2013.11.13 Wed
熊本日日新聞というローカル紙にときどき書評を書いています。最近とりあげたのがこれ。
小熊英二編著『原発を止める人々』文藝春秋社、2013年
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元首相の小泉純一郎さんが「原発即時停止」を唱えるいま。「現に止まっているだから、そのまま再稼働しなければいいじゃないか」となれば「即時停止」は実現します。
民意の多数派がどこに向いているかに、ポピュリストの小泉さんはあいかわらず鋭敏なのでしょう。
この民意の支持をとりにがしたら、自民党の明日はないぞ、と。
首都圏のクリスマスイルミネーションを見ながら、最近、電飾自粛も節電も言わなくなったなあ、原発なくても電気は足りてるじゃないか、と思っているうえのです。
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草の根の抗議が起こした奇跡
小熊英二編著『原発を止める人々』文藝春秋社、2013年
タイトルが大胆だ。「やめる」と読むか、「とめる」と読むか。やっぱり「とめる」だろう。主語は「私」。能動性がある。
本書の編者、小熊英二さんは社会学者。思想史や社会運動の歴史社会学をテーマにしてきた。その彼が3.11以後、官邸前の毎週金曜日の抗議行動に至るまでの各地の多様な市民の動きをリアルタイムで「記録し、活動し、研究する」ために書いたもの。それというのも、いま記録にとどめておかなければそれらの記憶は失われてしまうし、またマスメディアが報道しようとしなかった動きだからだ。巻末の「2011年以降の反原発デモ・リスト」を見ただけで、脱原発の抗議行動が、文字どおり草の根で、どのくらいの拡がりと自発性をもっておこなわれたかがわかる、貴重な資料集となっている。当時の最高権力者だった菅直人氏へのインタビューも収録されている。
小熊さん自身もその動きをつくりだした当事者のひとりである。そういうインサイダーの証言集ともなっている。本書は小熊さんの歴史家としての使命感と、当事者としての意思が生み出した、そして彼の編集者としての力量がいかんなく発揮された「作品」である。
「原発を止める」というのは、けっして荒唐無稽ではない。なぜなら今日、日本国内のすべての原発は止まっているからである。再稼働した大飯原発は13ヶ月目の定期点検に入って停止している。原発が1基も稼働していなくても、日本国内の電力は足りており、なんのふつごうも起きていない。小熊さんはいう、「日本において『脱原発』はすでに実現した」。しかも「世界の運動がどこもなしとげたことがない、非暴力直接行動によって官庁街を長期にわたり占拠するということも実現し、与党(当時)のエネルギー政策を変えさせた」。
本書にはその「原発を止めた人々」の証言集が出てくる。引用しよう。「沈黙はすなわち同意」「無知から子どもを被曝させてしまったという後悔の念は一生消えることがない」「息子に恥ずかしくないように」「こんなめにあってもなお、ひとつも怒らないような、そんな人間でありたくない」「無かったことにしたくない」「愚かな国民と呼ばれたくない」、そして「自分の人生のためにふつうのことをする」「あ、誰でもできるんだ」「対立より対話」、それを通じて「これほど自律的に動く集団を見たことがない」「脱原発を通じて出会った人々は、暗闇の中で光る一条の灯火」「重い悲観にうちのめされながらも前にすすんでいるという楽観」のうえに、「町にデモのある風景」があたりまえになった。いま「何もしなかった自分はもういない」「歩き方を知った私たちは、もう立ち止まることはない」。この調子でどこまでも引用で埋め尽くしたいくらいだ。自分の目で読んでほしい。首都圏デモの主催者のひとりはこういう。「選挙の結果にもがっかりしなかった」、というのは「こういう積み重ねで日本は来ているんだから、がっかりする暇なんかないぞ」って。
日本はいま、世界で原子力リテラシーがもっとも高く、市民活動の経験を積んだ人材の蓄積がもっとも豊かな社会のひとつになった。
証言を受けた編者の結論が力強い。
「人々はいまだ、その奇跡を奇跡として自覚するほど、みずからの達成に慣れていない。そのことがはらむ可能性の深さに、彼らはまだ気づいていないのである。」(『熊本日日新聞』2013.11.3付け)
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