エッセイ

views

4063

皇室報道における捏造と男尊女卑構造 Haruna

2012.08.27 Mon

毎週毎週、様々な週刊誌に皇室のゴシップ記事が載る。
ゴシップネタにされるのは、英国王室とて同じかもしれない。
しかし、日本の場合は、ひとつの大きな特徴がある、それは「雅子妃バッシング」「愛子様バッシング」と言われているものである。

あるときは、病気が治りにくいということで、またある時は、流産した後に辛そうな顔をしたということですら、雅子妃という女性に対しては「甘えている」「皇族になったということへの覚悟が足らない」と、皇室評論家というキャリアのはっきりしないライター達が書き殴る。
しかし、結局の所、「男系男子で継承するのが慣例となっている皇室に嫁いだのに、男子を産まなかった」ために、「見せしめ」を受けているというのが、客観的な状況と言って良いのではないだろうか。

ここで、ひとつの例をあげてみたい。
8月8日付の週刊新潮では、雅子妃をふくむ皇太子一家の夏休みが「不適当である」ということで、批判をされている。
いわく、東京湾岸の花火大会を見るのが贅沢である。
また、須崎御用邸と、那須御用邸という、皇族専用の別荘に8月上旬から8月下旬まで居るのが静養のしすぎである、と書かれている。
しかし、ひるがえって、昭和時代の皇太子一家、つまり、現在の明仁天皇陛下、美智子皇后陛下が、皇太子一家だった頃、どのように夏休みを過ごしていたかを検証してみたい。
資料としては、松崎敏弥氏著の「皇太子・美智子さまのご教育法」昭和58年発行と、浜尾実氏著の「皇后美智子さま」平成8年発行を参考にした。
ちなみに浜尾実氏は東宮(皇太子家)侍従として有名だった人である。
松崎敏弥氏著の本の、59、180、190、208ページに紹介されているのは、昭和の30年代~50年代当時の明仁皇太子、美智子妃が、軽井沢で避暑をしていたというエピソードである。
軽井沢には皇室御用邸はないので、民間の場所を税金を使って借りて過ごしていたはずだ。
記者会見に「軽井沢プリンスホテル」を使っていたと書かれているので、プリンスホテルを借り上げていたと考えられる。
当時の庶民感覚からみたらかなりの贅沢である。
同じ「夏の静養は軽井沢で」という証言は、浜尾氏の本の、111、156、149、151、204ページ、にも書かれている。
そして、その明仁皇太子、美智子妃静養の時期なのだが、「ご一家は、7月15日から例年通り軽井沢へ避暑に行かれた」とあり、やはり「ご一家が滞在されるのは千ヶ滝のプリンスホテル」と書かれている。
そして、8月29日に軽井沢を散策している明仁皇太子、美智子妃の写真も掲載されている。
つまり、約1ヶ月から1ヶ月半、軽井沢で夏の静養をしていて、その中心は「千ケ滝プリンスホテル」だったということで、間違いないだろう。
東京新聞の記事にもこのことが書かれていたようだ。
西武グループとの繋がりという点でも、皇室としての正しい選択だったのかと疑問が残る。

くどい説明になってしまったが、なぜ、昭和時代の皇太子一家が、民間ホテルに税金を投下して1ヶ月半夏休みをするのは、優雅でご立派なことだったのに、平成の皇太子一家が、すでにある御用邸利用という地味な夏休みを2週間強するのが、贅沢にあたるのだろうか?
答えは実に簡単。
平成の皇太子一家は「男子のお世継ぎを産んでいない」からである。
しかし、ストレートにそうは書けないから、いかにも、昭和時代の明仁皇太子、美智子妃(現天皇陛下・皇后陛下)が、質素に過ごしていたかのような印象操作を行い、それに比べて今の徳仁皇太子、雅子妃は贅沢だと批判する。

このような捏造に対し、宮内庁は批判もしないし、現天皇陛下・皇后陛下も暗黙の了解を与えているように見える。
つまり、日本も、胎児識別により、女児の中絶が増えるような「男児偏重国家」になることを、宮内庁が推進し、日本の象徴が暗黙の了解をしてしまっている、それが、日本の皇室報道であると見ることができるだろう。

皇族女性の人権を考える会〜ひばりに寄せて〜 代表 Haruna http://nagamiya.sakura.ne.jp/

カテゴリー:投稿エッセイ

タグ:天皇 / 皇后 / 皇室 / 皇族 / 皇室典範 / 女性天皇