2012.10.25 Thu
長い間、組織の中で生きてきた。地方の役所を定年退職後、私は無職になることを選択した。
60歳を迎え、一緒に定年退職した男性の同僚たちは、第2の職場へ就職した。
男性の同僚たちが再就職するのは、主に経済的な事情からだろうが、私の場合は、先に退職した夫の年金収入と私自身の年金収入で、なんとか生活が成り立っていきそうだ。
私にも再就職する道はあったが、いつまでも働き続けられるわけではない。この先、余生がどれほどあるかわからないが、体力と気力があるうちに自分なりの生活を築きなおしてみたい。そして、何よりも長年組織の中で生き、いつのまにか封じ込めてきた自分を、もう解放したいという思いがあった。
まだ働かなくてはならない男性たちにわずかな優越感をもちつつ、私は迷わず無職生活を選択した。
組織の中で、女性が生き抜いていくことは想像以上にリスクもハードルも高い。
38年前入庁した時の職場は、10数人の課であり、私以外は全員男性であった。現場を抱える職場であったため、私だけが留守番ということも時折あった。そんな時、電話が鳴り、私が出ると、決まって相手の第一声は、「誰もいないのか・・・」であった。女の私は数のうちに入っていなかったのである。
最近ではそんなことはなく、女性の職員は大きな戦力であるが、管理職として様々な決定のステージなどに参加するという視点では、いまだ男性が主流であり、男社会であることにほとんど変わりはない。数十人の会議に参加しても女性は私だけか、2~3人だけという場面が常であった。
組織と男社会・・・ここから卒業し、38年振りに素の自分に戻りたい・・・そんな心情で無職生活がスタートした。
さて、4月から当然ながら私の日常は激変した。
朝7時半に家を出、夕方6時に帰ってくるという時間がすっぽり抜けるわけだから、びっくりするほど時間がある。仕事を持っている時は、会議に出席し、文書に決裁し、資料を読み、課員に指示し、打合せをし・・・等々とやらなければならないことが山積みだった。
しかし、4月から私がどうしてもやらなければならないことは、ごく限られたことのみになった。家事のうち洗濯と掃除は、夫が共働き時代から分担している。先に無職となり、すでに自分のペースができている夫は、私によってペースを乱されることが嫌らしく、今まで通りの生活を望んだ。朝食も昼食も自分で用意する。
私がやらなければならないことは、仕事にでかける息子の朝食と家族3人の夕食の用意、そしてペットの猫の世話だけになった。
なんと気楽なことか・・・今までの百分の一のパワーもいらない。かったるいくらいだ。
職業生活と家庭生活の両立を考えてきた結果、いつのまにか趣味もなくなってしまった。確か若い頃は文学少女だったはずが、ここのところ読書もほとんどしていない。近所や親戚とのつきあいも最低のことしかしていない。
退職した自分がどうしてもやらなければならないことが、食事の用意と猫の世話だけというシンプルさに、「私ったらこれだけ?」と改めて覚醒した思いだった。
しかし、「ここから始めよう」と私は思い直した。うっかり意に沿わない仕事や役割を引き受けるのはやめよう、せっかく還暦まで生きたのだから、せっかく定年まで働き、心置きなく退職したのだから、もう惑うことのないよう、限られた時間を生きていこうと心に決めた。
そして、まず始めたのが、居場所づくりであった。
通い続けた役所の庁舎は、いわば自分の居場所であった。家を出た瞬間からその日のスケジュールを頭に浮かべ、職場の机に座った瞬間から仕事に入る・・・その繰り返しを38年間続け、大半を庁舎で過ごした。だが、辞めてしまえばあっという間に遠い存在になる。
退職後あいさつに行けば、快く迎えてもらえるものの、私がいなくてももちろん職場はまわり、私の居場所はもうどこにもない。
私は新たな居場所を自分の家につくることを始めた。築100年の古い家で部屋数だけは十分あるが、自分の部屋はなかった。自分の部屋でゆっくりする余裕がなかったのである。物置にしていた6畳間を整理し、机と本箱、パソコンにテレビ・・・と自分の空間を確保した。
ここに、まず座し、ここから始める。物言いたげで健気な猫を傍らに、ささやかながら、第2の人生のスタートである。
連載「女の選択」は、毎月25日に更新の予定です。以前の記事は、以下からお読みいただけます。
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