2010.10.01 Fri
古久保さんにシンポの感想を書いてと言われて承諾したものの、実はなかなか手がつけられませんでした。やおい論は、昔結構一生懸命書いちゃって(「やおい表現と差別〜女性のためのポルノグラフィを解きほぐす」だったかな。自分の書いた論文の題名まで忘れているというていたらく。すみません)、自分の中ではいったん終了させていたんです。終了させたかったという方が正しいかも知れません。
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で、まあ、ものすごく省略しますが、自分がリブであろうとした意味もここでようやく全体像として見えてきたのでありました。自分のセクシャリティや身体感覚、人との関係性、そのすべてを支配してきた男社会と現実に闘う、これ一本でやるわと思っちゃったんであります。しかし、あれ?こんなことを言う方が、やおいが好きと言うより恥ずかしいのはなんででありましょうか?ま、それはともかく、シンポの感想です。
ことほど左様に、私にとってやおいは重苦しいものでありました。やおい。ごぶさたしていました、久しぶり、ぐらいののりで、いわば旧友との再会のつもりで行くつもりだったんですが、そうはいかなかった。もともと私には旧友と呼べる人は少ない。他人との関係性を避けて避けて、男同士のファンタジーに一日の大半を費やしていたような思春期でございましたからね。同窓会なんて行った日には、まったく知らない人たちの間で、まったく知らない私が私として語られていて、右往左往するばかり。しかも今回は「再会」じゃなかった。やおいは、私が知っていたやおいとは違ったのでした。やっぱり旧友との再会は危険だ。
そうか、違うんだなあと思ったのは、まずやおいの定義です。やおいって二次創作のことを言うんですね。で、BLが、オリジナルな創作なんだ。でも1970年代から80年代まで、BLって言葉はなくて、全部やおいと呼ばれていたような気がします。
お三方の発表はどれもこれもおもしろく、純愛物語として語られる意味や、議論の変遷、愛のコードという解釈、視線の違いなど、やおいが論じるに値する表現として、またジェンダー論の一つのテーマとして語られることにおもしろさとともに時代の流れを感じました。
もうひとつ、そして一番びっくりしたのは、「いやらしさ」が議論されないということでした。だって、だって、私にとってやおいは、まず第一にマスターベーションの道具だったんですもの。攻めと受けの関係性、そのセックス場面を「見ること」「対象に感情移入してその感じるところを感じること」で欲情していたんですが、シンポでは「見ること」の意味性は議論されていましたが、欲情は議論の対象外だったような気がします。また、その楽しみは、孤独に密かに楽しむものではなく、女性同士が語り合い分かち合うものとしてあるという解釈も新しい発見でした。会場自体がその雰囲気にあふれていましたね。「愛するやおいを語ろうね」という自己尊重と他者尊重に。
しかし、そこにはいやらしさはないの?男の体をいじくりまわして、心をいじくりまわし、「いやよいやよも好きのうち」という性暴力を肯定する「かのような」シチュエーションを愛でるという、やばくて、おぞましくて、いやらしいところはないの?やばくて、おぞましくて、いやらしい議論もしたかったな、なんて。じゃあ自分が発言すればいいじゃないかと言われそうですが、なんせ、私の知ってるやおいさんは、こんなことしていいのかと悩み苦しむめんどくさいやおいさんで、それがすごくすっきり社交的な人になっちゃってて、私、すっかり気後れしてしまったんであります。それと、私は、身体感覚が非常に脆弱で、自分の欲情はもてあますものでありました。しかし、みなさんのお話を聞いていて、自分の欲情をもう一度楽しんでみようかななどということも思ったのでした。この12月で還暦だし、欲情を楽しむにはもってこいの年齢ではありませんか。
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