財務省事務次官による女性記者へのセクハラ問題は、テレビ朝日の記者会見と財務省への抗議、放送界で働く女性たちからのアピール、セクハラ被害者バッシングを許さない4.23緊急院内集会など、たくさんの動きを喚起しています。弁護士の中野麻美さんが、福田財務省事務次官による女性記者に対するセクシュアル・ハラスメント発言について、報道の自由と女性の人権の観点から問題整理をしてくださいました。 WAN編集部
(1)公表されたやりとりは相当危険なもので、「言葉の遊び」レベルなどではありません。いろいろなケースの経験をもとにこの「危険度」を推し量れば、強制わいせつ寸前、ちょっと間違うと強かんにまで至りかねないすれすれです。こういう危険を引き受けながら情報を採らなければならない、それで女性記者の取材が成り立っていることは、女性記者から「私も」という声がたくさん上がってきていることからも明らかです。そして、このようなリスクを引き受けながら情報を採らなければならないのは女性ならではのことで、日本の社会や統治機構に構造化された差別と暴力の根強さを痛感させられます。このような社会を変えなければ「報道の自由」はありません。問題のとらえ方、リスクの深刻さを関係者に周知する方法が必要と思います。
(2) こうした状況は、取材活動のなかで性的自由の侵害に直面しているのに(しかも1年半という長期にわたって)、それを訴えても使用者として何らの対策も講じられないという意味において職場の安全衛生法違反の問題が生じる可能性があります(安全衛生法24条・25条は、労働災害を防止するよう、その危険があるときは、直ちにその場から退避させるなど必要な措置を講じなければならないと定めて、罰則を付しています)。性暴力の危険がそうした措置の対象から除外される根拠はありません。このような状態が改善されないということは、報道の自由、ひいては国民の知る権利にかかわる問題になりますので、女性記者の被害の告発は、広く国民の知る権利にかかわる「公益通報」であっていかなる不利益を課すことも許されません。ですから取材源云々といって女性記者に批判の矛先を向けるのは本末転倒です。
公益通報保護法は適用対象が限定されており、対象法令として罰則規定のない均等法は除外されています。そのため一見、セクハラ問題の告発は公益通報ではないと考えられてしまいがちですが、労基法違反や安全衛生法違反は対象です。私は以前からセクハラ対策問題を安全確保措置の対象として明確化し、罰則の適用を明確化できるように提案してきましたが、労災補償問題での取り組みは意識化されてきたものの、安全衛生問題としては、労働時間に匹敵する、いやそれ以上の健康問題であるのに、すっぽり対策から抜けてきたことが問題だと思います。野党合同ヒアリングに対応した消費者庁も、労働安全衛生法の問題としては全く捉えていませんでした。
(3) 公益通報保護法は、行政権限の発動を前提にしているので刑事罰対象条項しか対象通報に該当しないことになっていますが、仮に刑事罰対象条項に該当しなくても、労働契約法の適用を除外しないという規定をおいています。したがって、民事的には不利益に取り扱わないという範囲を相当広くおいていると解釈できますが、いずれにしても法見直しにつなげていく必要があると思います。仕事と人を守ることは民衆の利益に直結します。
(4) 部下が次官を調査するわけにはいかないので専門知識を有する弁護士事務所に委嘱したということですが、セクハラ調査をしたことがある経験だけで「専門」といわれてしまっては、同じ職業にあるものとしてとても困ります。専門性とは、その仕事と仕事をめぐる人と人との関係(男女の力関係やそこで何かを進めるために行使されるやりとりを決定づける力)、関係者の知見や認識を形成するプロセスと要因、社会の偏見や固定観念による歪みなどを知り抜いている必要があります。「専門」といっても、記者の仕事や情報と取ろうとするものと取られる側の関係性、何時もセクハラ発言をして許されている人間の認識や支配意識、バイアスに関する科学的な知見については全く問題にしていません。財務省の顧問であるというだけでこうした専門性が担保されているわけではありません。実際、被害者に名乗り出るよう求めるような被害者バッシングに火をつけるような「調査方法」を打ち出すようでは、誰もが「開いた口がふさがらない」というもので、性暴力に対する偏見を調査者自らが払拭できていないことを身をもって示すものです。弁護士事務所が企業から依頼を受けてセクハラ調査をすることはありますが、企業が実施するセクハラ調査で傷つけられた被害者はいっぱいおり、公正でも真実を探求するものでもありませんでした。調査が被害者に及ぶことなくセクハラ・性暴力の本質に迫る調査の専門性とは何かをきちんと定式化する必要があります。
(5)事実は明らかなのですから、 次官の辞表を受理しないで更迭し、分限免職などの懲戒処分に付するべきで、そのことは重大な政治問題です。これ以上調査をしなくても、録音データだけで取材過程における性暴力の事実は明らかです。しかも、やりとりの流れからすると、次官の発言は、情報を餌に性的要求に応じるようにというメッセージと受け止められるものであり、それが繰り返されてきたことがわかります。権力を持っているものが、情報を採ろうとする女性記者の人権を侵害して翻弄するのは、「言葉による環境型セクハラ」と同時に「対価型セクハラ」とも評価できるものです。財務省事務方のトップ(セクハラを防止すべき最終責任者でもある!)によるこのような権限濫用は、すでに免職処分相当との判断がなされてもおかしくなかったのです。それを、辞任を認めてしまう内閣の責任も明らかです。
(6)二次加害(被害者バッシング)を容認するのかが政治の焦点となってきたように思います。辞任が認められた前次官は、辞任の理由を「この問題で仕事にならない」からだといい、セクハラの事実は否定しています。しかし、その前次官も、最初は会ったこと自体を否定していたものの、「全体としてみてセクハラかどうかを判断すべき」などどう見てもやりとりの経過を知っているとしか考えられない発言をしています。「裁判に訴える」と言っていますが、新潮社を名誉棄損で訴えても、事柄の公益性と真実性は明らかです。いったい何を訴えるというのでしょうか。裁判に訴えるといいながら、結局は処分を後回しにして自分の退職金やその後の転職先を確保しようという私心が透けてみえます。 そうした立場を後押しするかのように、麻生財務大臣は、次官にも人権があるといって擁護し、さらには、閣議決定後のぶらさがり記者会見で、「はめられて」訴えられているのではないかという意見が世の中にいっぱいあるといって、被害者攻撃しました。こんな根拠のない認識が、更迭・処分にブレーキをかけたのだとすると(そうとしか取れないのですが)、これはもう、政権総ぐるみのセクハラ攻撃という以外にありません。公人がこのような発言をし、しかも政権がそれを承認するとなると、性暴力被害者と社会に及ぼす影響は深刻です。 被害者が「誘った」「はめた」「嘘をいって利用しようとした」と攻撃される二次セクハラが後を絶ちません。加害者たちは、こうして被害者がどうであったのかに関心を向けさせ、加害を打ち消そうとするわけです。しかし、「誘った」「はめた」「自分のために利用しようとした」のは加害者です。前次官は「名誉棄損」で訴えると言っています。しかし、これで名誉を棄損されたのは被害者である女性記者のほうです。社会がしっかり見きわめるべきは加害者が何をしたのかということです。
(7)次官の辞任を認めた政権による「女性の活躍」こそ「言葉遊び」の虚偽だったということではないでしょうか。私は、これでアベノミクスによる女性の活躍・一億総活躍など「活躍」の本質は動員という構図が見えるようになってきたとおもいます。新自由主義と復古主義的軍事化は不即不離のものと痛感させられていますが、仕事をする人を権利の主体としてではなく、道具視し対象化する、だから、麻生財務大臣が、「だったら女の記者に対応させなければいい」「はめた」などと発言してしまう。このような政権(しかしとても低いレベルにうんざりです)が声高にする「活躍」の意図は明白です。
(8)報道の自由との関係について一言。この問題は、財務省事務方トップのセクハラという人権侵害行為の問題と「情報」・報道の自由の問題がクロスしています。ジャーナリストの自由と人権の保障は報道という民主主義の動脈を支えるものです。そして、女性記者への性暴力と局側の対応は、「メディア内に自己規制が増えて」「政権側がメディア敵視を隠そうとしなくなっている」(国境なき記者団)のなかで発生しています。国連の「意見及び表現の自由」の調査担当(2016年4月19日)は、日本の現状について、多くのジャーナリストが、有力政治家からの間接的な圧力によって、仕事から外され、沈黙を強いられたと訴えているとし、そのような介入には抵抗して介入を防ぐべきだといいます。内部告発者に対する保護法制が弱いと情報源の枯渇につながり、ジャーナリストも処罰を恐れるようになっていき、民主主義の動脈硬化症が促進されます。「日本軍性奴隷制」に関する報道や教科書への介入は、安保法制の審議に際しても、軍事と性暴力という重要度の高いはずの議論を封印してしまったのではないかと思います。ジャーナリストの自由と人権が保障されなくて、いったいどこにジャーナリズムが民主主義の動脈としての役割を果たせるというのでしょうか。その自由のなかに女性記者の性的自由が含まれることも常識です。女性記者の告発はこの国の民主主義と私たち自身に課せられた課題と深く受け止めます。
政府は、なによりも、女性記者とテレビ局に謝罪したうえ、記者の活動を批判したり不利益に影響することにつながる一切の行動は公共の利益に反することを宣言し、自らもそのような行動は一切しないことを私たちに約束すべきです。
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