2013.05.25 Sat
時として自らの記憶の曖昧さに唖然とすることがある。
働いていた頃、自分の居場所のように思っていた職場の机の引き出しの中に、観音様の像があることに気がついた時もそうだった。
10数年前、私が40代半ばの頃だったろうか。春の人事異動があり、新しい部署へ移るために机の中を整理していると、小指の半分にも満たない小さな陶磁器製の観音像があることにふと気づいた。
自分の机の中に誰かが入れたとはまず考えられないので、私が入れたに違いないが、いつ、どのような経緯で手にしたのか全く思い出せなかった。誰かにもらったのだろうか、何かのお守り袋の中にでも入っていたのだろうか、過去を辿ってみても記憶のかけらもなかった。
その頃の私は、職場や家庭で様々なトラブルを抱えており、胃潰瘍や大腸炎を患うなど体調も悪かった。少なからず気力、体力ともに萎えていた時期だったせいか、無下に捨てる気になれず、異動先の机の片隅にしまいこんだ。そして、結局この観音様は、私の定年退職の日まで職場の机の中に鎮座し続け、今も私の傍らで「福」の字が刻まれた陶器の箱の中に納まっている。
「困った時の神頼み」というが、長年働いてきた年月のうちには、断崖絶壁に立っているかのような気分になる困難に出会うこともたびたびあった。どうしたらいいのだろう、AかBかどちらの対応策を選択したらいいのだろうか、私はAを選択したいがそれでいいのだろうか・・・観音様に聞いてみたい・・とすら思えることもあった。
だが、当然ながら答えは自分で選択しなければならない。そして選択をすることは、立場が上がれば上がるほど、責任が重く、孤独な作業になる。その上、私たち女には常に「女だから」という評価がついてまわる。妙な判断をすると「女だから」と言われかねない。通常のリスクの上に更にリスクが上乗せになる感じであった。
隠然とした男のネットワークから外れていた私は、実に孤独な選択を重ねなければならなかった。だが、それは私だけでなく、他の女たちも同じことであった。外れた者同士、少数ながら女同士の連帯があった。
様々な女の選択を重ねてきた結果、50歳を過ぎたころになると、同じような選択を重ねてきた女の数は、めっきり少なくなっていた。だが、幸いにも私は同じような価値観をもち、同じような姿勢で仕事にあたる同世代の女の仲間とめぐりあうことができた。
彼女と私は様々な話をし、互いの選択を確認しあった。これでいいよね・・・この選択に間違いないよね・・・と何回も話し合った。最後に選択するのはもちろん自分であるが、信頼する人に後押しされると、自信と安心感をもって事にあたることができる。
この連帯に私は随分助けられた。一人も共感する人がなく、まったく孤独であったならば、途中で働き続けることを断念せざるを得ない時を迎えていたかもしれない。
高校時代や大学時代の古くからの友人たちとも交流が続き、様々な話を続けてきた。彼女たちは若い頃から一緒に成長してきた人たちであり、彼女たちとしか共有できない感情や認識もある。そして、38㎏のひよわな私が53㎏のめげない私に変貌することを、断続的ながらも見届けてくれた人たちである。
しかし、彼女たちは私の選択とは別の選択を重ねてきた人であり、私が働き続ける気持ちについては多分想像がつかない。そんなに大変なら、夫の収入があるのだから仕事を辞めて慎ましく暮らしていればいいじゃないの・・・と、彼女たちは私の愚痴を聞きながら心のうちでつぶやいていたかもしれない。確かにそのとおりだ。辞めたらすぐに露頭に迷うわけではない。
だが、それでは私の心が納得しない。途中で投げ出して逃げたという自分に対する敗北感が残るに違いない。定年に達するまで働き続けることに固執するわけではないが、前向きな次へのステップを踏まえず、中途半端な思いを以て辞めた場合、忸怩たる思いが長く続くものである。そういう例も何人か見た私は、自分が納得できるかたちでラストを迎えたいと思った。
女同士の連帯は働き続けることができた大きな要因であった。
そして、同じ職場に限らず、離れた地域にあっても、男社会の中でもがきながらも直向きに生きる女たちにもわずかながらめぐりあうことができた。
彼女らとは、日常的には相談し、確認しあうことはできなかったとはいえ、同じ思いで生きている人がいると思うにつけ励みになったものである。
女「同士」は、むしろ女「同志」の方が正確かもしれない。
この社会の体制に大きな変革がない限り、しばらくは続く男社会の中で、女の同志は宝物である。私の世代では数が少なかったが、この宝物をたくさん持つ人の数が増えることを願いながら、私の同志からおくられた可愛いお守りや花入れを今日も眺めている。
「女の選択」は、毎月25日に掲載の予定です。これまでの記事はこちらでお読みになれます。
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