を持った時、彼らの子どもたちには決して自分たちと同じような苦しい経験をさせないで、守っていける親になって欲しいです。どんな会社で何をするかより、責任をもって自分の仕事を大切にし、きちんと自立することが大事ですよね。」
レストランを通してフィリピンの社会問題解決に貢献するUNIQUEASE。国際協力の現場では、成果を可視化しやすい、量を重視した活動に注目が集まりがちです。そのような中で、スタッフ一人一人と真摯に向き合い、フィリピンの社会問題に挑戦し続けている中村さんの姿勢には感銘を受けずにはいられません。
(取材・文:菅原悠衣子)
■■中村八千代
1969年生まれ。大学時代やカナダ留学の際には、マーケティングを専攻。その後、一般酒販店を経営。
2002年に東京で緊急医療援助団体の資金調達担当し、2006年には、教育分野を中心に支援しているNGOスタッフとして海外派遣が決まり、フィリピンにおいて子どもたちのケアをしながら、同国での現地資金調達を実現させる。
支援活動を通して、NGOの裨益者であった青少年たちの雇用機会創出の必要性を感じ、2010年に社会的企業“UNIQUEASE(ユニカセ)”を創設し、2015年現在、4名のフィリピン人青少年スタッフと2名の日本人ボランティアの学生らと共に、マニラ首都圏のマカティ市でレストランを運営している。
■■UNIQUEASE(ユニカセ)
住所:Unit C, #1036, Hormiga cor Teresa St., Rizal Village, Brgy. Valenzuela, Makati City, Metro Manila(駐車スペースあり)
営業時間:12:00PM~8:00PM
定休日:火曜日
TEL:Landline Phone: +6(3 0)2-519-6406(English, Tagalog &日本語)
Cell Phone: +6(3 0)927-791-5516(English &日本語)
■■さて、菅原さんは今春、卒業し就職されました。中村さんに出会われたことで菅原さんの仕事観はどのように変わったのでしょうか。中塚がお尋ねしました。以下、菅原さんとの一問一答です。
Q:どうしてユニカセを卒論のテーマに選ばれたのですか?
A:学生時代に所属した学生団体レアスマイルでの活動がきっかけです。カンボジアの孤児院に食料費の支援を行っていたのですが、支援先との依存関係に疑問を感じていました。そこで、依存関係を構築しない国際協力である、社会的企業に関心を持ちました。そんな中で、裨益者たちの自立の重要性を訴えておられた中村さんに出会いました。ビジネスを通して青少年たちの自立を目指しているユニカセは私の研究テーマにピッタリだと思い選びました。
Q:菅原さんにとって、中村さんはどんな人でしたか?
A:エネルギーにあふれた前向きな人です。スタッフたちにも、レストラン経営にも妥協を許さず、全身全霊で取り組んでおられるので、普通の人の10人分以上のエネルギーがあるのではないかと思ってしまいます。また、話している内容と中村さんの表情が一致しない事があります。というのも、「ユニカセが移転しなければいけない」や「スタッフが不安定」というような深刻な困難に関することをお話しされているときでも不思議とそのように聞こえないのです。どんな課題に対しても前向きに乗り越えられてきた結果なのかなと感じました。
Q:中村さんにお会いになって、どのような影響を受けられましたか?
A:研究、(主にゼミの活動とフィールドワーク)を通して社会を批判的かつ俯瞰して見る力を学びました。特に、中村さんの活動から、そのような能力を通して社会に対して問題意識を持つこと、そして、それに対してなんらかのアクションを起こすことの意義を学びました。
中村さんは国際協力の現場で抱いた疑問を解決するため、自ら会社を設立し活動しています。ときには自分自身の生活を犠牲にしながら、スタッフたちの成長に向き合っており、「スタッフたちは宝。なんとしてでも守りたい。」ともおっしゃっていました。それは強い意思と信念がなければできないことだと思います。私も漫然と生きるのではなく、あらゆることに対して問題意識を持ちたいと思います。そして、将来は自分を犠牲にしてでも解決したい課題に取り組めたらいいなと思っています。
Q:ユニカセを卒業論文のテーマに選び、現地での調査やインタビューの経験を通して菅原さんご自身の仕事に対する考え方は変わりましたか?
A:ひとつひとつの仕事に対して、質を追求して取り組みたいと考えるようになりました。
どうしたらお客様相手に満足していただけるのかを考え、自分自身を高めていきたいと思います。
Q:今春からどのようなお仕事に就かれたのでしょうか。
A:取り引き先のお客様の労働環境改善に貢献する仕事です。ユニカセに関わって仕事に就くこと以上に、続ける難しさを痛感しました。働く人々のモチベーションをどのようにあげていけるか、「働くを支える」ためになにができるのかを仕事を通して考え続けたいと思っています。
■■菅原悠衣子(写真は2013年、フィールドワーク時のもの)
2015年3月、津田塾大学英文学科多文化国際協力コース多文化言語教育ユニット卒業。
ユニカセのフィールドワークを通して卒論 「質的援助の重要性 ~社会的企業ユニカセの活動を通して」をまとめた。
フィリピンには、 2013年9月に1回10日間(ユニカセ主催のスタディーツアーに参加)滞在、
日本で行われたユニカセのイベント に2回参加。
【企画・構成:北村 文、中塚圭子】
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