エッセイ

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働き続けてきたことの原点(女の選択・4) T子

2012.12.25 Tue

 父が亡くなったのは、私が50歳の誕生日を迎える前日だった。
 11年近く前の3月の朝、81歳の父は布団のなかでぽっくりとひっそりと死んでいた。

  父は死の2日前まで車を運転し、畑仕事もしていたので、私はよもや父の死期が近づいているとは思っておらず、死の前夜、父の体調が悪いと母から聞いても気にもとめず、声もかけなかった。父自身も寿命が尽きる時を迎えるとは思っておらず、苦しむこともなく、死の恐怖におののくこともなく、静かにこの世から去って行った。

 実に呆気ない父との別れであった。

 その頃の私は、市役所の管理職試験に合格し、新米課長としてハードな日々を送っていた。特に父が亡くなった時は3月議会の真っ最中であり、管理職としてははずせない期間であった。

 ひとりっ子である私は、葬儀の喪主をつとめ、葬儀を取り仕切りながら、議会の対応もこなさなければならなかった。私は髪を振り乱し、ほとんど睡眠もとらずに父の死後1週間を過ごした。

  管理職になればこんなこともあると、父は身を以て教えてくれたのかもしれない。

幼い頃の父のお土産のこけし

 今でこそタフな女になった私だが、幼い頃は病気で2回死にかけた。

 ひとりっ子で虚弱な私の行末が、父は心配でたまらなかったのであろう。私が子どものころから、「お前はひとりだから、大人になったら大学までいって、働くんだよ。」とよく言っていた。女は嫁になって男に養ってもらうのが当たり前と考える大正生まれの世代のなかで、父の言葉はめずらしかった。

  私自身も父の言葉に何の抵抗もなく、幼いころからお嫁さんになるなどと思わず、自分は働き続けるんだと漠然と考えながら大人になった。

 60歳の今まで色々な選択を重ねてきたが、振り返れば、私の人生の選択には、「働き続けること」が根底にあったように思う。そして、その原点は「一人で生きる」という父の言葉にあったように思う。実際には、結婚し、子どもも産んだが、最後はひとりだという思いは、心の底に根付いている。

 しかし、働き続けていくことは現実には大変厳しい。この日本の社会で女が働き続けるということは、男社会の規範に女があわせるということが前提である。男並みか、もしくは男以上に働いてやっと肩を並べられるのが、残念ながら現場の実態である。

 私が子どもを産んだとき、「仕事は辞めるな。子どもの面倒は俺と母さんでみるからお前は働け。」と父は言った。

 その言葉どおり、私は2人目の子どもの出産を契機に両親との同居を選択し、子どもの育児を委ねることにした。

資料を包んでいた風呂敷

 両親の支援のお蔭で、遅くまでの残業も遠方への出張もこなし、育児のために仕事を途中で放棄するということもなかった。たぶん人一倍仕事に関する勉強もしたと思う。風呂敷包みの資料をいつもぶらさげて歩いているのが、Т子さんの印象だと後輩に言われたこともある。

 私は男並みの条件のもと、男並みに働くことができた。

 38年前、私と一緒に採用された事務職の女性は20人位いた。だが、次第に辞めていき、最後は2人になってしまった。働き続けることの条件を満たすことができず、心身の限界を感じた時、それぞれに辞める選択をしていったのである。

 どんなに能力があっても女はマイナスから始めなければならなかった。どう考えても自分の方が組織の役に立っていると思っても、女というだけで認められなかった。

 私が働き始めたころより、様々な環境が整備され、育児休暇も取得できるようになった。セクハラも認識されるようになった。

 しかし、女が働き続けるということが日常になるという点で、いまだこの日本の社会は、変わっていない。

 連載「女の選択」は、毎月25日に掲載の予定です。以前の記事は、以下でお読みになれます。

http://wan.or.jp/reading/?cat=53

カテゴリー:女の選択

タグ:働く女性 / 管理職