「シリーズ・ミニコミに学ぶⅠ― 『銃後史ノート』編」の登壇者は1940~90年代生まれ。なので50年代末生まれの自分は、伯母さん的な気分で聴衆席に座ることになるのかなと思うのだけど、ここ、バトン世代です。リレーのじゃなくって、くるくる回す方。小学校の体育で女子だけ習って、上手な子は鼓笛隊のバトンガールに選ばれていました。
 なぜあの頃の小学生は「鼓笛隊+バトン」だったのかという長年の疑問が、復刊3号の『「紀元二千六百年」―まつりと女―』(むらき数子さん)で解けた気がします。1940年の「皇紀二千六百年」は一年間にわたる大イベント。津々浦々で、軍楽隊の演奏や、男子の武装行進や、ブルマー姿の女子の集団体操が行われていました。むらきさんによると、これは、「神武天皇」即位以来の歴史を祝うという格好を取りながら、実は、教育勅語や明治憲法などの天皇制国家体制成立50年に際して、それを「維持確認する」イベントであったとのこと。そしてその28年後に開催された1968年の「明治百年」イベントの演出は、天皇の御幸からいけばな展覧会に至るまで、そのまま「ミニ『二千六百年』」だったとも。


「紀元二千六百年」と抱き合わせ企画だった東京オリンピックと万博が、戦争で中止されたことはよく知られています。この二つは「明治百年」をはさんだ1964年と1970年に、それぞれ実現していますから、私が小学生だった1960年代半ばから70年代初めは、国家イベント目白押しの時期であり、これに合わせて、市町村レベルでも、鼓笛隊の出番が何度も求められたということなのでしょう。どうやら、あの頃の女子が、くるくるしたりぼとぼと落としたりしていたバトンには、お国のふかーい企みが込められていたらしい。
 さて、目下の官邸は、来年の「明治百五十年」に向けてターボをかけています。国家と国民の、回し回される大イベントは1940年以来これで三回目。ブルマー、バトンときて、孫世代の女子は、何を身に着け何を持たされることになるのでしょうか?
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