エッセイ

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40周年を迎えた『OBOS からだ・私たち自身』  荻野美穂

2011.10.24 Mon

 2011年10月1日、マサチューセッツ州ボストンで、ある本の誕生40周年を祝うシンポジウムが開催された。その本とは、女のからだと健康、セクシュアリティについて女自身の立場から書かれた「手引書」として名高いOur Bodies, Ourselves (OBOS)である。

OBOSの成り立ち

 OBOSは1969年、ボストン大学での小さなワークショップ、「女とそのからだ」から始まった。集まった女たちは話し合う中で、自分たちが自分自身のからだについていかに何も知らず、医者や男の言うなりに生きてきたかに気づき、女のからだについての情報集めを始めた。そうやって調べたことを持ち寄って女による女のための健康講座が開かれ、その資料として手作りで作られたパンフレットが、OBOSの始まりだった。

  1960年代にはアメリカ全土で公民権運動やヴェトナム反戦運動、学園紛争など、改革の嵐が吹き荒れた。けれど、「反体制」を叫ぶニューレフトの男たちの中にも厳然と存在する性差別、女性蔑視に憤った女たちは、各地でウィメンズ・リベレーション(女性解放)運動を立ち上げた。女が自分のからだについて知ること、そして性や生殖にかんして自分で決める権利を主張する女の健康運動は、その重要な一部となった。中絶の合法化を求める運動や、スペキュラムと手鏡を使って自分の子宮口を見る運動、あるいはピルの危険性や婦人科手術の濫用を告発する運動など、70年代を中心にさまざまな活動が展開された。

初期のOBOSの表紙

 そのなかで、医学専門家の意見を鵜呑みにするのではなく、女たち自身の声や経験に基づいて、わかりやすく率直な言葉で書かれたOBOSは大歓迎された。1970年12月にはフェミニズム運動系のニューイングランド・フリープレスから最初の5000部が出版され、またたく間に25万部を売り上げた。共同執筆にあたった女たちのグループは、「ボストン女の健康の本コレクティヴ」を名乗るようになった。その過程で本のタイトルも、最初の『女とそのからだ』から『女と私たちのからだ』へ、そして『私たちのからだ、私たち自身』へと変化していった。

 1973年からは出版元が大手のサイモン&シャスター社に移り、その後何度も改訂を重ねながら、現在までに通算400万部以上が売れ、世界各地で25以上の言語に翻訳されて、フェミニズムが生んだ最大ベストセラーの1つとなった。今年、雑誌『タイム』によって、「現代の最もすぐれ、最も影響を与えたノンフィクション100冊」の中の1冊に選ばれたばかりでもある。実際、若い頃からOBOSをいつも手元に置いて、何か不安なことやわからないことがあったり、産婦人科にかかったりする前には必ず参照し、「なんでも相談できる頼りになる友だち」のような存在だったと語る女たちは数知れない。

2つの日本語版OBOS

 日本ではいちはやく1974年に、1973年版をもとにした抄訳『女のからだ 性と愛の真実』(合同出版)が出版された。訳したのは、当時のウーマン・リブ運動に参加していた秋山洋子さん、山田美津子さん、そして桑原和代さんの3人だ。日本語版まえがきには、彼女たちの思いを伝える次のような一節がある。

 「本書が誕生するきっかけとなった、女同士がばらばらに孤立させられ、自分の体や自分の性についての正しい情報や感覚を奪われているという状況は、日本でもまったく同じように存在している。いやそれ以上に、女の体までも管理の網の中に組み込もうとする攻撃が、手をかえ品をかえ政府や会社からかけられてきている。その中でこの日本語版のはたす役割は、決して小さいものではないだろう。著者たちは言っている――知識は力である、と。」

日本語版の表紙

 その10数年後の1988年、1984年に出たOBOSの新しい版の日本語訳が、京都のウィメンズブックストア松香堂から出版された。上野千鶴子さんが松香堂書店店長(当時)の中西豊子さんに「こんなすごい本があるよ」とOBOSを紹介し、中西さんが「これを出さなきゃ女がすたる」と、採算を度外視して647頁もある原著の全訳と出版に踏み切ったのだ。さらに、アメリカとは異なる日本の状況に合わせた独自情報も追加することにした。

 その結果、のべ50人近くの女たちが3年にわたり全員ボランティアで翻訳と編集作業に参加し、その他にも数えきれないほど多くのグループや個人から情報や支援が寄せられた。医学面での校閲は、広島の産婦人科医で10代の女の子の性の問題に取り組んでいた河野美代子さんが引き受けてくれ、カラフルで元気の出る表紙には、アーティストの宮迫千鶴さんが自分の作品を提供してくれた。こうして日本版OBOS=『からだ・私たち自身』の翻訳・出版は、80年代の日本のフェミニズムの盛り上がりを象徴する一大プロジェクトとなった。

 この日本版『からだ・私たち自身』は数年のうちに全発行部数を売り尽くして、残念ながら現在では絶版となっている。けれども各地の女性センターなどには所蔵されていて今も読むことができる(はずだ)し、何よりもその後、女のからだをめぐるさまざまな問題(病気とその治療、性、出産や避妊・中絶、更年期と老い、障害、DV、ダイエットや摂食障害、生殖補助技術、等々)について、女たち自身が当事者の立場から発言し、情報を共有しあい、医療制度や女たちの意識の改革を目指していくという大きな流れを作り出すうえで、この本が重要な刺激となったのは間違いないだろう。

40周年記念シンポジウムとOBOSの魅力

 私はかつて『からだ・私たち自身』の翻訳・編集にかかわった関係で、今回のボストンでの40周年シンポジウムに招かれて参加し、日本のOBOSについて話してきた。シンポの前のお祝いのあいさつの中で、黒人女性の健康運動の中心人物の1人、ビリー・エイブリーが、「OBOSは40年前も今も、女たちにとってのバイブル。OBOSはアメリカ全体をコンシャスネス・レイジング(意識変革)に巻き込んだ」と述べたのが印象的だった。

完成したばかりの第9版の表紙

 ちょうど第9版となる最新の改訂版ができあがったばかりで、版型はかつてより少し小さくなったものの、これがなんと全928頁! ずっしりと重い。表紙には52人の読者女性たちの写真が、IT時代を表象するかのようにネットワークでつながる形で配されている(アジア系女性が少ないのが、ちょっと残念だったが)。また、世界各国版のOBOSの表紙をあしらった記念のバナーや、40年の歩みを示す展示パネルも用意されていて、そこにはちゃんと日本版も入っていた。

各国版の表紙をデザインしたバナー

 では、OBOSはなぜこれほど長い間、多くの女たちに支持され、生き続けてきたのだろうか。その理由は、大きく分けて2つあると思う。

 1つは、OBOSは「閉じた」本ではなく、つねに女たちの参加に向けて開かれた本であろうとしたこと。初版以来、OBOSは読者に自分の経験や意見を寄せてくれるよう呼びかけていて、女たちがそれに応えて「私の場合はこうだった」とか、「もっとこんな視点を」といった情報や要望、あるいは批判を送ってくると、それが次の版のために生かされてきた。また、最初にOBOSを立ち上げたのは白人中産階級で異性愛の20~30代の女たちだったが、その後は版ごとに、たとえばレズビアニズム、人種差別、障害、あるいは老化にかんする章の執筆にそれぞれの当事者が中心的にかかわるなど、いつもさまざまな差異をもつ女たちの議論と共同作業を通して本を作り上げるという手法をとってきた。その根本には、「女のからだについて一番よく知っているのは女自身」という、女の経験から生み出される知に対する信頼と、その知を共有しあうことが女同士のエンパワーメントにつながるという信念がある。

 もう1つは、OBOSのこうした姿勢やそこに込められたメッセージが、国境や人種や文化の違いを越えて多くの女たちの共感を呼んだこと。1970年代から80年代初頭、つまりOBOSが登場した初期の頃、この本に共感して翻訳を出版しようと動いたのは、西ヨーロッパの国々や日本など、多かれ少なかれアメリカと似た状況にある先進工業化社会の女たちだった。続く80年代から90年代半ばにかけて、翻訳・翻案の波は中南米やインド、中東へと広がり、さらに最近ではアフリカや東南アジア、そしてソ連崩壊後の東欧諸国において、OBOSに触発されたさまざまな活動が展開されている。

OBOSの広がりを伝える展示パネルの1つ

  翻訳ではなく「OBOSに触発された活動」と書いたのは、政治経済的にも、文化・宗教の面でも、さらに医療制度にかんしても、アメリカとはまったく状況の異なる地域に生きる女たちにとっては、OBOSの原著をそのまま自国語に翻訳したのでは現実的にあまり役に立たないからだ。政治的あるいは宗教的な理由から、セクシュアリティや中絶などの問題をあからさまに扱えば、発禁処分や弾圧を受ける恐れだってある。そこで多くの地域でおこなわれているのが、OBOSの一部を訳して、そこに自国に適した情報を加える翻案、あるいはOBOSの姿勢や精神に倣いながら、自分たちの社会の状況に合った内容と、それを女たちに伝達していくための方法を独自に考え出していくというやり方なのだ。

日本語版の入った展示パネル

 そしてアメリカのOBOSは、こうした世界各地の女たちの活動をつなぐ「OBOSグローバル・ネットワーク」を立ち上げ、専任のスタッフを置いて、それぞれの地域での問題解決のために相談にのったり、出版や活動に必要な資金援助を受けられそうなファンドを紹介したりすることで、支援をおこなっている。インターネットの普及が、文字どおり地球を縦横にまたぐこうした活動をどれほどやりやすくしたかは、言うまでもないだろう。

さまざまな版のOBOSを積み上げ、横から見たところ。上から3番目が、できあがったばかりのヘブライ語版。

 今回のシンポには、このグローバル・ネットワークからタンザニア、トルコ、日本、イスラエル、インド、セルビア、ブルガリア、セネガル、アルメニア、ネパール、プエルト・リコの女たちが参加し、それぞれのグループの活動や困難を乗り越えるための戦略について語りあった。イスラエルから参加したダナとラグダは、仲間たちと一緒にヘブライ語版とアラビア語版のOBOSを同時に完成させたばかりで、パレスチナをめぐる厳しい政治的対立のかげでそうした女たちの草の根の活動が着実に進んでいることを知って、少し希望の光を見る思いだった。

 会場や40周年を祝うパーティには、OBOSの創始者たちも何人も集まっていた。オリジナル・メンバーのなかにはすでに亡くなった人もいれば、近年ではOBOSの活動から距離を置いている人もいる。けれども、彼女たちが生み出したOBOSはさまざまな困難を乗り越え、少しずつ姿を変えながら次世代に受け継がれ、さらには世界各地にその活動が移植されて花が咲き、実を結び続けてもいる。OBOSはいわば、世代と国境をこえた女たちの共有財産になったのだ。

カテゴリー:ちょっとしたニュース

タグ:身体・健康 / 荻野美穂 / リプロダクティブ・ヘルス/ライツ