ドイツに住んでいる以上一度は、と思っていた場所を年末に訪れることができた。
ダッハウ強制収容所。
ヒトラー政権掌握の1933年から1945年までの12年間存在し続けた唯一の強制収容所で、パンフレットによれば、12年間で近隣の支所も含め20万人以上が収容され、おおよそ5人に1人が亡くなった、とのこと。強制収容所の体験を綴った著作として有名な『夜と霧』にも、その名が出て来る。
有名なスローガン「Arbeit macht frei(労働は自由を作る、働けば自由になれる)」の扉を通って中に入った。
「12歳以下には推奨しない」との注意書きがあったメイン展示館は、大量のパネル(ドイツ語と英語の併記)による解説が中心だった。
詳しくは理解が追いつかなかったが、収容理由、被収容者の生活や処遇、強制労働、人体実験、解放、さらに戦後(難民キャンプへの転用からメモリアル設置)などが細かく淡々と説明されていた。
印象深かった点を写真ととも紹介したい。
強制収容所の当時の模型と、窓の外にあるモニュメント。
この広大な敷地にはこれだけの収容施設がぎっしりと建てられ、中には人が詰め込まれていた。モニュメントはこの地での苦しみを表す抽象的な何か、荊(いばら)のようなものだろうかと思ってから気がついた。
これはやせ細った人だ。これがデフォルメとは感じられないほど、骨と皮ばかりになった人がここにいた…そしてこのモニュメントのように折り重ねられて、捨てられた人々も…。展示では目を背けたくなるような写真や映像も少しあり、中にはぞんざいに扱われる大量のやせこけた遺体の映像があった。それを見た後では、このモニュメントが写実的な表現にさえ見えた。私には一つの衝撃だった。
もう一つは展示館の前にあった「決して繰り返さない」と5言語で書かれた碑。
前にある箱のようなものの側面には「不明の人々の灰」。もはや誰か分からずに、埋葬された人の灰がここにある…おそらくその映像の中にあったような、放り投げられていた人々の。
NEVER AGAIN 決して繰り返さない。ここはただ怖いと思い、恐ろしいことが起きていたと感覚的に知るだけの場所ではない、と私は思った。なぜ、何が起こったかを正しく知り、どうすれば二度と繰り返さないのか。今生きている私はどうすればいいのか。
強制収容所を結末から見ると、どうしてこんなことができたのか、信じられない、と思う。
しかし「危険思想の持ち主を市民の安全のために隔離する」はどうだろうか。ダッハウは政治犯の収容から始まった。そして収容対象は拡大し、処遇は悪化していった…。
自分ではない誰かの人権、「政治犯」「嫌いなやつら」「異人種」の人権など多少のことは仕方がないしどうでもいいと看過し、権力に人をこのように扱うことを許すと、その結末はこうだと教えている。それが私が感じたことだ。
そう思うと、たまたま見ていた報道ステーションの特集のこんな一言が、力強いナレーションとともに耳に蘇ってくる。
ある強制収容所の解放後、ドイツ市民に収容所の中を見るよう連合軍が命じた。
その凄惨さに驚いた市民が「私たちは何も知らなかった」と言うと、元被収容者たちはこう答えた。
「いいや、あなたたちは知っていた」
■ 小澤さち子 ■