7月8日・9日、「ふぇみん泊まってシンポinびわ湖大津」が開かれた。

 京都洛友支部からお手伝いに、京都駅から新快速で大津に向かったのに、湖西線経由敦賀行に乗ってしまい、慌てて大津京から山科へ引き返す。琵琶湖線に乗り換えたつもりが、また湖西線に飛び乗って二度も間違える。大津は蚕裁判や水問題の会で何度か来たはずなのに「あら、ボケがきたかな?」と落ち込んだけど、やっと時間に間に合ってホッとひと安心。

 シンポジウム「女(わたし)たちはあきらめない! どアホノミクスから民主主義を取り戻す」を話される予定の浜矩子さんが前日、急病のため、代わりに宝塚市長の中川智子さんが引き受けてくださった。若き日に就職した会社は、女性のみ3カ月の試用期間があり、男の初任給に女が10年勤めてやっと追いつくという男女賃金格差だった。中川さんたち同期6人の女たちがユニオンショップの組合執行部に立候補、どしどし改革していったという。息子の小学校で学校給食が自校方式からセンター方式へ切り換えられると聞き、反対運動を立ち上げる。今も宝塚は自校方式を堅持している。京都も同じ頃、学校給食労働組合の調理員さんたちとともに闘い、小学1年の孫娘も、毎日、おいしく給食をいただいている。その後、中川さんは土井たか子さんに推され、社会党衆議院議員を2期。現在は宝塚市長、3期目。一つひとつ胸のすくお話に会場はずっと笑いに包まれていた。

 2日目。5分科会とフィールドワーク。「しなやかにしたたかに 反ヘイトに抗する(上瀧浩子弁護士・李信恵さん)」、「やられっぱなしは、もうゴメン!森友問題から見えてきたこと~木村真豊中市議と考える市民自治」。京都は「京丹後・宇川でいま起きていること Xバンドレーダー基地のある街」(塩見ヤチホさん・スワロウカフェ)を担当する。

 日本海に面する風光明媚な京丹後・経ケ岬に米軍Xバンドレーダー基地ができて3年。日本にXバンドレーダー基地は2つ。青森県つがる市・車力分屯基地と京丹後市・宇川分屯基地。8~12㎓の高周波数Xバンドレーダーは複数の弾頭やおとりを識別し、最長4千キロ超の探知距離能力をもち、Xバンドレーダー+THAAD(終末高高度防衛ミサイル)で「仮想敵国」を監視、迎撃するというが、これは米軍の世界再編ミサイル防衛強化策の一環であり、日本防衛のためでは、決してない。2013年2月、日米両政府が基地建設を発表。同9月、京都府知事と京丹後市長が国に協力表明。14年5月、工事着工、同12月、本格稼働というスピード決定の裏には、1981年以来、35年も進まなかった京都縦貫自動車道の2015年7月開通という取引があったのではないかと、勘繰りたくもなる。

 沖縄の辺野古・高江の座り込みに参加する塩見さんは京都から宇川に通い、現地の人々とどうつながれるかを考えた。「米軍基地建設を憂う宇川有志の会」「米軍Xバンドレーダー基地反対・京都連絡会」と連携し、地元農家と若い人たちを結ぶ地道な反対運動を続ける。日米地位協定のもと蹂躪される住民の権利、自然破壊と健康被害も甚大だ。近くの福知山自衛隊駐屯地での米軍射撃訓練も住民に予告なく行われ、全国で自衛隊駐屯地の米軍基地化は着々と進みつつある。

 同じ日、ふぇみん聞き書き集『めげない女たちの物語 戦後70年、歩み続けて』(ふぇみん婦人民主クラブ発行)が発刊された。創立70年を記念に「ふぇみん聞き書きプロジェクト」が編んだもの。山形から岡山まで70代~90代の会員21人の「女の物語」。ベラルーシのノーベル賞作家アレクシエーヴィッチがいうように、「ひとりの話は個人の運命だが、100人の話は歴史になる」(2016.11.26付東京新聞)。よく知る会員お一人ひとりの顔。初めて知るお話。息もつかずに読み終えた。

 「憲法は渡さぬ 三万の熱気に 九十歳われも」近藤悠子さん(91歳・中野北支部)。編集長の本多房子さんと編集方針をめぐって灰皿が飛ぶケンカをしたり、新橋の飲み屋で岡本太郎に口説かれたりと武勇伝は尽きない。

 「村八分事件が私の原点」加瀬さつきさん(83歳・鎌倉支部)。1952年、破防法上程、「血のメーデー事件」が起きるなか、高校生の加瀬さんは不正選挙を新聞に投書。そのため村八分に会う。「おかしいことはおかしい」と言い切る少女だった。

 「大変な人生だったけど、婦民に入ったから楽しかった」岸本真須美さん(82歳・岡山支部)。中国関東州普蘭店で迎えた敗戦。山中をさまよい、中国人に助けられ大連へ。戦後、引揚げてからは、病の母と弟たちの生活を引き受け働き続ける。婦民に入って、岡山の日本原基地反対闘争や苫田ダム反対闘争を仲間とともに闘う姿は底抜けに明るい。

 「ウトロとの出会いで人生がより豊かになった」という田川明子さん(72歳・京都洛友支部)は京都のお仲間。おしゃれで細身のどこにあんな力があるのかしらと思うくらい。戦争と植民地政策の中で「民間」故に切り捨てられてきた宇治のウトロ地区。ハルモニたちの闘いは、さまざまな経緯を経て韓日の市民基金、韓国政府支援金をもとにウトロの土地を買い取り、宇治市公営住宅の建設につながった。近く入居が始まる。

 「反靖国に立ち上がってたくさんのよき人々と出会った」古川佳子さん(90歳・箕面支部)。兄2人が戦死、母の怒りと悲しみを引き継ぎ、箕面忠魂碑訴訟の原告となる。運動のなかでの松下竜一や伊藤ルイとの運命的な出会い。母をモデルに『憶い続けむ 戦地に果てし子らよ』を書いた松下竜一、東アジア反日武装戦線の大道寺将司の裁判の原告団長として「伊藤ルイ・73歳の遺言です」と証言を締め括った伊藤ルイ。その2人も、今はもういない。

 私が婦人民主クラブに入ったのは1983年。義母の看病のため千葉から京都へきて5年、看取りを終えて、下鴨支部に佐伯道子さんを訪ねた。道子さんのお宅での支部会には、滝川事件で京大を辞められたおつれあいの弁護士・佐伯千仭先生をお見かけすることもあった。クラブは10年に及ぶ共産党の介入との闘いの末、1970年、共産党は「婦人民主クラブ再建」を結成し、離れていった。83年当時は中核派の介入で揉めていた頃。突然、訪ねてきた私に「中核派か?」と厳しい目が向けられたが、「こんなボーッとしている人が、そんなはずないわよね」と笑って入れてくださった。中核派は後に「婦人民主クラブ全国協議会」として別の旗を立てている。

 戦前、戦後と激動の波をくぐり抜け、「ならぬことはならぬ」と筋を通してきた女たちの70年。聞き書きの21人のうち3人が逝去され、若い編集者も1人亡くなられた。生きている人も、逝かれた方も、おおらかな明るさと、めげない強さを備えておられる。彼女たちのあとに続いていかなくっちゃ。

 もうすぐ祇園祭。お囃子の音も聞こえてくる。京・千年の祭が続くように、女たちの歴史も、途切れることなくつながっていくんだと思いつつ、ゆっくりと本を閉じた。

 『めげない女たちの物語』お申込みは、郵便振替00180-6-196455。口座名「婦人民主クラブ」。1冊1500円(税込)。送料1冊200円、5冊以上は送料不要。 FAX 03-3401-3453

シンポジウム第4分科会