日本植民統治期に誕生し、解放後の南北分断、朝鮮戦争を経て今日まで制作されてきた北朝鮮・韓国の「コリアン・シネマ」の数々。その製作と受容はいまや一国内に留まらず、在外コリアンによる監督や外国との合作、資本やキャストの海外調達、国際映画祭への出品にみられるように、複合的な地域性と多様性をもつ人びとを巻き込みながら、排他的な意味での「境界」を拒否するトランスナショナルな発展を遂げています。

 これらの映画は、コリアンの文化的テクストとしてどのように機能してきたのでしょうか。本書ではジェンダー、イデオロギー、階級の観点から南北の代表的作品を分析することで、コリアンの民族意識と文化的アイデンティティを探っていきます。 第I部では、黎明期以来のコリアン・シネマの歴史を各時代、各地域の政治状況に照らしつつ俯瞰した上で、朝鮮民話「春香伝」の翻案映画5作品や歴史映画の代表作『血の海』『月尾島』『南部軍』、労働者階級の日常を描く『初めて行く道』『追われし者の挽歌』等を分析します。
 第II部では、近年のグローバルシネマとしてのコリアン・シネマの発展や国際的評価の高まりに着目し、『下女』『魔の階段』といった60年代の韓国のホラーや『オールド・ボーイ』をはじめとするアジアン・ノワール、旧日本軍性奴隷制を扱った『ナヌムの家』『鬼郷』といった作品が社会批評や歴史的記憶の継承において果たす役割についても考察します。

 編集者が特に刺激的に読んだのは、女性の表象についての分析です。例えば、第I部で比較分析される「春香伝」の翻案映画は、植民地時代から2000年代まで、また分断後の南北の両方で制作されてきました。両班の父親と元・妓生の母親の間に生まれ、両班の少年と恋に落ちる主人公の春香には、いずれの作品でも、伝統的な家父長主義によって規定された女性の貞操が体現さています。しかし、監督はもちろん、北と南での伝統的価値観のとらえ方の違いや制作当時のイデオロギー的状況の違いが、朝鮮王朝時代を舞台とするこの作品にも反映されていきます。さらに、著者の分析は、観客の視点をどのように位置づけるか、登場人物たちをどのように配置するか等、視覚的な効果にまで及びます。

 著者の精緻かつ大胆な分析によって、北朝鮮についても韓国についても表層的だった理解が深められ、時代毎に政治的な困難を抱えつつも映画を作り続けてきた人々の姿が浮かび上がってきます。映画の一場面の詳細な分析から比較文化的考察まで、縦横無尽に論じた一冊です。 (松原理佳:みすず書房編集部)