エッセイ

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女の選択・1 定年退職を迎えて  T子

2012.09.23 Sun

 いろいろな選択を重ねてきた。

 大学を卒業してから38年、私は60歳になった。そして、卒業後勤めた地方都市の市役所を定年退職した。

 22歳・38㎏のひよわな私と、60歳・53㎏のめげない私は、顔も体も心もまるで別人だ。38年間のうちにはいろいろな岐路があった。生き続けていくには2つに1つ、どちらかの道を選ばなければならない。私はいったいいくつ選択してきたのだろうか・・・そして、何を得、何を失ってきたのだろうか・・・無職になり、考える時間が有り余るほどの今、こんな思いが心の中に広がっている。

退職時に職場から贈られた花

  退職の日は今年の3月末日だった。今年は末日が土曜日だったため、前日の金曜日に退職辞令書を受け取り、お世話になった方々に退職の挨拶をした。しかし、土曜日の24時までが管理職である私の責任の範囲だ。本当に「終わった」と感じたのは、4月1日だった。

 「あ~、疲れた。」と何回も何回も叫びたい気分だった。

 就職とほぼ同時に結婚した私は、仕事と家事・子育ての3つで、走りっぱなしの生活だった。この生活を持続するうえでのハードルが現れるたびに、「もう、辞めようかな・・・」ということばが頭をかすめたが、実際に辞めるには家族や職場の上司の同意がいる。いろいろなアクションも起こさなければならず、それ面倒だった。なにより別の生活を考える心のゆとりもなかった。「あと3ケ月、続けてみよう。3ヶ月後気持ちが変わらなかったら辞めよう」と、自分に言い聞かせた。

 3ヶ月が過ぎたとき、辞めたい気持ちはあるものの、その時抱えていた仕事を放り出すわけにはいかない。それでは余りに無責任だし、「だから女はダメだ」といわれ、私の問題が女の問題にすりかわるのは間違いない。だいたい、辞めて専業主婦になったとして、家事が嫌いな自分がその生活を続けられるかどうか・・・などと思っているうちに3ヶ月が過ぎ、6ヶ月が過ぎ、1年が過ぎ、そして38年が過ぎた。

 結婚後8年のうちに私は、子どもを2人産み、産前産後休暇を合わせて4ヶ月とった。病気休暇は3回で2ヶ月。両方合わせると6ヶ月ほどは仕事から離れたが、他は毎日市庁舎へ通った。もちろん休日はあり、方々へ旅行にも行ったが、何をしても所詮息抜きでしかなく、いつも仕事のことが頭にあった。

 地方都市に住む私の世代で、こんな働き方をしてきた女は少ないかもしれない。

 働き続けてきた人はたくさんいるが、仕事・家事・子育ての順番はそれぞれだ。生き続けていくうちに、それぞれの選択を重ね、それぞれの生き方を紡いでいく。

 私は結婚する選択、子どもを産む選択、仕事を続ける選択、管理職になる選択、そして仕事を結果的に最優先する選択を重ねてきた。離婚しない選択、子どもを見捨てない選択、自殺しない選択もあったかもしれない。そして定年を迎え、組織からまったく離れる無職という選択をし、新たな生活にはいった。

3月の誕生日に夫からもらった花

  私の世代は、経済的な自立なくして精神の自立はない、だから働いて自分の収入を得るということが、新しい女の生き方のテーマだった。確かに私は夫から自立している。夫と意見が合わないとき、経済的な理由から夫に従わざるを得なかったという経験はない。特に子育てや親の介護などの面で夫と意見が合わなくても、自分の収入で解決ができた。夫になんの気兼ねも遠慮もない。

 しかし、失ったものも大きかった気がする。あまりにゆとりがなく、見落としてきたものもたくさんあるような気もする。

 自分が生きてきた道に悔いはないが、働き続けてきた女のひとつの例として、この生き方を見つめなおしてみたいと思っている。

カテゴリー:女の選択

タグ:老後 / 働く女性