2013.09.20 Fri
北京秋天、つきぬけるような青い空の下、植民地支配下の北京で私は70年前に生を受けた。
重病の母は月足らずで生まれた未熟児の私をつれて、その3カ月後、満鉄に揺られて釜山から玄界灘を超え、やっと九州の実家に帰ってきた。母はそのとき20歳だった。
戦後の食糧難のさなか、農業技師だった父が開いた農場で、絞りたての山羊の乳をゴクゴク飲み、とれたての食料をパクパク食べ、母も私もすっかり元気になった。
アルプスの少女ハイジのように野山を駆け回り、動物たちと遊び戯れ、満天の星を仰いでドラム缶のお風呂に入って眠るという、当時としては珍しく丸々と太った子どもに育っていた。
だが、戦後の混乱期、静かな村でさえ時折、生活苦から盗みや詐欺があり、難波駅頭で知り合いがピストルで撃たれたという噂も流れて、子ども心に不安に思った。
1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発。小学校に入学したばかりの私たちに先生は黒板に朝鮮半島の地図を描いて、「ここで今、また戦争が始まりました」と教えてくれた。大人たちが話す「朝鮮特需」という言葉を、「なんだろうな?」と不思議に思いながら。
60年安保は高校2年。友だちに誘われて御堂筋デモに参加。初めて男子大学生と手をつなぎ、道路いっぱいに広がるフランスデモに高揚して歩いたものだった。同級生が1人、のちに退学処分になったことを、ずっとあとになってから知った。
2020年東京オリンピック招致を苦々しい思いで聞いた日、50年前の東京オリンピックが終わり、大学を訪れたソ連の重量挙げ金メダルのジャポチンスキーと握手、その手が意外にふっくらと柔らかかったことを、ふと思いだした。志賀義雄の「日本のこえ」(日共ソ連派)が、彼を大学に呼び、花束をあげてくれと友人に頼まれたのだ。
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今、上野千鶴子著『家父長制と資本制』を年配の友人たちと読んでいる。60年代後半に学生だった私の世代は、まさに近代単婚社会に巣くう家父長制の担い手となってしまったのではないかと、深く今、反省を込めて実感する。それもロマンチック・ラブ・イデオロギーに、甘くまぶされて。
当時、民間企業の採用は「大卒女子は不可」。女子が就職できるのは教師か公務員だけだった。そんななか、たった一人の男に200通のラブレターを書き、内定が決まった高校教師の職を惜しげもなく捨て、親の反対も押し切り、手鍋下げてもと、うかつにも結婚してしまったのだ。
それから20年。結婚当初から「家族」とは「性支配」の場であることを薄々気づいていたのに、自らの「内面支配」に絡めとられ、家事労働も子育ても、自ら選び取った老親介護も、「役割」として好んで受け入れてきた私。近代家族の陥穽と(専業)主婦の「犯罪性」を自ら進んで生きてきてしまったのだ。家庭を「解放区」と錯覚していたのかもしれない。
「家父長的戦略」とは「女を賃労働から排除し、女の労働を男より低く位置付け、女をそこに封じ込めてしまうこと」とフェミニストたちは見事に言い切ってくれた。
あるとき、『朝日ジャーナル』に「かくて『日の丸』は翻り、『君が代』は流れる」という、京都の教育現場の記事を依頼され書いたことがある。後日、「原稿料を振り込みたいので口座番号を」と、記者から電話があった。私名義の銀行口座はなく、「夫名義の口座しかありません」と答えると、電話口で「エッ」と絶句された。あのときの恥ずかしさは、今、思い出しても赤面するばかりだ。
よい答えは、よい問いからしか生まれないという。よい答えが返ってくるとき、答えはもう自分の中に、すでにあるのだ。薄々自覚していた答えが、あまり見たくもない「自己像」が、ふっと暗闇のなかからフェードインして立ち現れてくるかのように。
それは本を読んでいて、あたかも活字が紙面から立ち上がり胸に飛び込んでくるように感じるのと同じ。ああ、そうだ、そうだったんだ。それがつまり私の問いに私が答える瞬間なのだ。
「日常のなかの天皇制」は「甘えのイデオロギー」と対となり、どうしようもなく「輔弼(ほひつ=天皇のために全責任を負うこと)」の関係をつくりだしてしまっていた。これではいけない。一刻も早く、そこから抜け出さなければ、と思った。
そのようにして私のなかのいびつな関係を問い直す作業の行き着く先に、結婚20年目の離婚があった。「互いに自由になるために」と向こうから先に言い出されたのは、ちょっとシャクだったけど、率直にそう思って私も同意した。
あれから25年。果たしてあの問いは、よい答えを導き出したのだろうか。その後の私の人生を振り返ってみれば、「うん、いい選択だったな」と今は、そう思う。
この夏、阿蘇に旅して70歳の古希を迎えた。祝ってくれた母もこの秋、90歳になる。幸い元気だ。
それからの私の来し方、新しい「他者」との出会いと関係のつくり方は? そしてこれからの老いに向かって、私はどこへ行こうとしているのか? その答えはまた次の機会に。
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