かつて瀬戸内海の夏の風物詩だったというアマモ採り。柳を思わせるその海草を採るのは、漁師ではなく島の農家だったという。「船の上から2本の竹ざおを海に差しいれ、底に茂るアマモを巻きつけて、引きちぎるようにして採る。それを畑に入れていたんです」。瀬戸内海のほぼ中央、芸予(げいよ)諸島の北にあたる広島県三原市で田畑を耕す岡田和樹さんが、以前そう教えてくれた。

 山から流れて川にでた栄養分は海へ流れつく。川と海の境にできる干潟(ひがた)に、栄養がもっとも溜まる。そこにアマモが生え、山から流れてきた栄養分のほとんどを吸着する。それを陸へ返せばグルグルと栄養分が海と陸を循環する。地域の物質循環のなかで永続的につづく農業ができるのだ。アマモの堆肥が島々の農業を支えてきた。

アマモを堆肥にした畑

 岡田さんの畑へ行くと、ネギを植えた畝(うね)に黒っぽい海草が敷いてあった。それを指差しながら、岡田さんは目を輝かせてこう話した。「これがアマモです。アマモを堆肥にする農業は、アマモ場、つまり海を守っていかないとできない。それはヒトが生態系の一部として存在していたことと、大きな関わりがあると思う。そのつながりの中で、海もしっかり残しつつ、この地で昔から行われてきた文化も受け継ぎたいんです」。いまではアマモを採る姿も肥料に使う姿もほとんどない。だが岡田さんはそれを受け継ぎたいと、実践に取り組んでいた。

畦塗り1回目の田んぼ

 それから数年を経た2016年6月中旬。岡田さんは畦(あぜ)づくりに精を出していた。田んぼの水洩れを防ぐため、畦は三度塗り直してやっと完成する。仕事は遅れ気味らしい。いつもは一緒に田畑へ出る妻が育児休暇中だからかもしれないが、裁判をかかえている影響もありそうだ。上関原発スラップ(恫喝)裁判のことである。2009年12月、上関原発計画をすすめる中国電力は、住民4人に対して4800万円の損害賠償金を請求する裁判をおこしていた。

「僕にとって上関の原発は、身近な場所につくる原発です。山口と広島で違う県だけど、同じ瀬戸内海だから。海は隔たりなくつながっているし、空も同じ。計画では、東京ドーム3個分にあたる14万m2も海を埋め立てて、祝島から約3.5km対岸の山口県上関町の田ノ浦に、原発を2機つくるという。もちろん僕たちの生活も影響を大いに受ける。ここで生きていく以上、それに反対するのは当然のことでしょう。それで祝島の漁師さんたちと一緒に現地の海で抗議をしていたら、裁判をおこされたんです。僕たちが工事を『妨害』した、そのため損害が生じた、賠償しろ、と」

 岡田さんは当時をそう振りかえった。抗議をしたのは4人どころではなかったが、裁判をおこされたのは4人。岡田さんの名前もあった。だが中国電力が「損害を受けた」と訴状に示した期間の半分は、岡田さんは「妨害」どころかその場にいない。中国電力側から暴力をふるわれ、頸椎ねんざと肺炎の疑いで入院を余儀なくされたからだ。

「暴行されたので刑事告訴したところ、直後に裁判をおこされたんです。医者の診断書や暴行の映像も添えた僕たちの刑事告訴は不起訴にされ、中電の訴状は証拠がズサンでも受理されて。訴状の間違いを直すだけで最初の4年近くが過ぎたほどズサンだったんです。それでも『被告』とされた以上は裁判にでないと、中国電力の主張を認めることになってしまう。だから1日がかりで、裁判のために山口県まで出かける。僕たちを時間的・金銭的・精神的に縛りつけ、黙らせるのが目的なんでしょう」

 そう言うと、岡田さんは次のように訴えた。

「上関原発の計画は30年以上前のもので、僕は当時生まれてなかった世代です。いわば、僕たちの意見を聞かれることなく、計画は進められてきた。『上関原発を考える広島20代の会』をつくって県庁へ抗議に行ったり署名を集めたり、イロイロしても聞いてもらえない。遂に工事が強行されようとするなか、最後の表現行動の場として、埋め立ての現場・田ノ浦があった。暮らしと海を守るための大切で正当な表現行動————みんなの海域で非暴力の意思表示————をしただけです。直接的な行動しか選択肢がないから。それを『妨害行為』といって多額の損害賠償請求をおこすなんて…。国や大企業が市民を裁判で訴えれば、市民の側は萎縮します。司法を利用した表現行動の弾圧です」

 国や大企業が原告となり、それに反対する市民を民事裁判で訴えて発言や行動を封じようとする戦術的な裁判を、アメリカでは「Strategic Lawsuit Against Public Participation(SLAPP)」と呼ぶ。表現の自由への弾圧になると禁じる例も外国にはあるが、日本には規制がなく頻発している。これまでのところ「スラップ」と呼ぶことが多いようだ。だが、富山市長が理事長を務める富山地区広域圏事務組合が、震災ガレキに反対する市民を刑事告訴した(のちに不起訴)例など、アメリカの定義が該当しないケースもある。「日本での定義と呼び方が必要」と岡田さん。ここでは当面「上関原発スラップ(恫喝)裁判」と呼んでおこう。

もっとも中国電力の意図は、思いがけない効果をもたらしてもいる。この裁判を切り口に、上関原発の問題や現地の運動に関わる幅が広がったのだ。広島県東部から山口まで、バスをチャーターして出かける裁判傍聴ツアーが始まった。約1年前になる前回の口頭弁論の際は、200人以上が傍聴券を求めて山口地方裁判所に並んだほどの盛りあがり。その後の報告集会で、当事者も支援者も集まって交流する。そこで直に情報を得て、リピーターになる支援者が多いという。上関原発スラップ(恫喝)裁判への取り組みは、原発から暮らしを守るという面と、表現の自由を守るという面のふたつがあるからだろう。自分で得た情報をもとに、自分の意思で行動する人が増えている。

 今年6月23日。上関原発予定地の埋め立て免許の延長申請について、中国電力が7回目の補足説明を山口県へ提出した。この免許について山口県知事は、有効期限後の延長を認めないと公約していた。だが2012年10月、山口県選出の安倍晋三議員が自民党の総裁に再任された直後、中国電力は失効直前に3年の延長を申請。それから3年半以上、「国のエネルギー政策における(上関原発の)位置づけの確認」の補足説明を中国電力に求めるかたちで、山口県は判断を先送りしている。

 6月28日。中国電力が株主総会を開いたその日、例年どおり広島市の総会会場前へ意思表示に出かけた祝島の人びとは、信じがたい言葉を聞いた。「島根原発一号機の廃炉を決めており、上関原発の開発はこれまで以上に重要」と、中国電力の経営陣が言い放ったのだ。「原発に求められるエネルギーを再稼働や建て替えだけでまかなうのは難しい。新設も検討する必然性がある。上関原発計画の推進にむけて国政から支えたい」。7月10日に投開票を迎える第24回参議院議員選挙に、山口選挙区で立候補している自民党候補のその言葉も、同じ日に報じられた。  追い討ちをかけるように翌29日、祝島の路地を歩く中国電力の社員数人の姿があちこちで目撃された。女の人たちが知らせあって走り歩き、丁寧に挨拶と抗議と質問を社員たちへ重ねたと聞く。いずれも心根の優しい女の人だが、「帰れー! 昨日わしらが広島のお宅の本社まで行ったのを知っちょろうが! どこまで人の神経を逆なでするんか!」と声をあげる人、「二度と来てくれるな」と説得する人もいたという。無理もない。昨日の今日だ。中国電力は、原発のことが頭の片隅から離れない暮らしを、30年以上も祝島の人びとに強いている。「上関原発を建てさせない祝島島民の会」代表の清水敏保さんと山口県漁協祝島支店の運営委員・橋本久男さんのことも、岡田さん同様に裁判で訴えていた。

 いつになれば原発問題から解放され、本来の町づくり島づくりに取り組めるのか。原発回帰の安倍政権と、その顔色ばかり伺う山口県への怒りは、祝島で日ごとに増す。折しも、第二次安倍政権の3年半と、自民党による改憲の是非が問われる、参院選のさなか。保守王国と言われる山口県でも、野党統一候補が実現して国政選挙が久々にアツイ。

刈りとった稲をかかえる岡田さん

「上関原発の現地で計画に反対の声をあげるときに、原発に関しては表現の自由や知る権利がことごとく奪われていると思った。それでも、憲法が謳う表現の自由に自分は守られてきたと、裁判をおこされてからは実感しました。表現の自由や知る権利を損なう形で進めようとしている憲法改正は、やっぱりオカシイ。憲法は国を縛るものなのに、僕たちを縛るものに変えられようとしている。本当のことを言えなくなったり、原発や基地の問題で地元の人がシンドイことになったり。スラップ裁判はその典型的なものだと思う。僕は約6年前に、裁判に訴えられた。不当な裁判ではあるけれど、せっかく訴えられたんだから、そういう中で人と人がちゃんとつながって、原発のことはもちろん、表現の自由を守る運動に、今だからこそ結びつけてやらないと…訴えられた甲斐がないですよね」

 祝島の人びととともに意思表示をし、20代なかばで上関原発スラップ(恫喝)裁判の「被告」とされた岡田さんは、そう言って笑顔を見せた。

※連続エッセイ『潮目を生きる』の前回までは次のURLからご覧いただけます。http://wan.or.jp/general/category/shiome