私は、『銃後史ノート』のWANミニコミ図書館への収録を熱望している一人だ。このたび、この貴重なミニコミを素材にしたシンポ「こうして戦争は始まる――孫世代が出会う「銃後の女たち」」が企画されているが、この雑誌をご存じない方も多いようなので、紹介することを思い立った。シンポ当日に、編集同人の加納さんやむらきさんから、ナマの声で同誌にかけた思いの丈を伺うことができるだろうが、私は読者の一人として、外側からみた同誌の成り立ちや意義を書いてみたい。
◆『銃後史ノート』の成り立ち

「『非常時』の女たち」(第4号=復刊1号)
『銃後史ノート』は、「女たちの現在を問う会」によって1977年11月3日に創刊されたミニコミだ。「刊行にあたって」には、会の名称と雑誌のタイトルをこのように命名したことの趣旨が、明確に表現されている。「刊行にあたって」は、名文でありほぼ毎号に掲載されているので、ぜひ全文を読んでほしいところだが、私なりに簡単に要点をまとめると、以下の2点になる。
1つには、戦時を生きた女たちの被害体験はしばしば語られてきたが、彼女らが実は侵略戦争を支える”銃後”の女たちだったことが語られないことへの強い疑問。2つには、「”銃後”ということばは消滅しても、体制を支える女の状況は変わっていない」との現状認識に立って、過去の歴史を振り返るだけでなく、自分たち自身の現在を問い直したいという、優れて現代的な問題意識。
この会が始まった当時は、1970年代初頭に爆発したウーマンリブの衝撃がまだ記憶に残る時代であり、運動面では「行動する女たちの会」などが活動する一方で、女性学が産声を上げ、女性史研究グループも各地に叢生するなど、女性の生活や人生を自ら記録したり、分析したり、変革する機運が盛り上がっていた時代だった。そうした女性グループの中で、「女たちの現在を問う会」は、明確な問題意識をもって、戦争の問題、特に「銃後」の問題に焦点を絞った点で、特徴的だった。
1931年に始まる十五年戦争を、「昭和恐慌下の女たち」(第2号)、「女たちの満州事変」(第3号)、「『非常時』の女たち」(第4号=復刊1号))、「『紀元二千六百年』の女たち」(第6号=復刊3号)と、年代順にテーマを定め、当時の新聞や雑誌を丹念に読んで「客観的」(とされる)事実を押さえつつ、戦時を生きた女性たちに精力的に聞き書きをした結果を文章化し、おおよそ1年に1号の間隔で公刊していった。
第10号=復刊7号「女たちの戦後・その原点」(1985年8月)で戦前篇が完結したのを機に、1985年度山川菊栄賞を受賞した。会の活動はこれで終わることなく、新たに戦後篇に取り組み、「朝鮮戦争・逆コースのなかの女たち」(戦後篇第1号、1986年)以来、「全共闘からリブへ」(戦後篇第8号、1996年)まで続けられた。なんと通算20年間にわたって、18号を刊行したわけだ。
◆「女たちの現在を問う会」と加納さん
戦後篇第1号に加納さんが書いた「あとがき」によれば、「会員は約20人」で、同号の座談会メンバーにほぼ重なるという。第6号に座談会出席者の生年が出ているが、生年を明らかにしている11人は、1930年代から1940年代生まれの戦争を子ども時代に体験した人が多いが、1923年生まれの青年期を戦時に過ごした人や、戦争を知らない1950年代生まれの方も含まれている。30年代40年代生まれの人たちも、1年違うだけで、またどこで育ったのかによって、戦中・戦後の経験が全く違うので、かなり多様な人々が、会のメンバーだったことが窺われる。
編集発行元の住所が加納さん宅であり、「あとがき」の書き手や、座談会の司会をほぼ毎回加納さんが引き受けておいでなのに、最初から最後まで、加納さんが会の代表を名乗られなかったのは、たぶん、多様な会員同士が、互いに平等な「平場」の関係を保つことを、自覚的に追及された結果だろうと推測される。とはいえ、『銃後史ノート』の記事を読んでも、加納さんが他所で書かれた文章を読んでも、「女たちの現在を問う会」が、これだけの質を保ちつつ、戦中戦後の女たちの経験を20年間も記録し続けることができた要因には、加納さんの力が大きかったのではないかと想像される。
◆『女たちの<銃後>』からの問いかけ

『女たちの<銃後>』(増補新版 インパクト出版会 1995)
さて、加納さんには、『女たちの<銃後>』(増補新版 インパクト出版会 1995)という単著がある。ご自身の被爆体験を書いた序章とあとがきを除いて、21の論文をまとめたアンソロジーだ。このうち、4点が『銃後史ノート』に掲載された作品で、それ以外は、他のメディアに発表されたものだ。加納さんが、「銃後の女たち」について、いかに多くを調べ、語っておいでかがよくわかる。今回は、「<地方>からみた疎開」を簡単に紹介してみたい。『銃後史ノート』に掲載された重要な論文ながら、今回のブックトークでは取り上げられる予定がないからだ。
疎開の体験について私たちがしばしば聞くのは、学童疎開でひもじい思いをしたとか、縁故疎開で人間関係がぎくしゃくしたとか、疎開した側の被害体験がほとんどだ。けれども、タイトルからもわかるように、加納論文は、<地方>の側、疎開を受け入れた側の目線で、疎開をとらえていて、どきっとさせられる。
◆疎開という国策がもたらした顛末
論文によれば、戦局が厳しくなり、都市密集地帯にある軍需工場や重要施設を空襲から守るために、1943年秋以降、都市の住人を地方へ移転させる「疎開」が、国策として登場する。東京、大阪、神奈川などから、長野、埼玉、新潟、福島などへの人口移動が進む。しかし、男たちの多くが戦場に駆り出され、農業生産力が落ち込んでいた農村に疎開者を受け入れる余地は、ほとんどなかったようだ。政府は<地方>に、疎開者の受け入れを促す一方で、米や燃料や野菜の「増産・供出」を要求するという、無理な政策を打ち出していった。
集団学童疎開を受け入れるために、お寺の炊事場、便所、下駄箱等の設備を地元の人たちが勤労奉仕でつくった話がある一方で、金に余裕のある疎開者が、札ビラを切って買い出しに出かけるため、物価が急騰した話や、農作業ができないだけでなく、地元で長らく伝わってきた山林の伐採のルールを知らずに盗伐する疎開者の話など、地元の人々からの疎開者への苦情の聞き取りや新聞記事を読むと、疎開者と地元住人の軋轢とすれ違いの情景が、さもありなんと、目に浮かぶようだ。
加納さんの筆は、こうした疎開者と地元住人の個人的な困窮や相克を記すにとどまらない。むしろ、「工場疎開」によって、地方の産業構造がどう変わったか、国策の名の下に一方的に負担を押し付けられた地方が、自給体制を破壊されてしまったことなどに、視線を広げていく。戦時中の国策の結果のみならず、戦後の農業政策が、農村の独自性を見失わせ、都会製商品の購入に依存せざるを得なくなった、現代の都市と農村の関係をも振り返る視点を読者に投げかけて、この論文は終わる。
加納さんのこの作品は、多角的な視点と、現在の問題意識から過去を問い直し、今後の私たち自身の進むべき方向を探るという、「女たちの現在を問う会」の姿勢を凝縮して、私たち読者に問いかけているように思えてならない。
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