20代の頃に私はベジタリアンになった。理由は、リウマチの友人が、七転八倒の苦しみから、肉魚、砂糖をほとんど取らない食事に移行して、その痛みが激減するのを目の当たりにしたことによる。彼女とは、障害を持つ子どもの施設の中で一緒だった。施設の中の食事は、毎日肉魚が昼夜かわりばんこに出た。

私の母は小作農の貧しい家に生まれ、肉魚はもとより、白ご飯さえ年に数回しか食卓に上らなかったという。豚や鶏を飼っていても、それは母達の口に入るものではなく、日々の生活の糧として売るための家畜だった。母にとって食事は料理を楽しんだり探求したりするものではなく、とにかくシンプルに食べられることが感謝だった。

それに比べて父は、10歳までは大きな魚屋の長男で、祖父が没落して満州に夜逃げするまでは、美味しい魚を結構食べていたという。だから父は、母の料理を貶し続けた。私は小学校低学年からその間に割って入っていた。父に「お母ちゃんに美味しい料理を作らせたいなら、フランス料理店にでも連れて行け。給料安いくせに偉そうに言うな。」と言い、母には、「いつまでも罵倒を黙って聞くな。NHKの今日の料理でも見て少しは勉強しろ。」と言っていた。 私は自分の両親のあり方から、日本のセクシズムの酷さを見ていた。

それが具体的に自分の身に降りかかってきたのは、30代初めに障害のない男性と結婚しようとしたときだった。それまで骨が弱いと言うことで地域の小・中学校と養護学校に行って教育差別も沢山受けてきた。それと同時に、医療から受けた生体実験のような治療の数々で、障害を持つ人への差別の酷さを十分に知ってはいた。しかし、この結婚差別によって、この社会は見えやすい障害者差別に加えて見えにくく、そして深い深いセクシズムが強烈に人々に覆い被さっていることを自覚した。

そこからフェミニズムに目覚め、1996年には優生保護法の撤廃を仲間と共に実現した。そして同じ年に宇宙という名の娘を産んだ。

私の身体は、幼い頃に受けた凄まじいレントゲンのせいで、それまでの恋人達とは妊娠しなかったので、自分の身体は妊娠出来ないと確信していた。

ところが、先にも書いた、リウマチの友人の苦痛の軽減を見ていた、20代の初めから玄米菜食を食事の中心とするようになっていた。そして、激しい結婚差別を受けた後には、この世界はあまりにも私の身体には否定的なことに、悲しみと怒りを感じ、少なくとも自分自身だけは自分の身体を愛するということを始めた。その試みの第一歩は、1年間の完全な玄米菜食の実践だった。

その頃は、そば屋にいくにも、鰹だしを取らないよう自分の醤油を持っていったり真剣にやっていたためか、39歳で思いがけなく妊娠、40歳で出産した。

ベジタリアンは声の出せない、全く言葉を持たない動物や魚たちの声を聞き取り、その悲痛な人生を、命の対等性に則って、声を代弁する人達であると考えている。

人間の女達が、自分の声を全く聞かれなかった所から、戦後、参政権を勝ち取るまで立ち上がれたのには、言葉があったからだ。 しかし、動物たちには、全くそのチャンスはこれからもないとしたら、私たちが変わって声を上げなければならないのだ。
特に私には、声も言葉も出せない人間の仲間がいるので、動物や魚たちの状況は彼らと酷似しているとさえ感じるのである。

フェミニズムは私の中であらゆる命の対等性を目指すもの。つまり声なき声に耳を傾けるために、ベジタリアンであることは私にとっては必定であると確信している。フェミニストが皆ベジタリアンになれば、環境破壊のスピードも少しは軽減し、経済格差や貧困の問題もそれなりの前進を見るだろう。

ポール・マッカートニーが「meat free Monday」というキャンペーンをサポートしている。ネットで検索し是非見て欲しい。