この月で3回目の大潮が翌日にせまる、8月30日。朝一番の船で祝島を発った一行は、本州島の室津半島の突端でバスに乗りかえると、山口市へとひた走った。左手の海には、祝島(いわいしま)に小祝島(こいわいじま)、さらに彼方には大分県の国東(くにさき)半島に近い姫島(ひめしま)までくっきり見える。
前方の空に大きな虹の橋が架かった。「幸先(さいさき)がいいねぇ」。虹のつけ根は田名(たな)埠頭(ふとう)。2009年9月に上関原発のための海の埋め立て工事を始めようとした中国電力(中電)が、工事区域を示す灯浮標(とうふひょう)を運びだそうとした場所だ。その工事に異を唱えた住民に中電が損害賠償を請求した訴訟で30日午後、和解が成立した。100人を超す人びとが、祝島をはじめ各地から山口地方裁判所に集まり、それを見届けた。
この裁判については、第7回「境い目、つなぎ目〜表現の自由と原発」で触れている。簡単にいえば、住民が暮らしを守るために原発という巨大開発事業に声をあげたら、中電という大企業はそれを「妨害」と呼び、「損害」を被ったと司法に訴え、多額の賠償金を住民に請求した。

上関原発の恫喝訴訟で訴えられた4人(左から清水さん、橋本さん、原さん、岡田さん)
声をあげた住民は多かったが、中電が訴えたのは、清水敏保さん・橋本久男さん・原康司さん・岡田和樹さんの4人。裁判を通じて中電は「妨害」を立証できず、「損害」の根拠も示せず、当初の約4800万円から約3900万円に請求額は変わった。それでも、見せしめ的に4人に多額の損害賠償を請求した訴訟は、原発計画にあらがう人びとの声を脅しで押しつぶそうとした恫喝訴訟、いわゆるスラップ Strategic Lawsuit Against Public Participation (SLAPP) だったと言われる。
その恫喝訴訟で、「勝訴判決に匹敵する勝利的和解」となった。中電は、住民4人への損害賠償請求権を全額放棄し、今後もし埋め立てが再開された場合も4人の表現行為を尊重する、という内容だ。
「勝利的和解」って? と思われた方。映画『エリン・ブロコビッチ』を思い出してほしい。ジュリア・ロバーツさんが2000年のアカデミー主演女優賞を受賞した作品といえば、記憶がよみがえるだろうか。主人公が大企業を相手に環境汚染訴訟を起こし、被害者のために巨額の和解金を勝ちとった、あれだ。判決による勝ち負けという形はとらずに、実質的に勝つ方法といったらいいか。
もっとも上関原発の恫喝訴訟は『エリン・ブロコビッチ』とは逆のパターンだ。いきなり「賠償金を払え」と、住民が大企業から訴えられたのだから。それが住民側の勝利的和解で終わるとは、注目に値する。その道のりは、ごく普通の、多彩な人びとが支えていた。彼ら彼女らの声を、文字起こし(一部)とともに動画でお届けしよう。
【勝利的和解を支えた人びと・応援団長のアーサー・ビナードさん】(2016年8月30日@山口県庁前)
「僕が詩人として仕事できるのは、日本国憲法の第21条の言論の自由(が保障されているから)。被告にされた4人は、何を使って、何をやったかというと、その言論の自由(を守り実現すること)。僕がやっていることと、橋本さん清水さんがやっていることは、一緒なんです。原さんがやっていることは、原さんは詩人だと名乗らないけど、でも、やってきたことは、表現の自由を活かして、この社会を建設的な方向に引っ張ろうとしている。いのちを大切にすること、それは表現の自由がなければ、できない」
【勝利的和解を支えた人びと・祝島の木村さん】(16年8月30日@山口・林業会館)
「この4人とも皆けっこう闘志がありまして、今日の『和解』いう言葉はちょっと抵抗があるか、もっと闘いたいかなぁ、と思っていたんですけど、今日(話を)僕も聞いていて、涙が滲んできました。僕自身、喜んだんじゃろうと思うんですけど、4人ともそういう気持ちは強いものがあるんじゃなぁと、奥さんやらがここで前に出られているのを見て、思いました。岡田くん、どうもお疲れ様でした。
隣の原くんが、(ご自分の)ホームページで『実力とはなんだ』というのを問いかけている部分があります。人が生きていくためには、実力って何だろう、と。岡田くんも、生活のために抗議運動をされていたんですよね。原くんは、生活のためにっていうか、生きていく実力って何だろうと問いかけている部分がある。
私らの言う『実力』と、全然レベルが違うんですね。そういう試行錯誤をする部分が、今でもあると思います。瀬戸内カヤック横断隊というので、(瀬戸内海の)小豆島(しょうどしま)から祝島まで、祝島から小豆島まで、(原くんは)カヤック隊をひきつれ、今は隊長をやられている。それになったのも自分の実力を試すためかな? と僕は考えていました。
この4人とも、素晴らしい実力者だと私は思っています。そういう実力者を訴えるということは、どういうことなんだ? 橋本さん、清水さんは…祝島には神舞(かんまい)っていうのが4年に1回あるんですけれど…その要になって活躍されて、今年、本当にいい神舞ができました。
4人に共通しているのが、みんなを惹きつける魅力がある。それこそ本当の実力かなぁと僕は思っています」
【勝利的和解を支えた人びと・三原の坂本さん(中国電力スラップ訴訟止めよう会)】(16年8月30日@山口・林業会館)
「岡田くんが、『ケイコさんが最初にリーフレットを作ろうと言ってくれて、だんだん(支援の輪が)広がっていった』というので、そのとき初めて、自分がやったことが『よかったのかな』と。…みんなフツーに日常の仕事に追われて忙しいけど、岡田くんに言われて『自分のできることはないか』と考えたときに、いろんな人が助けてくれて、リーフレットを作って。いろんなところに配ったり、印刷したり、報告を書いてもらったり。…ぜんぶ(自分は)口で言うだけで、パソコンはできないし、計算はできないし、結局いろんな人に頭下げてお願いしたんですけども。いつも草取りと収穫しかしていない、フツーのおばさんでも、何かできるんだ、ということをお知らせしたい」
【勝利的和解を支えた人びと・尾道の小林さん(フクシマから考える一歩の会)】(16年8月30日@山口・林業会館)
「この裁判(の支援)を通して勉強になったことは、思いはやはり口に出して、隣の人に届けなければいけない。小さな点が線になり、線が面になり、そして広い海のように皆でつながって、やっていけるのだなぁということを、とても強く感じました。これが最後と思っていません。原発はなくなっていませんし、憲法も危ういです。…これからも皆と、このつながりを大切にして、やっていきたい。それに、(支援する裁判を傍聴する)バスツアー(を企画実践したこと)が切っ掛けになって、(原発のある)伊方にもバスで行き島根にもバスで行き、バスで行くことが簡単になっています」
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そうはいっても「和解」にはユルイ感じが漂うと、案じる方もいるだろうか。では住民側の弁護団による説明を、動画とともに添えよう。この和解を住民側の勝利と言えるのは、3つの点からだった。
まず、損害賠償請求訴訟で賠償金の支払い請求をゼロにするのは難しいと言われるなか、それが成った。そして、勝訴的和解は勝訴でないため、敗訴した側から控訴される可能性もなく、裁判は決着した。さらに、今後も法律を守って行動する、という法治国家では当然のことだけを条件に、これからも上関原発にあらがう行動は何ら制約を受けないことが確認された。「和解の中味、一切の表現行動を中国電力が尊重する、ということになっています。…それは、原発に反対する一切の表現行動を、元被告の方たちは続けていく、そのことを中国電力は尊重する、ということです」。弁護団長の小沢秀造さんは、そう言うと笑みを見せた。
【勝利的和解を支えた人びと・弁護団長の小沢さん】(16年8月30日@山口・林業会館)
3つのなかでも最後の1点は、特に重い意味を持つことになる。山口県が8月3日、上関原発のために海を埋め立てる免許の延長を、突如として許可したからだ。この暴挙に驚き憤った人びとは、2日後の8月5日には山口県の各地から100人以上も県庁を訪れ、県に抗議した。30日も、山口・広島の両県を中心に各地から集まった人びとが、県庁で県に抗議してから山口地裁へ行く姿が目立った。そのひとり、佐々木明美・山口県議の話が、問題の概要をよく伝えてくれるだろう。
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【勝利的和解から埋立免許の撤回へ】山口県議・佐々木明美さんのお話ダイジェスト@山口県庁前(2016年8月30日)
「埋立免許(について)、『法律的にはyesと言わなければならない』と山口県は言っているようです。しかし、何のために埋め立てるのか。そこの思考がまったく欠落している。政治家なら、知事なら、このことをキチンと考えなくちゃならないと思いますけれど、単に『公有水面埋立法の法律の条項を満たしているからyesと言わざるをえない』というのが、この若い村岡(嗣政・現山口県)知事の判断です。
しかし、覚えてらっしゃいますか。二井(関成・元山口県知事)さんがおやめになる年、記者会見の場だったと思いますが、公有水面埋立法、何の目的で埋め立てるのか、そこは原発をつくるために埋め立てるのだ、そこまで思いいたさなければならない、とおっしゃった。それが政治家たる知事の判断だと、私は思いますけれど、残念ですけど今回の山口県の回答は、そこがまったく欠落しているんです。そして、『原発をつくるのはちょっと待ってください』と。…何を言っているんだ?」
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晴れて元「被告」となった4人は、和解成立に際して声明を出している。ある意味、第一声だろう。それを、一部ではあるが伝えたい。
「…先日、山口県知事は、上関原発が建設可能になるかどうか不透明であるにもかかわらず、不当にも中国電力の申請を認め、埋立て期限を延長しました。福島原発事故の悲惨な歴史的経験にもかかわらず、国は相変わらず原発政策を推進しようとしています。停止中の原発再稼働ばかりか、上関原発の新設についても国は計画の中止を明言していません。そうした中で、山口県知事が、今回、埋立期限延長を認めたことに対して、わたしたちは最大限の抗議をします。…わたしたちは本日の勝利的和解の成果を踏まえ、上関原発計画を正式に中止させ、国の原発推進政策を転換させるまで闘い続けます」
その「勝利的和解の成果」のひとつこそ、先の3点目、表現行動の尊重だ。恫喝訴訟は、憲法が保障する言論表現の自由を脅かす。その訴訟に屈さなかった面々は、表現の自由を手放さなかったと言っていい。守りとおした自由を使いぬくと宣言するかのような声明だ。その静かな気概は、一番の支援者だったという家族からも、端々に感じられた。動画でお届けしよう。
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【勝利的和解を支えた人びと・4人の家族】(16年8月30日@山口・林業会館)
橋本さんの家族「本当にお世話になりました、ありがとうございました。反対運動は終わっていません、これからもよろしくお願いします」
原さんの家族「あたたかいご支援をいただいて、ここまで来れました。家族としては毎日穏やかに過ごしたいというだけだったので、皆さんが『どうかね?』『子どもが大きゅうなったね』と声をかけてくれるのが一番嬉しかったです。私も白紙撤回まで家族を支えて頑張りたいと思います、またよろしくお願いします」
岡田さんの家族「6年8ヶ月という長い間、ありがとうございました。本当に長いながい道のりだったんですが、こんなにたくさんの人に支えられていたっていうこととか、こんなに素敵な人たちに囲まれているっていうこととかを、知れた時間でもありました」
清水さんの家族「父そして他の3人を応援いただいて、ありがとうございます。この裁判が始まったときは、僕も未成年で内容はよく分かってなかったですけど、間違ったことをして訴えられているのではないっていうことは————この4人の人を見れば分かると思うんです————そのへんは僕も分かってました。初めのうちは若干、弱気になっとる親をみると自分も『大丈夫じゃろうか、生活できるんじゃろうか』と思っていたときもありましたけども、皆さんのちからで今回和解が成立して、本当によかったと思います。いま僕も成人して、祝島にこの4月から帰って、ようやっと皆さんと、島の皆さんそして他の皆さんと一緒に、原発の問題も立ち向かっていけるようになりました。今後もし、また中国電力の動きがあって、何かがあれば、自分の意志で、自分がやろうと思っておりますので、よろしくお願いします」
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清水さんの家族の言葉が意思表示で終わっているのは、4人は、上関原発の埋立て区域に近い指定海域に、船やカヤックで入ることができないからだろう。この恫喝訴訟以前に、やはり中電から起こされた仮処分(岡田さんについては今回の訴訟)によって決められた。岡田さんを除く3人は、違反したら1日500万円を支払わなければならない。だからそれを踏まえつつ、恫喝訴訟という足枷をひとつ外し、これからも非暴力の運動で、自分の意志で、上関原発を止める。その表明だった。
その思いは、他の方の家族や、それに呼応したまわりの女の人も口にしていた。もっとも、座して待つ4人ではない。埋立免許の延長許可を即時撤回するよう、まずは山口県知事へ申し入れるという。その内容を動画つきでお伝えしよう。
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【県への申し入れ】+【4人からのメッセージ】
「私たち4名は、2009年11月、他の多くの市民とともに中国電力株式会社による上関原発計画予定地埋立に反対する抗議行動をしたところ、翌12月に同社から突如として約4800万円の損害賠償請求訴訟を提起され、被告とされました。中国電力株式会社のこの訴訟は、市民の正当な表現の自由を押し殺すためのスラップ訴訟 (Strategic Lawsuit Against Public Participation) であり、私たちは6年8ヶ月にわたって、合計33回も裁判所に出頭し、私たちのみならず国民の表現の自由を守るため、多くの労力を費やして闘ってきました。
その結果、本日、山口地方裁判所において、中国電力による損害賠償請求の全額を放棄させる勝利的和解を勝ち取りました。
私たちは、これからも、上関原発建設計画を正式に中止させるまで、私たちの表現の自由を行使し、あらゆる場面で市民としての抗議運動を続けます。その第一歩として、貴職が本年8月3日に行なった中国電力株式会社に対する公有水面埋立免許の延長許可を撤回し、不許可とすることを求めます。そもそも今回の延長許可には何ら正当理由がなく、県民の安全・安心を守り、上関の貴重な自然を守ることこそが知事の職責のはずだからです」
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聞きながら思いおこした。「この憲法を盾に僕たちができること、もっともっとありますし、憲法を使っていくことで、この憲法は確固たるものになる」。岡田さんが確かそう話していた。憲法を使おう、使うことで確かなものになり、その積み重ねが憲法を守る———。それは祝島沖でつづく実践が生んだ、借り物でない解のひとつに違いない。
祝島の一行はその晩8時近く、島に帰りついた。折しも、この日2回目の満潮のころ。船の出入口の床と船着場の地面に、珍しく段差がない。「初めて、船着場の階段を一段も昇らずに船を降りた」。祝島で生まれ育ち、数年前にUターンした若い女の人の、嬉しげな声が響いた。「夏はよう満ちるんよ」。漁師さんは天地の不思議をサラリと語る。明日は大潮。またさらに潮が満ち満ちることだろう。
※連続エッセイ『潮目を生きる』の前回まではこちらからご覧いただけます。
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