数少ない日本の女性監督のひとり、山上千恵子監督の作品には活動する女たちへの共感と敬意を感じる。だからなのだろう、山上監督作品に魅かれるのは。

 最初に出会った山上作品は「30年のシスターフッド~70年代ウーマンリブの女たち」だった。その作品への想いを山上監督は語った。 「リブの女性達は歴史の教科書のどこにも出てこない。その女性達の活動をどうしても残しておきたかった」と。

 その思いは先日観た最新作「たたかいつづける女たち~均等法前夜から明日へバトンをつなぐ~」にも込められていた。  

 2年間に及ぶ製作期間中、何度も「やめよう!」と挫折しそうになりながら完成させたのは、「均等法を作るときの赤松良子さんの大変さはテレビ『プロジェクトX』等 で世に知られているが、そこに登場しない女性達を描きたい」という思いが背中を押し続けたからであろう。この映画には多くの女性達へのインタビューとアーカイブ映像とが詰まっている。

 1985年、女性差別撤廃条約批准のための国内法整備の一つとして作られた「男女雇用機会均等法」だが、出来上がったものは雇用の男女平等を求める女性たちの期待を大きく裏切るものだった。機会の均等と引き換えにそれまで与えられていた生理休暇は廃止、深夜業解禁、その上、法で定めているのは努力義務のみで罰則規定も無し、更に「総合職」「一般職」というくくりで女性を分断する、というもので、到底女性達が納得できるものではなかった。全国から集結した「働く」女性達のデモが国会周辺を埋め尽くした。更に女性達は自分達が求める男女平等法を作ろうと闘い始めた。しなやかにしたたかに。

 アメリカから帰国したばかりの若い三井マリ子さんが提案した「イブ・リブ・リレー」には瞠目した。クリスマスイブに女性たちが求める平等法制定の要望書をバトンにして労働省までリレーをしたのである。イブの東京を駆け抜けた女達に悲壮感はなく、今まさに歴史のその瞬間に立っている高揚感と使命感とで、むしろ「たたかい」を楽しんでいるかのように爽やかだった。この女性達の姿をバイクの後ろに乗った山上監督が追った。「ここで落ちたら死ぬかもしれない!」と必死の覚悟での撮影だったと、上映会後、山上さんは述懐した。弁護士で国連女性差別撤廃委員会委員の林陽子さんが言う。「女性の闘いは見える化しないといけない。その意味でもイブ・リブ・リレーは素晴らしかった」と。今後の女性達の活動のヒントになる言葉である。

 均等法が出来てから32年、その間4度の改定を経て禁止規定・罰則規定が入り、セクハラの雇用主責任が明記され、曲がりなりにも間接差別の禁止条項もできたが、女性たちの働く権利は今、むしろ悪化の一途をたどっている。非正規雇用、セクハラ、マタハラ、長時間労働etc そして女達は闘いを強いられるのである。もちろん、すべてが均等法のせいだとは言わない。しかし、2000年制定の第1次「男女共同参画社会基本計画」から2015年の第4次基本計画までが策定され、「女性活躍推進法」が出来たにもかかわらず「女性のたたかい」が終わらないのはなぜか?ひとえに日本の政治も経済も「女性活躍」を求めていないからであろう。求められているのは単純に「労働力」に過ぎないからであろう。

 映画の登場人物ではないが、労働政策研究・研修機構主席統括研究員・濱口桂一朗氏は、男女同一労働同一賃金が男女平等の基本と考える欧米型の雇用システム「ジョブ型社会」に対し、年功序列の日本型雇用システムを「メンバーシップ型社会」と呼び、そこには同一労働同一賃金原則が存在しないという。男女平等の基本と言える「同一労働同一賃金」原則が存在しない上に、良くも悪しくも雇用を保証してきた終身雇用制もすでに崩壊してしまった今、雇用の男女平等が実現しようはずもない。

 映画終盤に登場した均等法生みの親である赤松良子さんが胸中を吐露した。「私だってフェミニストだから、もっといいものを作りたかった!」と。

 あの時、国会に女性議員が北欧並みの30~40%いたら、もっといいものになったに違いない。それは女性議員を増やしてこなかった私達女性の責任でもある。

「政治分野における男女共同参画推進法」の今国会成立は国会終盤の混乱のあおりであえなく潰えた。全政党が自民党案に譲歩しての議員提案だったにもかかわらず、女性たちの願いは今回も叶えられることはなかった。

この怒りをエネルギーに、女性達はまだまだたたかい続けなければならない。バトンをつなぐために。

「たたかいつづける女たち~均等法前夜から明日へバトンをつなぐ~」は「あいち国際女性映画祭」で上映されます。
日時:9月6日10:00開演 
場所:ウィルあいち大会議室 

        こうち男女共同参画ポレール、全国フェミニスト議員連盟 木村昭子