熊本地震の余震を避けて90代の母と80代の叔母が京都にやってきた。娘がとんぼ帰りで迎えにいく。道中、乗り換えもある。「新幹線の中でゆっくり寝てきたら」というと、鉄道大好きの母は「ワクワクするけん、眠られん」と、すこぶる機嫌がいい。
古い、古い熊本の家は幸い奇跡的に無事だったが、なお続く余震に、なかなかぐっすり眠れない。「京都でしばらくゆっくりしたら」と誘って、やっと納得して来てくれた。
こちらの準備もいろいろと大変。マンションの同じフロアに母たちの部屋を用意してあるものの、必要な品を運び込み、あれこれしつらえや用意しなければいけないものもあり、到着前に私と娘は少々くたびれ気味。
そしてようやく「非日常」の地震から解放され、落ち着いて休めるようになったようだ。食事やおやつの時間はともに過ごしても、時間と空間は別々にもつのはお互いずいぶんと楽。お布団の上げ下ろしや手助けがいること以外、なるべくいつもの暮らしを変えないよう工夫して、それぞれの「日常」が始まった。
娘がつくる料理は口に合うのか、「おいしかなあ」と二人ともほんとによく食べる。2年ものの梅酒や今年つくった紫蘇ジュースを飲み、ご飯もおかわりする。歳をとっても食欲があるうちは、まだまだ大丈夫だ。
その間を5歳の孫娘が行き来するから、ややこしい。言うことを聞かない曾孫に、ひいおばあちゃんが叱る。もともと喧嘩っ早い母のこと。子どもの頃、男の子に絶対、負けたことがなかったという。一方、孫も負けてはいない。グッと睨んで言い返す。母も「負けんけんね」と目をキラリとさせる。少々認知症のある92歳と、聞き分けのない5歳の喧嘩のはじまり、はじまりぃ。立ち見の私たちはケラケラ笑って見ている。
日曜日、孫のピアノの発表会があった。「聴きにいく」というので母たちを連れていく。音程を確かめるようにじっと耳を傾けている。「おばあちゃんも小さい頃、ピアノを習いたかったん?」「うん、そうよ」。道理で私が小さかった頃、ピアノのお稽古のたびに母もいっしょに学んでいたんだと納得。
88歳の叔母は若い頃、洋裁店をしていた。「ゆいちゃんに夏のワンピースをつくってくれる?」と頼むと、急に元気になった。早速、ノムラテーラーに生地を買いにいき、型紙をとり、仮縫いをして、足踏み式シンガーミシンの代わりに慣れない自動ミシンで、「腰が痛い、痛い」といいながらもワンピースとパンツとノースリーブシャツを縫ってくれた。
アッという間にひと月がたった。余震はまだまだ予断を許さないが、そろそろ帰りたいらしい。現地で被災生活をされている方には大変申し訳ないのだが。夏には私たちも熊本にいく予定。帰る前に近くの温泉にでもつれていこうと宿をとる。
6月4日、友人に誘われて映画とデモにいった。ドキュメンタリー映画「不思議なクニの憲法」(監督・松井久子)を木屋町の旧小学校跡「立誠シネマ」で見た。有名、無名の若い人から年配の人まで、自分の言葉でしっかりと声をあげる。「立憲主義」「日本国憲法の成立」「国民主権」「基本的人権」「男女平等」「戦後の日米外交史」「沖縄」「18歳選挙権と若者の政治参加」について、熱い思いでインタビューに答える。
最後に流れるエンドロールに登場人物の顔と声と主張が鮮やかに蘇ってきた。いいドキュメンタリー映画だった。
瀬戸内寂聴さんは「戦争中、北京で鬱々と結婚生活を送っていたのよ」と語る。母も同じ頃、北京にいて重い病の中で私を産んだ。瀬戸内寂聴94歳、母92歳。若い二人は、あの北京の突き抜けるような青い空の下、どこかですれ違っていたかもしれない。
映画の後、円山公園から京都市役所までデモ行進に参加する。「アベ政治を許さない」と、シニアの会の旗をもって歩いた。
パリの女友だちから久々に長い電話がかかってきた。「フランスの新聞に3・11以後の放射能汚染について詳しく載っているわよ。どうして日本の新聞には載らないの?」。そういえば熊本地震の時も、NHKはなぜか川内原発も伊方原発も外した地図しか出さなかった。「安倍政権の暴挙にどうしてみんな怒らないの? パリは今、労働法改悪に鉄道ストやガソリン・ストで闘っているのよ」。
一人ひとりの「日常」は、みんな個人的なもの。そんな「日常」を壊す、戦争という「非日常」は、アッという間に個人をのみこんでいく。
母の世代から私へ、娘から孫の時代へ、これからもずっと「日常」を生きていくために、闘いを持続していかなければ。ほんとうに、いま、危ない。